四つの翼を持つ天使様
これからの生活の宿となる学園寮に向けて歩き出したのだが、そこに辿り着くまでに広過ぎる庭を見学しながら向かった。というのは建前で迷子になりかけて居た。庭に氷の様に透明でキラキラと輝くバラの様な花が植えて有り、目を惹かれ手を伸ばすとナイルが慌てて止めに入った。
「危ねぇなぁ。この花は見た目が宝石みたいで綺麗だけど、下手に触れると指切断されるからな?」
「ん……待って。指が切断って穏やかじゃないね……こんなに綺麗なのに」
「花びら一枚一枚が刃物だからなぁ。加工すればアクセサリーとか色々飾りに使えるし、触る事も出来るんだけど、このままだと危ないから気を付けろよ?」
良く見ると茎の部分にも小さな結晶の様な物が付いて居る。不用意に触れるとノコギリで切断された傷痕が出来てしまいそうだ。綺麗な薔薇には刺があるとは良く言うが、この花の場合は刺では無く刃物だった。
「それにしても広いねー。一つの村位有りそう」
「確かに。寮は多分あの大きめな建物だと思うんだけど……」
「遠くからでも見えてたけどさぁ、寮にしては大きくない?」
学舎を出て広い庭を抜けた先に城を小さくした様な建物があった。思わず二人して見上げて居ると、どこからか桃色の小さな蝶が飛んで来た。何かと不思議に見て居ると私達の目の前で止まり、そして声を発した。
「君達は今日から通うドーエン兄妹よね? そんな口を開けて無いで早く入ってらっしゃい。怖く無いから」
蝶からする可愛らしい声に驚きつつもこれも魔法なのかと感心し、意を決してナイルと共に寮と思わしき建物へと足を踏み入れた。中は石造りでステンドグラスが辺りに施されて居る。再び立ち止まり感嘆の声をあげていると、一人の女性が微笑みながらこちらへと向かって来る。ふと気が付くと何時の間にか蝶が消えて居た。
「凄いでしょう? 私もここに来た時、君達と同じ様に驚いたわ。いつ見ても綺麗よね……あ、自己紹介も無しにごめんなさい。私はここの寮長をしているリーゼロッテです。宜しくね、ナイルさん、アイさん」
名前を知って居る事に驚くとリーゼロッテは笑みを零し、私達二人の手を取った。
「うふふ。寮長なのですから、知って居て当然です。それでは早速お二人の部屋へ案内しようと思うのだけれど部屋は……うん、二人は隣同士なのね。部屋を変える事も出来るけれどどうする?」
ナイルを見ると目の前のリーゼロッテに圧倒されている様で固まって居た。部屋を変更する理由は無いのでそのままでと返答すると、リーゼロッテは笑顔で案内し始めた。
「お二人の部屋はリバスト棟の165号と167号です」
「あれ? ここって一つの建物じゃないんですか?」
「お、良い所に気が付きましたね。一つの建物ですが、それぞれ棟名が付いて居るのです。君達が行くのはリバスト郷の棟、他にアンナーバ卿、チリーナ郷、マハラヌ郷、スネイラビ卿。五人の魔導師の名が付いた棟に分けられて居るのです。理由としては分けないと迷うから、という事らしいです。それなら数字で良かったのではと思ってしまいますよね。まぁ偉大な魔導師ですから、光栄ですし分かり易いのですが……。ではこちらの水晶に手をかざして下さい」
五色の水晶の内白い水晶に左手をかざすと魔力が吸い取られる感覚と同時に、手の甲に165と数字が浮かび上がった。そして直ぐに溶ける様に消えて行った。
「これで君達は登録されました。他棟に入るには許可が必要ですが、リバスト棟には出入り自由です。部屋に行くには号室を読み上げ魔力を流せば部屋の前に転移します」
「転移だけですか?」
「一応階段も有りますが……階が尋常では無いですよ? 体力作りには良いかもしれませんけどね」
「あー……成程」
「では私は用事が有りますので、ここで失礼しますね」
リーゼロッテは笑顔を浮かべ私達の元か去って行った。先程から一言も発しないナイルを見ると、何故か眉にシワを寄せて居た。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ん、ああ……さっきの人……いや何でも無い」
