吊り天井が落ちるまでにできたこと
「こちら、お値段の方ですが、よろしければ無料に致しますよ」
「は?」
「1週間期間限定のアルバイトを引き受けて頂ければ、の話ですが」
フタハは、コウトがポケットから取り出した端末に表示された、アルバイト募集中のチラシを覗き込む。
何という事だろう、アパートの家賃3か月分ちょっとの給料が記載されているではないか。普通に考えて真っ当な業務ではない。
一体どんな悪行に手を染めたのかと尋ねるフタハに、コウトは商店街のイベント的なもので基本的に違法性は無いと答える。
何か引っかかるところがある気もしたのだが、期間限定の上にフタハ限定だったので、フタハは引っかからなかったことにした。
業務内容に接客など人との接触がほとんどないことを確認してから、端末上のボタンを押すだけの簡単な契約が終わる。レジ台に並べられたダイビングセットを持って帰っていいと言われたが、良く考えてみると返済の予定ができた以上、もうサメと戦う必要はない。
むしろ期限付きの支払いを立て替えてくれた褒美をやるべきだとフタハ思った。
「これ、別の物に変えてもらえない?」
「お気に召しませんでしたか」
「この年でシャークの餌に変身するのはハードル高い」
「ダイバーとシャークの餌に何の関連性があるのかわかりませんが、これと同じ黒色の値札が付いた特価品でしたら交換承りますよ」
店内を見回すと、黒色の値札がついた、おそらく処分してしまいたいのであろう微妙な品がちらほらあった。
この前サメに買ってやった、ドルフィン用の格安キャリアーにも黒値札が付いている。その時の経験からだろうか、"シャークにも使用できます"と書かれたポップが追加されていた。
ちなみに、フタハはこの町でサメ以外のシャークを見たことがない。
フタハが電器屋を出たのは、タイムリミットである17時の5分前の事だった。
まっすぐ帰れば間に合うだろう。
電器屋の買い物袋を右手に下げて歩き出してすぐ、フタハは商店街の脇道から急に声をかけられ、その場で飛び上がった。
かさっと音を立てて一緒に驚いた買い物袋が落ち着きを取り戻し、その持ち主も一呼吸おいてから脇道に目をやる。返ってきて欲しくなかったテストの答案用紙を見るかのような目だ。
「これはこれは先程のお嬢さん、いい儲け話はいかがですかにゃー?」
そこには電器屋に行く前に会った、黒いアーバンワイルドキャットの姿があった。
名前は確か……
「アンデサイト、だっけ?」
「オブシデアや」
惜しかった。
「オブシデアのオブシは、カツオブシのオブシですにゃー」
惜しくなかった。
余談だが、オブシデアが使う、語尾に"にゃー"を付けた喋り方はキャットの言葉で敬語を意味するらしい。手慣れたキャットは、丁寧にも全ての「な」を「にゃ」に変換して話すことができるという(※丁寧語とは違う)。
加えて言うなら、「にゃ」ではなく「みゃ」を使用する派閥も存在し、その対立は驚くべきことに旧時代から続いており、数えきれないほどの肉球が「にゃ」派と「みゃ」派の顔面に叩きつけられてきた。
キャット達の争いの歴史に比べれば、人類の戦争の歴史など、インスタントラーメンも完成しない短さに過ぎないのだと専門家は語る。
フタハは警戒しながらオブシデアの話を聞いてみることにした。アーバンワイルドキャットの儲け話は、詐欺まがいのものが多いので注意が必要だ。
オブシデアは前足で、商店街よりも一段階暗い脇道の片隅を指さした。
「見てみ、行き倒れや」
「ホントだ」
どうやら、"探す必要がなくなると何故か見つかる法則"は、行き倒れにも適用されるらしい。行き倒れの男は、商店街のどこかを目指している途中で力尽きたのであろう。そして、なぜか探検家のような恰好をしていた。
キャメルに乗ったレイザア伯爵といい、フタハの知らないうちに、いつの間にか探検ブームが来ていたのだろうか?
