宇宙怪鳥メジロ
もくもく濁った昼下がりの空を覆いつくす、うぐいす色の巨大な球体。
見上げる2連装のビーム対空砲は百六町で5番目に高いビルの屋上で、ちかちかと電力不足の警告ランプを使って、露天制御座席で固まるフタハの顔を断続的に赤く染め、血色の悪さをフォローする。
屋上から一望できる百六町のほぼ全域が、上空からゆっくりと降下してくる巨大な球体の影に収まったことで、まるで夜がやってきたかのような、異様な寒さを伴う暗闇に包まれている事がわかる。
――メジロが、来たのだ。
時はさかのぼる事、6時間前。
幽霊高楼の屋上では、2日かけてようやく発砲可能な状態にこぎつけた対空砲の前で、コウトとフタハとそのお供のサメが一息ついていた。
とある事情から電器屋での(正確には商店街の)バイトを始める事になったフタハ。
まさかビルの屋上で5年間使われずに放置された対空砲の修理とは思わなかったが、今更いやとも言えず、夜型人間には眩しすぎる昼間の鈍い日光や、周囲のアウトドア物質を遮断する室外用空気清浄機をものともしない、苦みのある微生物が漂う空気を味わい、辞書のように分厚い整備マニュアルと格闘し、何の進捗もなく4日が過ぎ、コウトの「気長にやってください」に耐えかねて、サメに助けを求め、サメの横で2日間ぼーっとして作業を完遂したのだ。
結局、動作が不具合でないことの証明と問題発生時の責任の所在が全体の10割を占める、整備マニュアルは何の役にも立たず、サメの経験とカン、そして指示に従って工具を扱い実際に修理したコウトのおかげで作業はほぼ完了。
ペットの成果は飼い主の成果なので、形式上はフタハが仕事を成功させたことになる。
「なんとか間に合いましたね。兵器に詳しいサメさんがいたおかげで助かりました」
礼を言うコウトにフタハの足元にいたサメは、「新地中海で海賊船クルーをやっていた身としてはこのくらい"朝飯前"だ」と誇る。が、シャーク用の翻訳機入手の目途が立つまでの応急措置として付けられた、マッカレル用翻訳機は、第2背びれ手前に付けたひまわり型のスピーカーを通して、不思議な翻訳を披露した。
『朝食ヲ、朝食ヲ出スノデス』
「そうですね。2階に降りて食事にしましょう」
コウトのリアクションに違和感を覚えたサメは、翻訳機がおかしいのではないかとフタハに尋ねる。
フタハはおなかがすいていたのだろう、完璧な翻訳だったと答え、コウトに続いてエレベーターに乗り込んだ。
下りの速さと地震のような振動が特徴的な幽霊高楼のエレベーターは、23階と15階で乗り継ぎを行う必要がある。
これは完成当時、百六町最高を誇る15階建てだったこのビルに、20階建てのライバルができた際、負けてなるものかと22階建てに増築し屋上施設を追加。その後25階建てのビルができた時に、さらに28階まで増築した結果、誕生したものだ。
かつてそれほどまでに一番へのこだわりを見せたこのビルも、今では3階以上のテナントは埋まる事を知らず、いっそ心霊スポットとして売り出そうかと言うアイデアもいよいよ現実味を帯びてきている。
幽霊高楼2階の喫茶店。
商店街のアーケード寄りにあるこの店は、今日も心霊スポットにふさわしい静けさを、椅子に座った空気たちに提供していた。そんな中、構造上やむなく店内中央に位置するエレベーターが、交通事故を思わせる音を立てて到着を知らせた。
数年前から手動式になってしまったエレベーターの扉が開けられると、中からウェイトレスとシャークが、続いてウェイターがバールのような扉の開閉用具をエレベーター内に立てかけてから、店内に入ってきた。
もちろん彼女らはここの店員ではない。この店で大量に仕入れすぎて余った制服を譲り受けた、階下の電器屋の店員だ。
ちなみに、電器屋の隣にある本屋もこの制服を採用している。デザインが悪くなかったからだろう。
数秒間の無重力によって逆立った髪を戻しながら窓際の席に向かうフタハを見送りつつ、コウトは注文する。
「マスター、いつものをお願いします」
「またですか?」
やつれた喫茶店のマスターは、幽霊屋敷にちょうどいい感じの、うらめしそうな顔で眼鏡をかけ直す。
うらめしそうな顔になる理由は、何度も借りを作ってしまった電器屋に無料で食事を提供している事なのか、それとも、何でも食べ放題だと口をすべらせたせいで、フタハが毎日のように、メニューに存在しない焼き肉を注文するからなのかは定かではない。
薄暗い商店街のアーケードを2階から見下ろせる4人掛けのテーブルに乗せられたサメが、運ばれてきたホットケーキを解体しつつ、対空砲を修理する理由をテーブルの傍に控えていたコウトに尋ねる。
「今年は5年に1度のメジロが来る年で、百六町はその降下予想地域に含まれているんですよ」
すごい答えが返ってきた。
メジロ。それは旧時代末期に作られた、恐るべき改造生物である。
衛星軌道上を漂い、かつて存在した敵も味方も誰一人として残っていない今もなお、来るはずのない有事に備えて牙をとぐ失われた超技術の塊。ウグイス色の球体。春の味。
