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いぇぬびーの箱と消えたシベリアウルフ  作者: 新道・アラン・エイネン
吊り天井が落ちるまでにできること
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カウントダウン


「はじめましてフタハさん。みんなの大家さん、ですっ!」


 大家はその場でくるっと回って、画面内で見たデジタル大家と同じ右手を腰に当てるポーズを決める。白茶のポニーテールと大きな胸が揺れ、その背後で枠ごと外れたドアをはめ直していたフタハは、この部屋に自分以外のフタハがいる可能性に震えた。


「心配しないでください。私も先日寝返りをうったらエアコンの上から落ちてしまったので、アクロバティックな寝相で窓を蹴落としたくらい、気にするような事ではないですよー」


 手招きするような動作でフタハをフォローする大家は、どうやらフタハがふざけてアパートを破壊したとは思っていないらしい。

 寝間着で出て行ったことが功を奏したみたいだった。



「とりあえず窓枠を"接続モード"にしますねー」


 分離するのがあたりまえみたいな事を言いながら、わりと重量がある特注ガラスがはめ込まれた引違い窓を、軽々と運んでいデジタル大家は只者ではない。


 少なくともフタハには、四角い壁の大穴の横に窓を置き、カーテンを開けてから、ベッドの上にサメがいることに気づいて、悲鳴を上げながら退出する姿でさえ、あざとい一般人アピールに思えた。


「なっ、ななななんで、部屋の中にシャークがいるんですかっ! ペット禁止ですよ!」


 アパートの外廊下の手すりまでシュリンプの様に後退した大家が、部屋の奥を指さして涙目で訴えてきた。

 玄関の壁にもたれながら一部始終を見ていたフタハは、携帯端末を取り出して見せる。住人サイト内のデジタル大家は、笑顔で「フィッシュは飼ってもいいよ」と吹き出しで補足していた。


 大家がアパート外廊下の手すりにもたれたまま「想定ガイダンスっ!」と謎の単語を叫びながらのけぞると、体重がかかった手すりの一部が、ぴしぴしと音を立てて"分離モード"へと移行を始める。


 慌てて手すりから離れた大家は、もの言いたげな目で見てくるフタハに、「大丈夫大丈夫、ちゃんと対策しますから……ほら!」と、その場で更新した住人サイトを見せてきた。


 端末の中のデジタル大家が、申し訳なさそうな顔で「危険ですので、手すりに触れないようにしてください」と吹き出しを浮かべている。

 要は、これ以上何か手を打つ気がないらしい。リアルの大家は申し訳0%のドヤ顔だった。


 余談だが、現代における世間一般のアパート管理者からすれば、これでもかなり真面目な部類に入る。

 メンテナンスフリーの更地にしか見えない場所に、住人を住まわせて金をとる者も少なからずいるのだ。


 作業を再開した大家は、ベルトポーチから取り出したスティック接着剤を使って、手すりと窓枠を慣れた手つきで取り付ける。たったこれだけの事なのだが、意外にもアウトドア汚染は基準値を下回った。


 そんな彼女の姿はフタハの好感度を若干回復させ、サメは大家にもらった煎餅(せんべい)のような固いガム(野良生物に襲われたときに差し出す、身代わり食の試供品)と格闘していてそれどころではなった。



「202号室異常なし。それじゃ、大家さんは退室しますねー」

「ちゃぶ台持っていかないでください」


 修繕業者時代の悪癖が抜けきらないデジタル大家は、ちゃぶ台をあきらめてフタハの部屋を後にする。

 フタハも部屋を出て、警戒しながら大家の様子を見守る。


 大家がレイザア伯爵の住む203号室のドアを叩くと、探検家のような恰好に着替えたレイザア伯爵がキャメルに乗って登場した。


 203号室のドアからは、部屋に収まりきらなかったのであろう無数のシダ植物がはみ出し、中からは得体のしれない生物の鳴き声や、水の流れる音が聞こえてくる。

 一体どんな内装になっているのだろうか。


「レイザア伯爵さんっ 何乗ってるんですか! 軽車両は駐車場に止めてくださいー」


 どうやらキャメルはペットに含まれないらしい。


 いい加減疲れてきたフタハは、外廊下に吹き込む風に背を押されて自室へと引き返す。

 流れる空気は、寒くも暖かくもない季節特有のものに変わりつつあった。




 ――フタハの足取りは重かった。

 "いつもの"前開きパーカーにショートパンツ。少し前に流行った黒い耐ビームハイソックスの、今思えば何の意味があるのかわからない耐ビームコーティングは()げて久しい。