言いかけた言葉が気になるが、余り深く聞かずに早速部屋へと向かう事にした。水晶へ手をかざし自分の部屋の号数を口に出すと、眩い光に包まれ一瞬にして扉の前に転移した。程なくして隣の部屋の前にナイルも転移して来た。鍵をどうするのかと悩んで居ると、魔力を流せばそれが記憶され鍵代わりになると教えてくれた。
「そっか、魔力ならそれぞれ違うもんね。じゃあ一旦それぞれ部屋入ろうか」
「おう。じゃ、また後で」
荷物をナイルから受け取り部屋に入る姿を見送ってから、自分もドアノブに魔力を流し部屋へと足を踏み入れた。中の造りは1LDKで一人で住むには余裕がある程広い。備え付けのテーブルや棚も豪華で慣れるまで緊張しそうだ。部屋はベッドの有る寝室一つと、風呂とトイレが別にあった。
「後で追加料金とか無いよね……まぁ良いや。ナイルの所に行こ」
自分の部屋から出ると丁度ナイルも部屋から出た所だった。
「あれ? もう良いのか?」
「ナイルこそ早いね」
「部屋でする事も無いしなぁ。生活道具は使う時に出せば良いし、それになんて言うか、落ち着かない」
「ああ解る。豪華過ぎるよね。高級ホテルってこんな感じなのかなぁ。行った事無いから分からないけど」
「俺はホテルって物知らないけどな」
そう言って笑うナイルに釣られ自分も笑うが、前世界の事を軽々しく言ってしまう癖は気を付けなければと心に誓った。
「ユーラはまだ生徒会のお仕事中かな?」
「どうだろうな。部屋までは聞いて無いから行けないし……とりあえずさっきの所で待ってようか」
ここから先程のロビーまでどう戻るのかと考えて居ると、ナイルが廊下端に有る階段横の水晶を指した。
「あれに触れながら一階って言うか、思い浮かべれば行けるんじゃね?」
「あー、便利だねぇ」
共に手を水晶に重ね一階と口に出すと、白い光に包まれ一瞬にしてロビーに転移した。椅子に腰掛けステンドグラスを眺めて居ると、漸くユーラが現れた。
「おや、どうされたのですか?」
「待ってたんだよ。部屋に居てもやる事が無いしな」
「そうでしたか。お待たせしてすみません。ですがまだ部屋でやらねばいけない仕事が有りまして……」
「そうなのか。じゃあどうする? って言ってもアイは怪我人だもんなー。今日はこのまま解散するか。何かやるなら明日でも大丈夫だろ」
ナイルは欠伸をすると立ち上がった。それに次いで私も立ち上がる。腕はまだ痛みは有るが、先程よりは和らいでいる様だった。
「アイ。腕は大丈夫ですか?」
「うん! 今日は有難うね、ユーラ。医務室まで一緒に来てくれて」
「いえいえ、当然の事をしたまでですので。お二人のお部屋はどちらに?」
「私は……誰だっけ……リバストさんだっけ? 白い水晶の所。ナイルが166号室で私が165号室」
「リバスト卿ですか。私はチリーナ卿の187号室です。もし私の部屋に訪ねる事があれば、その時は黄色の水晶に手をかざして187号室に呼び掛けて下さい。私が居れば入る事は可能ですから」
因みにとユーラは、カノンの部屋はスネイラビ棟の最上階で555号室、黒い水晶が鍵だと教えてくれた。スネイラビ棟には貴族が主に入って居るらしい。カノンの緊急事態や呼び出し以外には近付かない様に徹底しなければ、私はいつか面倒事に巻き込まれてしまうだろう。
「気を付けよ」
「ん? 何に?」
「え? あ、ごめん。何でも無い。じゃあそろそろ戻ろうか。ユーラとはここでかぁ。今日は有難うね」
「いえいえ。ではまた明日」
ユーラは水晶に手をかざしながら手を振り部屋へと消えた。見送った後知らぬ間に出ていた溜息にナイルが首を傾げた。
「どうしたんだよ。さっきから」
「うん……。ナイルにもユーラにも迷惑掛けてばっかりだし、これから先も色々有るんだろうなぁって……」