そんなメジロが持つ旧時代の技術が欲しい世界動物労働協会は、"友好的野良生物"という新ジャンルを作りだし、彼らが補給に降りた際には丁重にもてなすよう、地上の全機関に通達している。
宇宙住まいのメジロも、5年に1度は地上へと補給に戻るのだ。
メジロは同盟を結んだ世界動物労働協会との取り決めによって、登録された地上の全商店での"買い物"を行うことが可能だ。
支払いには、メジロが体内に備えている造幣ラインで大量に発行されている、"メジロコイン"が使用される。この"メジロコイン"は世界動物労働協会本部に持っていくと、第1州バーツに換金できる事になっている。
一方、メジロの相手をさせられる地上の商店は、何が何でも来店をお断りする為に、防空訓練と称して町の上空に対空弾幕を張り、メジロの降下を"偶然"阻止する動きを見せた。
当然の事だろう。世界動物労働協会本部に行って帰ってきた者などいるわけもないのだから。
ちなみに、現代の兵器ではメジロにダメージを与えることはほぼ不可能だ。だが、メジロは本能的に閃光や爆音を嫌う傾向があるので、対空砲火の激しい町の近辺は降下場所の候補から外れる事がわかっている。
その為、地上の町々は対空砲火を競い、メジロの降下場所を押し付け合う、後ろ向きな一大イベントが誕生したのだった。
なるほどと納得するサメの横にいたフタハは、運ばれてきたホットプレートで肉を焼き始めようとしたままの状態で固まった。
肉は焼かれていないが、連日の焼き肉によってテーブル周辺は焼き肉の匂いがこびりついている。
天井ではレトロなシーリングファンが、肉の匂いを散らしつつ、優雅に回っていた。
『メジロノ降下日時ヲ言ウノデス』
固まったままのフタハを見なかったことにしたサメは、相変わらず変な口調のマッカレル用翻訳機を使って話を続ける。
コウトが言うには、今日の午後には百六町上空に現れるとの事だ。
それを聞くや否やこの場を逃げ出そうとしたフタハは、間髪入れずにテーブルから跳んだサメの空中殺法によって、無事確保された。
この数日間で、実に14回もバイトからの逃亡を企てたフタハを、13回仕留めたサメに隙はない。
なお、残りの1回はフタハが振り返りながら走った為に転んで自滅。結果としてサボタージュは1度も成功していない。
サメは、避難所である地下第1層へのエレベーターは、既に封鎖されているからあきらめろと、フタハを元の席に座らせる。
フタハはあきらめて、ホットプレートで肉を焼き始め、喫茶店のマスターは消臭スプレー片手に頭を抱えた。
3枚目の人造カルビが、音を立てて底面を変色させ始めた頃。喫茶店の入口から1人の男が入ってきた。気付いたフタハは背中を丸めて小さくなりながら肉をひっくり返し、サメは本来の入口はあそこだったのかとつぶやく。
「こんにちは大将、休憩ですか?」
「おう」
コウトに声をかけられて、フタハ達のテーブルを覗き込んだその男。商店街を垂直に貫通する交差点付近にそびえる大きなホテルの支配人だというが、厳つい顔、ごつい体格、高そうなスーツの3コンボによって、ギャングのボスじみた威圧感をふりまいていた。
「コウちゃんよう、なんかこの焼き肉やってるウェイトレスにすっげー警戒されてんだが?」
「うちでバイトしているフタハさんです」
「おう、お前らんとこの制服紛らわしすぎるだろ」
フタハはホットプレートを窓際に寄せて、大将と呼ばれているホテルの支配人に背中を向け、斜めに座り直していた。
一足先に食事を終えたサメは、テーブルの上で置物の様にじっと2人の会話を聞いている。
どうやら百六町商店街は、5年前に他の地域に火力負けし、降下したメジロによって空前の爆買いをされて以来、さびれたシャッター街になってしまったという過去があるそうだ。
つまり、今回はその雪辱戦になる。もちろん戦う相手は他の地域であり、メジロではない。
そして、この大将が百六町商店街の対メジロ作戦を仕切っていて、コウトがその補佐を行っているらしい。大将のホテルは、その立地と1階にある土産物売り場の関係から、前支配人の代以降、商店街所属なのだとか。
百六町商店街の対メジロ作戦への意気込みは凄まじかった。
同じく被害者である百六町商店組合を巻き込み、町内の全商店はその建物の上に対空火器を使用可能状態で設置することを義務付け、第4州内においてこの町以外では州都である内京都でしか使われていない、装甲防空飛行船を工場から"善意"で借りてきたうえに、1機あればとりあえず安泰と言われている強力な業務用電磁カタパルトを、"善意"とわずかな金によって4機も仕入れたそうだ。
後に、この4機の業務用電磁カタパルトの一斉使用が、百六町に大停電を招く事になるのだが、
「ま、これだけ準備してたら、メジロに降りられる方が難しいわな!」
「そうですね」
喫茶店内はもちろん、百六町でシャッターを開けている少数の商店にも、まったく敗北を感じさせない余裕の空気が漂っていた。




