くだらないこと
私は人間が怖い。
あの何を考えているのか、よく分からない生き物がとても怖い。どうしても怖い。
なぜ、面白くもないことで笑えるのだ。なぜ、悲しくもないことで泣けるのだ。なぜ、他人の為に怒れるのだ。
人間が貼り付けた表情の、裏側にある本当の表情が読めない。そのことが何よりも恐ろしい。
笑い、泣き、怒る、その裏側に何を思っている?それは嘲りだろうか、呆れだろうか。それとも、何も思ってないのだろうか。
別に人間不信というわけではないのである。信じていないのではない。私だって友人達と笑う時、心の中では嘲っているのだろうなんて疑いながら笑ったりしない。きっと私と同じく楽しい思いで笑っているのだと信じている。
だが、ふと不安に駆られる。私ばかり楽しいのではないかと。私以外は楽しんでる私を見て、馬鹿馬鹿しいと嘲笑っているのではないかと。
私の気持ちを、心を、思考を、正しく理解し、正しく解釈し、自信を持って正解だと言えるのは、私だけなのだ。
それと同じこと。所詮は他人。他人の気持ちを私が理解することは絶対に不可能。正解を知るのは当人のみ。
信じる信じないの問題ではない。分からないということは恐怖の対象である。分からないからこそ恐怖する。
怖いものは怖いのだ。私は人間が怖いのだ。
この恐怖は一生私についてまわるだろう。死ぬまでついてまわるだろう。
いっそ、何も考えないで、ただ楽しく笑ってられたら幸せだったのに。
人一倍臆病者の私は、人一倍顔色を伺おうとして、大人になるにつれ、より一層の恐怖を覚えた。本心で笑わない大人の、人間の怖さを。
笑顔を浮かべながらも怒る人、不幸な自分に浸り泣きながらその裏で笑う人、嘲りながら見下したように、それでいてそれを隠し微笑む人。
短い人生で見てきた醜い人間の姿。その姿が脳みそに焼きつき離れず、私は恐怖する。
私は臆病者だ。臆病者だ。
自分が人間であるということすら恐ろしい。この私も醜く残酷な人間という生物なのだ。大人になってしまった私はもはや化物なのだ。
私は醜い。私は残酷だ。私は化物だ。
その現実が受け入れられない、卑怯者だ。
私は人間が怖い。どうしても怖い。家族も友人も含めた、本心の分からない他人が怖い。自分も含めた、醜い人間の存在が怖い。
いらないもの、弱いもの、優しい人、全てを簡単に蹴落とし切り捨てることのできる人間の残酷さが怖い。
そんな嘘も本当もない、白も黒もない、不毛で、くだらないことを考えて、ひとりで勝手に怯えて、今日が終わった。
失礼いたしました。