「ほんとアイって凄い気にするよなー。俺達兄妹だろ。ユーラには何か今度お礼すればいい。そんなに気にしてると疲れて何も出来なくなるぞ。まぁ……アイの場合事情が事情だし仕方無い気もするけどさ。何ていうか、気にし過ぎ」
「そうだよね……気を付ける」
「おう!」
笑顔で背中を強く叩いたナイルは、その勢いでよろけた私を見てすぐ様謝罪をし始めた。その姿に笑うとナイルは困った様に笑った。そして二人で水晶へ手をかざし部屋の前へ転移をした。
「それじゃあまた明日ね、ナイル」
「何かあったら直ぐ呼べよ?」
「うん! 壁ドン連打するね」
「カベドン……?」
「あ、うん、そうだよね。壁叩くか、何か念を頑張って飛ばすね」
「分かった。俺も頑張って飛ばすわ。まだ時間早いけど一応おやすみ、アイ」
「おやすみ」
部屋に入るナイルを見送り私も自室へ入った。まだ寝るには早い為、まずは生活道具を揃える事にした。
「えーっと、歯ブラシ歯磨き粉タオル……歯磨き粉って出せるかなぁ……」
テーブルの上に掌を向けて魔力を流すと、一本の歯ブラシと真っ白な新品のタオルケットが創造された。次に歯磨き粉を強く想像しながら再び魔力を流す。少々時間は掛かったものの、白いチューブが現れた。手に取り蓋を開けるとミントの香りがする歯磨き粉が出て来た。
「うん。問題は無さそう。そう言えばキッチンにまな板とか包丁とかあるのかな、無かったらそれも作らなきゃ」
流し台には蛇口の無い水道は有るがコンロという物は無く、鍋を置く台と下に窯の様な物があった。近くの棚には薪と石が入れてある。火打石で薪に火を付けるという事は出来そうだが、蛇口の無い水道はどうやって水を出すのか分からない。魔法で水も火も確保出来る為、水道も薪や火打石も余り出番は無いかもしれない。まな板と包丁は見当たらなかった為、鍋やフライパンと箸やおたまとフライ返し等、料理に使用する道具を揃え、棚へと片付けた。
「調味料は……流石に買おうかな。魔法で作り出しても結局は前の世界の記憶から出来た物だし、慣れる為にもこの世界の物を使わないとね。あ、そう言えば夕飯ってどうするんだろう。各自で自由なのかな?」
時間はと辺りを見回すが時計などは見当らない。この世界では何を持って時間を計って居るのかと考えて居ると、どこからか鐘の音が聞こえた。
「授業始まる前にも聞こえたし、多分今のが時間を知らせる鐘かな? 一時間置きに鳴ってるって思えば良いのかなぁ……時計欲しいなぁ……でもそれも前の世界のだもんなぁ……うーん……」
どうしようかと悩んでみたものの解決策は出ず、ナイルの元へと向かった。ノックすると中からナイルの返事が聞こえ、扉が開いた。
「お待たせ。どうした?」
「ナイルごめんね。聞きたい事が……」
扉を開けた先に居るナイルは腰に一枚タオルを巻いただけの姿だった。幾ら家族とは言え血の繋がって居ない異性のほぼ裸体姿は流石に恥ずかしい。目のやり場に困って居るとナイルは笑い声を上げ、着替えるから部屋に入って待っててと迎え入れた。言われた通りに部屋に入り椅子に腰掛けてナイルを待った。そして戻って来たナイルはしっかりと服を着ていた。
「いやー、悪い悪い。汗臭かったから風呂入ってた」
「こっちこそごめんね? 急がせちゃって」
「気にすんなって。で、どうした? 何か問題でもあったか?」
時間をどうやって計って居るのか、そして夕飯はどうするのかを質問すると水を飲みながらナイルは答えた。
「時の知らせの事か? もしそれならさっき鐘鳴っただろ。あれが一応それだ。あれが一日24回鳴ってる。夜は控え目にな」
「ふーん……細かいのは分からないの?」
「適当だな。仮に用事があっても何回目の鐘の時にどこでとか、そういう感じで約束するんじゃね? そんな困る事も無いしな。まぁ俺は太陽の位置で分かるけど」
「ちなみにさっきのは何回目?」
「15回目。一回ずつ鐘の音の高さ違うから、慣れればアイも間違え無いよ。後はそうだな、時間って言い方は他の人には伝わらないかな」
「え!? 何で!?」