だとすれば、シャッター降り放題で廃墟といっても差し支えなく、暗闇を歩き回るのために目を慣らす必要があり、アウトドア防護装置の騒音やそれをごまかすBGMも聞こえないここは、さぞの探検のしがいがあったことだろう。
オブシデアが振り返る。
「うちもこの前テレビで知ってんけど、行き倒れ通報業ってのがあるんや」
「知ってる。私もテレビで見た」
「それなら話は早いにゃー。お嬢さんこの町の市民やろ? うちは4等市民やから、代わりに通報したってにゃー」
オブシデアの提案は、自分が発見した行き倒れをフタハが通報し、報酬を山分けしようというものだった。
ちなみに4等市民とは、人の住む町で生活する野良生物の俗称であり、政府が定めた市民等級ではない。つまり市民ではない。
フタハはそういう事ならと、行き倒れの端末を緊急モードに変えて、救急隊を呼ぶ。まだ息があったので助かると良いのだが、行き倒れの回復率は、宝くじを狙って当てるよりはマシな程度なので、期待できない。
十数分後。
フタハ達は、テレビでは紹介されていなかった、引き渡しに必要なアナログ書類98枚と格闘することになった。やってきた救急隊員は、書類を書き終わるまで仕事をしてくれないのだ。
全ての書類を片付け満身創痍の1人と1匹は、報酬の受け取りには、追加の書類が487枚必要だと言われ、もうやってられるかと断わる。痛みと震えの止まらない手首をおさえながら、「やれるだけの事はやった」と悟りを開いたような顔で救急車両を見送り、二度と行き倒れ通報などするまいと誓ったのだった。
そんなこんなで、フタハがアパートに戻ったのは18時を過ぎた頃だった。
幸いな事に、最悪の事態として想定していた、部屋の圧縮は行われていなかった。が、部屋の中にいたデジタル大家が出迎えると同時に抗議してきた。
「どうして家賃払っちゃったんですか~! 大家さんこの部屋をプレスするの楽しみにしてたんですよー」
とても理不尽な抗議だった。
部屋の真ん中で異様な存在感を出している銀色のちゃぶ台には、サメが入れたのだろうか、デジタル大家がいれたのだろうか、お茶が入っていたと思しき湯呑が2つ置いてあり、アウトドア汚染によって動かなくなったテレビには、蘇生を試みた跡が見られる。
「見て下さい。音が出るところまでは修理できたんですよー」
そう誇らしげに語るデジタル大家が、テレビのスイッチを入れた。ぱしむと軽い音が鳴り、テレビの背面から小さな部品が飛び出す。それっきり音も出なくなった。
あれー? と首を傾げるデジタル大家がテレビを叩くと背面から部品がこぼれ出る。もう一度叩くとまた背面から部品がこぼれ出る。
フタハは、そんな光景を見なかったことにして、床で一か月前の特売のチラシを眺めていたサメに、バイトの件を伝える。
サメは、フタハがそこまでやれるとは思わなかったと返してきた。
フタハは不服そうな顔をしながら、気になっていたことを失礼なサメに尋ねた。
「どうやって家賃を用意したの?」
「翻訳機を売った」
がさっと音を立てて、手に持っていた電器屋の買い物袋を落としたフタハ。それっきり、一時停止ボタンを押された動画の様に固まってしまった。
テレビをあきらめたデジタル大家は、横からフタハの様子を覗き込み、動かないことを確認すると、落とされた袋を拾って中身を確認する。
「あらー……」
中に入っていたのは、携帯端末用の入力装置の一種だった。
装置から出ているケーブルに翻訳機と携帯端末をそれぞれ接続すると、翻訳出力を携帯端末に文字として書き込むことができる、一昔前に流行った製品の劣化コピー製品だ。
フタハを不思議そうに見上げるサメに、デジタル大家が装置を手渡す。
サメは、自分の端末に『ちゃぶ台かカケジクを売っておけばよかった。ガクッ』とダイイングメッセージのようなものをヒレで入力すると、それっきり動かなくなってしまった。
まるで死んだ魚のような目だとデジタル大家は思ったが、元々そういう目である。
デジタル大家は腕組みをして、考えるポーズをとってから、ぽんと手を叩いた。ちなみに何も考えていない。
そして、すっかり暗くなってしまったこの部屋の空気を変える、素人にはお勧めできない妙案をにっこりとほほ笑んで告げる。
「それでは、気分転換にこの部屋の天井落としましょうか!」
「「やめて!」」
アパートの薄い壁伝いに響くフタハとフタハにだけ聞こえるサメの叫びに、屋根の上で一息ついていた出稼ぎスパロー達が飛び上がる。
彼らが足に巻いていた安物の時計は、アウトドア汚染でもう動いていなかった。




