邪教の改造生物は闇夜を駆ける
カメレオンは、その言動からは考えられないほど(失礼)、少なくともフタハよりは利口だった。
挟み撃ちによって進むに進めなくなり、倉庫の壁を背に前後をけん制するフタハの頭のすぐ横に、ドンと何かが突き刺さった。
3Dプロジェクターの明かりに照らし出されたそれは、子供の腕ほどの太さがあるカメレオンの舌だった。相手の立ち位置から見て、長さ3メートルはあるだろう。
「おねえちゃん! 壁ドンだよ! 壁ドン!」
予備なるが叫ぶ。
近くで見ると、流体金属によって形成されるというカメレオンの舌は、やすりと言うよりもおろし金のそれに近く、大根との相性が期待される。
舌先から垂れるぬるりとした液体は、唾液ではなく刃の滑りを良くするための潤滑油で、使い終わったてんぷら鍋の臭いがする。
今この舌が引き下ろされれば、フタハの右肩から左わき腹にかけて、大変ファンタスティックな事になってしまうだろう。
予備なるは涙目で、おねえちゃんが死んだら立派なピラミッドを立てるからねと、ありがたくない提案をしている。
何か、何か手はないか?
フタハは予備なるに時間を稼ぐように目配せした。
しかし予備なるに反応がない。伝わらなかったのだろうか、そう考えてフタハはようやく気付いた。予備なるは最寄りのカメラをハッキングしてこちらの様子を見ているので、立体映像に目配せしても無意味なのだ。
「カメレオンたち注目!」
フタハが4匹のカメレオンに話しかけると、4匹がその顔を見る。言葉は通じているようだった。
「ここにかわいい妖精さんがいます!」
なんとなく察した3D映像の予備なるが両手を腰に当てて"前へならえ"の先頭のポーズをとる。
「幼女……」
「幼女だ」
「幼女ぺろぺろ」
「幼女ぺろぺろ上陸作戦」
予備なるを見てカメレオンたちが、翻訳機では間違っても翻訳されそうにない事を口走る。幼女ぺろぺろ上陸作戦って何だ!? 作戦――そういえばカメレオンのベースは、かつて戦場に駆り出された改造生物だった。フタハは改造生物学の授業を思い出す。
確か戦時中に兵器運用された改造生物には、暴走した時に備えて、緊急停止コードが用意されていたはず。
「なるちゃん! カメレオンの緊急停止コードは?」
予備なるはハッとした表情を見せると3D映像からその姿を消し、代わりに音符マークが表示された。携帯端末の音声再生モードだ。再生を開始した携帯端末からは、何とも言えない音が流れだし、カメレオンたちはピタッと動きを止めた。これはすごい。
しかしフタハは、緊急停止コードをピコピコした電子音だと勝手に思い込んでいたので、端末から流れるお経……般若心経に、着ようとした服のサイズが合わなかった時のような表情を浮かべた。
ともあれ、命の危機は去った。後方の道をふさいでいた3匹のカメレオンの隙間を抜けて、元来た壁沿いの通路を歩くフタハ。
そしてその後ろを、離れてついてくる4匹のカメレオン。
「停止してないし」
「だって、カメレオンの停止コードってオリジナル(ジャイアントカメレオン)のしかないよ?」
今追いかけてきているのは戦後にオリジナルを改良した(レッサー)カメレオンなのだ。緊急停止コードの効果が無くてもおかしくはない。と言っても先程は確かに動きが止まっていた。つまり……
「なるちゃん、もう一回緊急停止コードを流してみて」
「はーらみったー」
予備なるの変な掛け声とともにサンスクリットサウンドが流れ出し、追いかけてきていたカメレオンたちが再び動きを止める。そのまま距離を取るフタハ、音が聞こえない距離まで来ると、再び動き出すカメレオン。
とりあえずこれを繰り返し続ければ、いずれは市街地まで逃げ切れそうだ。市街地の入口では、24時間勤務の3等市民が野良生物撃退業務に就いている。
フタハが勝ったなと言ってにやりと笑うと、携帯端末から聞こえていた般若心経が止まった。
ポケットから端末を取り出して見ると、バッテリー残量が見事に無くなっていた。
3Dプロジェクター機能と全開の音声再生が、予想外にバッテリーを消耗させていたのだ。
街の灯りはまだ遠く、振り返って見れば4匹だったカメレオンは、いつの間にか8匹に増えていた。炭酸飲料に置き去りにされた空き缶が、かんからと夜風に転がされてフタハの前を横切る。
「あぁぁぁぁぁー!!」
フタハは走り出した。終わりの見えない悪夢に耐えきれなくなったのだ。当然それを遠目に見ていたカメレオンたちも、ぺろぺろ言いながら駆け足で追いかけ始める。
しかも、
「色即ぺろぺろ!」
「空即ぺろぺろ!」
「ぺろぺろ波羅蜜多!」
梵語混じりである!
さすがにこれだけ騒ぐと、少数とは言えこの辺にも存在する周辺住民が、フタハたちに気づくことには気づいた。が、8匹の改造生物にダッシュで追いかけられているという、地獄のような光景を目の当たりにしてなお、手を差し伸べる事ができる者などおらず、皆そっと自宅のカーテンを閉めた。
錯乱するフタハが、比較的大きな交差点に差し掛かった時。普段ならこの時間帯における交差点の信号機は赤点滅なのだが、今夜は景気よく赤黄青の全色が点滅していた。暗闇の中でひときわ目立つ色彩にフタハが気づくと、今度は全色消灯し、右折可の矢印信号だけが光った。
信号機の下部にはドーム式のカメラが取り付けられている。
「なるちゃん?」
この際なんでもいい。フタハが交差点を右に曲がるとそこには古い踏切があった。旧時代に使われていたものがまだ残っていたのだ。踏切内は雑草が生い茂り、線路があるのかどうかもわからない。
フタハが踏切内に入ると同時に警報機が鳴り、遮断機が動き出し……中途半端な角度で止まる。カメレオンはすぐそこまで来ていた。
フタハは引き返すと、錆びついて動かないのだろう遮断機の根元に駆け寄り、体重をかけて無理矢理水平に押し倒す。
突然目の前に下りてきた遮断機にカメレオンたちは急停止。隣の車線をふさがないように2列横隊にきれいに整列する。カメレオンたちは、来るはずのない列車を待った。愚かな事に彼らは、とても利口であったのだ。
フタハはひたすら道なりに走り続け、ようやくカメレオンが見えない距離までくると、そのまま路上に倒れこんだ。
こんなところで休んでいる暇はない。レッサーカメレオンにあるかはわからないが、オリジナルのジャイアントカメレオンには謎の追跡能力があったはずだ。
わかっていてもフタハはもう動ける気がしなかった。
そもそも足跡や臭いによる追跡ではなく"謎の追跡"とはいったい何だろうか、そんなどうでもいい事にしか頭が動かない。
限界だった。