「俺は師匠がたまに使ってたから慣れてるけど、他の人が使ったのを聞いた事が無いからな。アイが知ってるって事は、アイが居た世界の言葉なんだと思う」
「そうなんだ……。有難う、ナイル」
15回目という事は15時位だろう。前の世界で慣れた分刻みの時間の概念が、この世界では無駄な事の様に思えて来てしまう。楽になったとは言え、鐘の音を聞き逃したら一大事だ。気を付けよう。
「んで夕飯なー。ここだとどうすんだろうな? 食堂には夕飯は19の鐘の時までやってるって書いてあったけど」
「そうなの? 気が付かなかった……。じゃあ食堂行く?」
ナイルは腕を組み眉を寄せた。学園に慣れる為にも食堂を利用するべきでは有るが、ナイルは余り乗り気では無さそうだった。
「行きたくは無いけど……飯は美味かったしタダ飯だし……。うーん、ユーラに聞いてから決めるか」
「それもそうだね。ユーラはまだお仕事中だよね」
「だろうなぁ。とりあえずどうするか聞くだけ聞いてみるか」
「じゃあ今行こうか」
「おう!」
部屋を出ると一階まで戻り、ユーラの居るチリーナ棟の黄色い水晶に手をかざした。187と呼び掛けると番号が浮かび上がり水晶は淡い光を放ち出し、暫くして私とナイルは転移した。目の前には私達と同じ部屋の扉が有り、187の数字が付いて居る。ノックしようとした時、扉が開きユーラが顔を出した。
「お待たせしました」
「いや、全く待って無いよ。ごめんね? 忙しいのに。夕飯はどうするのか聞きたくて」
「ああ、そう言えば何も決めてませんでしたね。私は食堂でいつもカノン様と食事をしているのですが、良ろしければご一緒にいかがですか?」
「ナイルどうする?」
食堂以外を期待していたのかナイルは少し考えた後、頷き食堂で夕飯を取る事に決めた。
「じゃあ皆でご飯食べよっか。ユーラとカノンさんはいつ頃夕飯取ってるの?」
「18の音ですね。それまで鐘はまだ鳴りますが、私はこの山積みの書類を整理しなければなりませんので……」
テーブルの上に積み上げられた書類を手に取ると、アラドナル魔法学園競技大会実行委員会という文字があった。
「ユーラは実行委員なんだね」
「生徒会に属して居ますので必然的に実行委員になりました。おかげで毎日この山とのにらめっこです」
「俺この紙一枚見るだけで頭痛くなるわ。あんま無理すんなよ?」
「ありがとうございます。勿論、無理はしない程度に頑張ります」
書類の山を軽く叩き笑顔を見せるユーラ。余り長居しては迷惑だと思い、ナイルにそろそろ部屋を出ようと提案をした。
「おや。もう行ってしまうのですか?」
「うん。お仕事の邪魔したくないし」
「そうですか……。では夕飯時にまたお会いしましょう」
「また後でなユーラ」
私達はユーラに見送られ部屋を出ると水晶に手をかざし1階へと戻って来た。特にやる事もなく時間が来るまで何をしようかと椅子に座り相談を始めた。
「俺は用事も無いし、アイに合わせるけど」
「用事かぁ……あ。買い物がしたいかなぁ。料理に使う調味料とか」
「色々あったから俺はアイを行かせたくないけど……」
「そうだよね……ごめん」
「なーんてな! 次は俺が絶対離れないから大丈夫! 任せとけ!」
親指を立て笑顔を見せるナイルだが、私と共に居る事でまた何かに巻き込んでしまうのではという不安が顔から出ていたのか、困った様に眉を下げた。
「俺じゃあ不安かもしれないけどさ」
「違うよ。そういう事じゃない。ナイルは凄く頼りになるし私より強いもん」
「ま、アイが考えてる事は解ってる。どうせまた迷惑掛けるとか思ってんだろ? アイの悪い癖だな」
「うっ……ごめん……」
「その癖も少しずつで良いから直して行こうな! ほら行くぞ! 街を廻ってたら直ぐ待ち合わせの時になるからな!」
立ち上がったナイルは私の手を引き寮を出た。門を出る時に音が鳴り、振り向くと二人の名前が点滅し赤くなり消えた。外出したという記録だろうか。戻って来た時にもう一度確認をしよう。再び来たラハマーズは以前と変わらず賑わっている。出店のコーンのショウユウ焼きの香ばしい良い香りもして来る。