 唯一新しさが見られる運動靴で歩く道は、かつて旧人類が使用した避難施設を元に拡張されてきた地下第2層と地上を繋ぐ、106号地上出口を中心に広がった、百六町(ひゃくろくちょう)を南北に走る百六町商店街のアーケード通りである。


 商店街のアーケードは、天井部分に数メートル間隔で、換気扇のようなアウトドア防護装置が取り付けられており、外気の吹き抜ける大通りとの交差点付近と南北の出入り口付近を除けば、室内と同等の安全な環境を用意することが可能だ。


 そんな商店街も、1年ほど前に隣町に進出してきた巨大な駅前商業施設の影響によって、元から高かった静音性がさらに向上し、並ぶ店の3件に2件は、版権に配慮しない落書が描かれたシャッターが下りている。


 環境保全の為か、はたまた予算がないのか、洞窟を思わせる薄暗さを演出するサボタージュの照明の下。

 フタハはこの景気の悪い光景に徐々に勇気づけられ、同じく景気の悪い自分の置かれた状況を振り返る。

 回想を妨げるシャッターの落書きから目をそむけながら――




「今日の17時(ごじ)までに滞納分の家賃が振り込まれない場合、吊り天井を落としますからねー」


 突如としてフタハの元に現れたデジタル大家がとんでもない事を告げてきたのは、タイムリミット3時間前の事だった。


 本当に吊り天井なのかとサメが尋ねると、デジタル大家は203号室を使って"吊り天井withプレスマシン"の実演をしてみせ、レイザア伯爵のワンルーム探検場は巨大な一歩で完全踏破(ぺしゃんこに)された。


「形あるものはいずれ壊れる運命なのか……」

「それ変ですよー、形がないと壊せないじゃないですか」


 次元の下がった203号室の内装を寂しげに見つめていたレイザア伯爵は、デジタル大家の返しに驚きの表情を浮かべ、「いやはや、全くだ」と言うと、上機嫌になる要素がどこにあったのかは定かではないが、はっはっはと笑いながらキャメルに乗ってどこかへ旅立ってしまった。


 デジタル大家が言うには、レイザア伯爵は世界中に別荘を持っており、このアパートは隠れ家的位置づけなのだとか。対してこのアパートの一室にしか住処(すみか)のないフタハは、なんとしてもこの状況を乗り切る必要がある。


 17時前にまた来ますねーと言って帰って行くデジタル大家を見送ると、フタハは全て無かったことにしてベッドにもぐり込み、状況を正しく判断できていたサメによって無事引きずり出された。



 フタハの主な収入は、数少ない知人に紹介された耐環境薬モニターのアルバイトである。

 仕事内容は、アウトドア耐性が上がる事を期待された薬を服用して、その効果を試し、結果や副作用などを報告するという簡単なものだ。


 効果はだいたい説明書通りの結果が出たが、特に副作用が見られなかったので、チョコレート味のが美味しいなどと報告していたら、今年に入って価値の低いモニターに分類されてしまい、報酬が激減してしまった。

 メーカー側の本命がプリン味であった事と、平均寿命1週間の仕事を2年も続けられたことが原因らしい。


 それでも節約すればぎりぎり生活可能な報酬額だったのだが、嗜好(しこう)品の購入や家電の修理などで少しずつ赤字がかさみ、気付けば家賃3か月分を滞納する状況になっていた。


 サメはちゃぶ台に頭を乗せて窓の外を眺め、対面のフタハはちゃぶ台に肘をついてドアを見つめたまま動かず、壁にかけられた白い円形の時計はアウトドア汚染でもう動かない。


 まるで時間が止まったような部屋に、アパート裏にあるホテル前の道路を、駆け抜ける車の音だけが絶え間なく響いている。


 さして長くも短くもない沈黙の後、


「「よし!」」


 1人と1匹は同時に行動を開始した。



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