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いぇぬびーの箱と消えたシベリアウルフ  作者: 新道・アラン・エイネン
吊り天井が落ちるまでにできること
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サメの一本釣り


 もうそんな季節ですか。もうそんな季節です。

 住みなれた町でしたが。住みなれた町です。

 夏には戻られますか。夏には戻ります。


 弁柄色(べんがらいろ)の切妻屋根の上で出稼ぎのスパロー達が、短い言葉をひっきりなしに投げ続けていたが、すぐ下の部屋から、がったがたと窓が開く音がしたので世間話を中断し、足に巻いた時計を見るとあわてて飛び立つ。昼休憩の時間はとっくに終わっていたのだ。


 側面の立体駐車場から吹き込む風を受けて、ぐぐっと上昇すれば、四方を建造物に囲まれた小さな緑地はみるみる小さくなってゆく。

 右側面にある商店街のアーケードを2階と3階の中間で支える雑居ビル群の屋上では、固定の甘い対空砲が風にあおられて転がっていた。



 一方、アパートの室内では、特に固定されていなかったサメが、突然開いた窓からの突風に転がっていた。あお向けになっても両胸ビレで大切に守っているのは、文庫本サイズの携帯端末だ。先日なるから渡されたサメ用のものである。


 現在サメは、携帯端末でタッチ操作の訓練に励んでおり、とりあえずペット業を行う生物ご用達の交流サイトを使って、情報交換ができるまでになっていた。


 サメの端末画面に表示されるアウトドア計は既に振り切れており、見れば数センチの隙間を開けられた玄関のドアの下で、ドアストッパー機能付きアリゲーターフィギュアが尻尾を挟まれている。風通しが良いわけだ。


 サメは体を起こし、胴体側面に内蔵されたマジックハンドのような機械式サブアームを使って、携帯端末をエラの後部にあるストレージに収納する。

 風の吹きこむ窓に向きを変えて見れば、フタハが窓の外側にある手すりに上体を投げ出して、干された布団のようにもたれかかっていた。


「このままアウトドアにさらされて、風になりたい」

「そうか、がんばれよ」


 アウトドア耐性のある生物が風化するのにはかなりの時間を必要とする。

 サメは気の長い自殺だなと思いながら、せっかくなので、普段自分が寝床にしているタオルケットをくわえて持っていく。


 窓の手すりの上、フタハの隣にちょうどいいスペースが余っていたので、そこにタオルケットを干して胸ビレでぺしぺし叩く。

 舞い上がるほこりは、外気の汚染具合となかなかいい勝負ができるのではないだろうか。


「サメ、私も叩けばほこりが出るよ」

「叩く前からほこりまみれだろ」


 サメがフタハの注文する「もうちょっと下」の下方向が頭側なのか腰側なのか悩んでいると、背後で炊飯器がピコピコと断末魔を上げる。

 室内に侵入した外気が、アウトドア耐性のない生活家電を壊し始めたのだ。


「ダメージコントロールっ!」


 フタハは干されたまま、無駄に通る声で不条理なことを叫びながら、足を使って転がっていた自分の携帯端末を器用に操作する。


 玄関のドアに挟まれていたアリゲーターフィギュアが、フタハを真似るかのように後ろ足でドアを外側に少し押して、ジジジとゼンマイ動力で玄関の中に前進、ドアをぴたりと閉めた。

 頭上ではフタハが同時に操作していたのだろう部屋の空調が、外気の除去を開始した。


 良くできた人間は叩けばほこりが出るのだが、良くできてない人間はほこりを払うことで光る部分が見えてくるのだろうか。

 サメはこの端末操作技術が本当にうらやましく思えた。


 さあ早く私を引き上げるんだと注文するフタハは、自分でこの状況を作っておきながら一歩も動く気がないらしい。サメは体を乗り出して、フタハの寝間着の裾をくわえて引き上げようとした。その時。


 ばきんっ!