「良い匂いだねぇ」
「買うなら一緒に買いに行くからな!」
「うん!」
「お? そこのお嬢ちゃん、ハント家の兵士に撃たれた子じゃないかい?」
和気あいあいと話しながら歩いて居ると突然花屋の店主が声を掛けた。
「あ! あの時助けに来てくれた方ですよね? その説はありがとうございました。おかげ様でこの通り助かりました。本当にありがとうございました」
「そっかそっか! いやー、あの後無事だったか気になってたんだ。無事な姿が見れて安心したよ。じゃあ快気祝いにこれプレゼントだ! 持って行きな!」
花屋の店主は花を数種まとめ紙で包んだ花束を差し出した。貰えないと遠慮したのだが、店主は引き下がらず、有り難く頂く事にした。
「こんなにたくさん……すみません、ありがとうございます。お花を買いに来る時はここに来ます!」
「おう! そうしてくれると店としても助かるよ。それにしてもお二人さんお似合いだな!」
「……え?」
「一緒になって長いのかい? 良いねぇ。おじさんも若い頃はさぁ」
「ちょ、違います! 私達兄妹ですから! い、行こ! ナイル」
「お、おう」
「またな! 仲良くやれよ!」
「仲良くしますけど違いますからね!」
私達をカップルだと勘違いした店主は否定した事に対し照れ隠しだと捉えたのか、兄妹という事を信じてはくれなかった。傍から見ると私達は付き合っている様に見えて居るのだろうか。前の世界では家族以外の誰かと出歩く事なんて一切無かった為、ある意味新鮮な気分では有る。
「ん? 俺の顔に何か付いてる?」
「いや、何も付いてないよ。私ショウユウは欲しいなぁ」
「俺も買おうかな。何に使っても美味くなるんだよな!」
ナイルに連れられ調味料が売っている店へと向かい、醤油、塩胡椒、砂糖等のメインで使う調味料を手に入れた。この世界での呼び方が他は比較的そのままなのにも関わらず、塩だけがソルトゥと英語風な事が気がかりだった。
「目的達成したな!」
「そうだね。色々目移りしちゃって危なかったなぁ。これからどうしようか。約束の時間までまだ有るみたいだけど」
「あー……じゃあギルドで暇潰さね? クエストとかどんなの出てるか見てみたい」
「私もシオさんの笑顔見たいし行こっか」
店を後にし歩きつつ新たなる目的地を決めた私達はギルドへ足を向けた。ギルドの中は相変わらず賑わって居り、受付のシオも忙しなくしている。
「あ、俺クエスト見たいんだけど良い?」
「じゃあ私は大人しく座ってるね」
ナイルは壁に貼られたクエストを見に行き、残された私は空いているテーブル席へ腰を下ろし、ぼうっと受付に来る人々を眺めて居た。するとこちらに気が付いたシオが満面の笑顔で手を振った。接客中の為私からは声を掛ける事なく、手を振るだけで留めた。暫くして人の流れも一段落した頃合いを見計らって、受付のシオの元へと向かった。
「こんにちは、シオさん」
「アイさんいらっしゃいませ!」
「今日は何だか人の出入りが多いですね。何か有るんですか?」
「今日はクエストの更新日なんです!」
「クエストって依頼が出た時点で掲載されるんじゃ無かったんですか?」
「それも有るのですが、報酬の高いクエストの場合はこちらで一度預かりまとめて掲載しているんです。バラバラで出してしまうと一人の方の独占になってしまう事も有りますので、なるべく皆さんが当る様に、お一人一つまでという決まりを付けて居るんです」
「なるほど」
一人の男性が壁に貼られたクエストの用紙を手に受付へと向かって来る。
「お仕事の邪魔をしてすみません。戻りますね」
「邪魔だなんてそんな事有りません! ですがお心遣い、有難う御座います。……いらっしゃいませ!」
シオは男性から用紙を受け取り接客を再開させた。ナイルの方へと目を向けると、腕を組み何やら難しい顔をしながらクエストを見ていた。
(受けたい依頼でも見付けたのかな?)
ナイルの元へ向かおうとした時、見知った人の声が聞こえて来た。振り向き確認すると部屋の奥からキリアがブツブツと文句を言いながら不機嫌そうに出て来た。
「いや何で俺があそこまでやんなきゃならねぇの? 俺の仕事じゃねぇだろ。大体何だってあんな……あ」
「こんにちは、キリアさん」
私に気が付いたキリアは一瞬で間合いを詰めると抱き着いた。思わず身体を跳ねらせ身構えたが、キリアの機嫌が良くなるのならばと受け入れ落ち着かせる様に背中を軽く叩いた。
「キリアさん、皆さんが見てますのでそろそろ離れてくれると助かります」
「見られても別に良い」
「いやいや、私が困るんですけども」
離そうとしないキリア苦笑していると、こちらに気が付いたナイルが慌てて駆け寄った。
「ちょっ何してんだよ! 幾らギルドマスターだからってアイに気安く触るのは許さないからな!! 早く離れろって!!」
「いやギルドマスターとか関係無しに触れ合いたいだけだし。ナイルに触ったらダメって言う権限無いんじゃね?」
「……師匠に言付けてやる」
「なっ! 汚い奴だなー」
渋々離れたキリアだが距離がかなり近い為、ナイルは間に割って入ろうと身体をねじ込んだ。周りは空いてるのに何故かここだけすし詰め状態だ。
「んで? 二人は今日どうしたんだ? 授業は?」
「今日は使い魔と魔武器の生成をして授業中はおわりました。私はいろいろあって途中で抜けてたんですけど」
「色々って何。ってかアイ怪我したのか? 微妙に怨恨付いてるよな」
「まぁその……」
起きた事を端折りながら説明すると、キリアの顔は見る見る内に険しい物に変化して行った。
「またかよ、糞ガキが……怖かったろ? 怪我も大した事無くて良かったな」
「ナイルが助けてくれたので、これだけで済みました」
「そうか。本当に頼むぜナイル。学園に居る間は俺は守る事が出来ねぇから、お前が頼りなんだからな」
「言われなくても守りますし。役不足感は否めないけど、出来る限りの事はするつもりです」
「……お前あれだな。昔のミールに雰囲気似てるよな」
「え、昔の師匠ってどんなだったんすか?」
「んー、お前みたいな感じ?」
「俺みたいなって結局どんな感じか分かんないんすけど」
ナイルは腕を組み考えて居るがどこか嬉しそうな表情をしていた。
「マスター! 少し宜しいでしょうか!」
「おう! ごめんなちょっと行ってくるわ」
シオに呼ばれたキリアは受付へと向かって行った。私達は椅子へと腰を下ろしその様子を眺めた。するとキリアから流れる魔力がほんの少し濃くなり、話を終えると笑顔で私たちの元へと戻って来た。
「いやーごめん、仕事入ったから行く事になった」
「そうですか……大丈夫ですか?」
「心配してくれてありがとうな! こう見えて俺強いから大丈夫。じゃあナイル、アイを頼んだぞ」
「任せて下さい!」
「ん。二人共気を付けて帰れな」
私の頭を軽く撫でたキリアは転移を発動し消える前の一瞬、物凄い殺気を放って居た。ギルドマスターとしての仕事なのか、帝としての仕事かは分からないが、何やら相当な案件らしい。帝になったのに私は呑気に学園に通い始めて居る。このままで良いのだろうか。
「なーにまた難しい顔してんだよ。ほらそろそろ戻るぞ」
「あ、うん。じゃあシオさんに挨拶して行こ」
ナイルと私は忙しそうにするシオへまた来ると挨拶をしギルドを後にした。学園の前に来ると門の所に私達の名前が赤字で浮かび上がって居た。門をくぐり抜け振り返ると、赤字から青へと変化し消えた。
「ほんとだ。名前出てたんだな」
「やっぱり外出したかどうかの確認なんだね。凄いなぁ」
「これからどうする? まだ早いけど先に行くか?」
「荷物置きたいかなぁ」
「ああ、そうだな……って荷物はボックスに入れてるだろ」
「……あ、そうだった。忘れてた」
「そういう抜けてる所も面白いよな、アイって」
「からかわないでよ!」
「からかってませんー」