 良い音を立てて、窓の外側にあった手すりがアパートの壁から丸ごと外れて、そのまま地面へと落下する。

 サメは体を曲げ、尾ビレで閉じている側の窓ガラスを支点にして、後を追って落下しそうになる、フタハとタオルケットを部屋の中に叩き込む。


 ところが、フタハの体が起き上がって窓枠を通過したところで、今度は窓ガラスが窓枠ごと外れ、サメを連れてアパートの庭に落ちていく。


 窓枠と共に落ちていくサメに投げられたタオルケットは、こんなこともあろうかと思ったかどうかはわからないが、なるが用意した防刃繊維。

 窓を失った壁に右足を乗せてタオルケットを引き上げるフタハの姿は、まごうことなきサメの一本釣りだった。



 とりあえず、カーテンをテープでとめて壁の穴をふさいだものの、アウトドア濃度は一向に下がらない。

 フタハは尽くせる手は尽くしたといった顔で、ベッドの上に横たわるサメの隣に腰掛け、動かなくなったテレビの斜め上を見つめながら言った。


「これは、デジタル大家に報告するべきかな?」


 デジタル大家ってなんだと尋ねるサメに、フタハは説明する。

 デジタル大家とはこのアパートの大家で、あまり姿を見せることがないらしく、基本的に携帯端末でしか連絡が取れないことから、住人の間でそう呼ばれていると。


 実は、フタハが引っ越してきてからも何度か出現していのだが、タイミングが悪かったのかフタハ自身は一度も会った事がない。


 サメは自分の携帯端末を使って、フタハのアカウントで住人サイトにログインする。

 トップページには、フタハさんは家賃を3か月も滞納しています。今月支払われなかった場合、釣り天井を落としますね。といったエキセントリックな文章が、可愛らしい女性キャラクターの吹き出しに書かれていた。

 良く見ると、キャラクターの下には"デジタル大家"と書かれていて、これが公式名称らしい。


「マジかよ、デジタル大家すごいな」


 サメは天井を見上げ、フタハは何も見なかったことにした。


「とりあえず窓を回収してくる」


 サメはせめて着替えて行けと言うが、どうせ誰に遭遇するわけでもないので、気にせずフタハが玄関のドアを開ける。



「やあ、フタハ君、これからお出かけ……ではないようだね」


 偶然にもたった今帰宅したのであろう、隣の部屋に住んでいるレイザア伯爵が会釈(えしゃく)する。

 その後ろには、これまた偶然にも定期点検の為にデジタル界からやってきた(なま)大家がいた。大家は、先程表に落下した手すりと窓枠を持って、今まさにフタハの部屋を訪れようとしていたのだ。


 フタハはそっとドアを閉めた。


「何で?」

「忠告はした」


 フタハは着ていたボロ寝間着をベッド上のサメに叩きつけて、いつもの外出用の服に着替えると、寝癖で床と天井を間違えている髪に応急処置を施した。その間、部屋の外から聞こえてくる声が誰のものかと問うサメに、フタハはデジタルでない大家だと説明した。


「一目見てわかるほど似ていたのか?」

「そのものだった」


「フタハさん、大家です。開けてくださいー。開けてくれないと合鍵で……あれ? 鍵がささらないですよ? フタハさん? フタハさーん」


 鍵がささらないのは、ドアがこの前取り換えられた新品だからである。

 フタハは、いっそこのまま放置しようかと思ったが、天井を落とされては困るので玄関へと向かった。


 トントン……めきっ、ばたむ。


 フタハの目の前でドアが枠ごと外れ、部屋の中へと独立したドミノのように倒れこんできた。

 もう1歩玄関側に近づいていたら、ドミノが2枚になっていたであろう。


 風圧で折角整えたフタハの髪が重力に逆らって逆アーチを形成する。そして――


「あ、惜しい」


 倒れた1枚のドアを挟んで、フタハと大家、2人は対面した。



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