一緒に街を歩いたからか、少しナイルとの距離が縮まった気がする。二人で笑いながら待ち合わせの食堂へと向かった。中に入ると生徒達が各々好きな様に食事をしている。見た所ユーラの姿は無い為、空いているテーブルで待つ事にした。
「おい貴様」
背後から声を掛けられ何事かと振り向くと、こちらを蔑む様な目で見詰める男子生徒とその後に興味無さげな態度の男子生徒が立っていた。一応辺りを見回したが話し掛けられたのは間違い無く私達だった。
「……何か用ですか?」
「ふん。用が無ければ貴様ら平民に等声を掛けるものか」
「ああ? 何だよお前ら。喧嘩でも売りに来たのかよ」
苛立ちを隠せないナイルが立ち上がり私の前に出ようとしたが、騒ぎを大きくする訳にも行かない為制止した。
「それで、私達に何のご用ですか? 私達今待ち合わせしてるんですけど……」
「そんな事知るか。貴様、俺の下僕を何処へ隠した。早く返して貰おうか」
「……ちょっと何言ってるのか分からないんですけど、まず下僕って何ですか?」
「貴様……あくまでも白を切るつもりか!! 平民の分際で!! 貴様のせいで俺がどんな惨めな仕打ちを受けたか!!」
男子生徒が私の胸ぐらを掴んだ瞬間、脳裏にあの日の記憶が浮かび上がった。思い出してはいけないと思えば思う程、色濃く焼き付いて離れない。頭がどうにかなり何かが爆発してしまいそうになったが、ナイルが手を強く握り締め男子生徒から引き剥がしてくれた為何も起きずに済んだ。状況は一切変わって居ないが。
「平民の分際で貴族に刃向かうとは愚かだな!」
「ここでは貴族も平民も関係無いだろ。それに一方的に責め立て更に手を出すとか糞かよ」
「なっ……貴様ぁあ!! 俺を侮辱したな!! 絶対に許さん!!」
庇う様にナイルが私を抱き締めてくれたが、あの日の記憶のせいでそのナイルでさえも怖いと思ってしまう部分があった。今にも魔法を放ちそうなナイルと男子生徒の間に、白い花びらがひらりと降って来た。それはまるで場を落ち着かせようとして居る様だった。そして、一人の女子生徒の声が聞こえて来た。
「ここは、皆が各々休息する安住の場所。それなのに何の騒ぎでしょうか」
「カ……ノン……様」
人々の間が開き姿を現したのはカノンとユーラだった。怒鳴り散らして居た彼は罰が悪そうに顔を伏せた。
「あら。カルダレン卿と、フーバー卿じゃないですか。何をなさって居るんです? 私の友人に何か用でしょうか」
「えっ、いやその……」
口篭る姿にこちらから声を掛けようかと考えていると、黙って居たナイルが僅かに震えて居た事に気が付いた。
「ナイル、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ、何でも無い」
「ん? 今ナイルって……」
怒鳴り散らして居た彼カルダレンの後方に居る男フーバーがナイルの名前に反応した。それに伴いナイルは拳を強く握り締めて居た。この二人は何か関係が有るのだろうか。
「カルダレン卿、貴方は問題を起して自室待機中の身ですよね。それなのにも関わらず、ここでも騒ぎを起こすのは賢明では有りません。……ああ、そう言えば学園長先生の所へどうやらカルダレン卿の父君もいらっしゃってる様でしたけど……向かわなくても宜しいのですか?」
「え……父上が何で……。くそ!! おい貴様!! 許さないからな!! 覚えておけ!!」
カルダレンは足早に立ち去った。フーバーも何やらナイルを気にしながらも後を追って立ち去って行った。
「彼は悪い方では無いんですけど、あの騒動の後から気が立って居て……」
カノンは立ち去る彼等を見送りながら溜息を吐くと、こちらを向き心配そうに見詰めた。
「あ、あの……大丈夫でしたか? もっと早くに来れたら助けられたのに……申し訳御座いません……」
「謝るのは私の方です。夕飯の前にこんな騒ぎにカノンさんとユーラを巻き込んでしまって、すみません……」
「いえいえ、私達は一向に構いませんのでお気になさらないで下さい。さ、お夕飯を頂きましょう!」
カノンは空気を一変させる様に、明るい笑顔で私の手を取ると席へと誘導した。
「ありがとうございます。でも私、少し風に当たって来ますので、カノンさん達は先に召し上がって居て下さい」
「アイ? 大丈夫か?」
「うん。ちょっと頭を冷やすだけだから。それじゃあちょっと行って来ます」
心配をする面々に笑顔を見せると食堂を抜け、月明かりに照らされた中庭へとやって来た。誰の姿も無い中ベンチに腰を下ろし一息吐く。優しい風が心地好く、淀んだ空気を払い去ってくれそうだ。ぼうっと月を眺めて居ると地面から光が溢れ出し魔法円が展開した。
「仕事が負わって来てみれば、何なんだよその顔は」
声が聞こえたと思えば、目の前には人型のディルクが腕を組み険しい表情で立って居た。
「お疲れ様、ディルク」
「変な笑顔だな」
「酷いなぁ」
使い魔にはどれだけ見繕っても心が通じ合って居る為無意味なのは承知の上だった。溜め息を吐きながら地面へ視線を落とすと、頭を優しく撫でられた。顔を上げようとするが、何故か押さえ付けられて居る様でピクリともしない。それ程までに怒って居るのかと思い、問い掛けるがディルクは反応をしなかった。
「ディ、ディルク? 仕事終わりなのにごめんね? もう変な顔しないからさ、手避けてくれる?」
「俺は、お前と契約した時に全てを見た。だから常に傍に居るつもりだったが、アイはそれを望まなかった。……だから俺は仕事を、やるべき事をやった上で傍に居ようと決めた。アイは一人じゃないだろ。自分だけで何とかしようなんて考えるな。それを心に刻むまで手は退けないからな」
「……全部、本当に見たの?」
「見た」
「そっか。見ちゃったか……」
「どの世界でも人間は救いようの無い生き物だと痛感させられた」
「天使が救いようの無いなんて言っちゃ駄目でしょ」
思わず笑ってしまうと後方から物音がし、ディルクの手が頭から避けられた。そしてその人物を確認する為振り向くと、そこには驚きの表情を浮かべたカノンが立っていた。
「ご、ごめんなさい……覗くつもりは無かったんですけど……」
「カノンさん、どうしてここに?」
「その……アイさんの様子が気になって……大丈夫ですか?」
「心配して来てくれたんですね。ありがとうございます。私は大丈夫です」
「それなら良かった……。あの、そちらの方は?」
「私の使い魔です。こっちも心配して来てくれました」
そう言うとディルクは罰が悪そうに顔を背けた。
「えっと、天使様ですよね?」
「あー……はい、そうです。一つ聞いても良いですか? 天使を使い魔にするのは結構有る事なんでしょうか」
一般的に珍しい事では無いのであれば、隠す必要性は無い。しかし、滅多に無い事であれば、余り知られない様にしなければならない。カノンは小さく頷き口を開いた。
「天使様を召喚する事はお聞きしますが、四つの翼をお持ちになる天使様は、私の中では初めてです」
「なるほど……ん? 四つ?」
気が付かなかったがディルクを良く見ると白い翼が二つから四つへと増えて居た。どういう事かと問うと、位が上がると増えるものらしい。
「悪かったな。人型で来たせいで存在がバレた」
「大丈夫だよ。カノンさんなら。……カノンさん、この事はなるべく秘密にして頂けませんか? 余り大事にしたくは無いので」
「分かりました。私の心の中に閉まっておきます」
「ありがとうございます。助かります。そう言えば、夕飯は食べました?」
「いえ、まだです」
「それじゃあ戻ってご飯を食べましょうか」
「はい!」
笑顔を見せたカノンを見ると、受付嬢のシオと同じ様な癒し効果が有る様に感じる。
「俺は一旦戻るぞ」
「うん。来てくれてありがとうね、ディルク。元気出たよ」
「……別に暇だっただけだ」
「何、照れてる?」
「うるさい! 帰る!」
四つ羽を広げたディルクの頭上に魔法円が展開し、そこへ向けて飛び立ち姿を消した。
「わあ……綺麗ですね……」
「口は悪いけど、本当に優しくて頼りになる使い魔さんなんですよね」
「だって天使様ですもの。私の使い魔さんは見た目がとても可愛いんですよ!」
「へぇ! 今度お会いしたいなぁ」
「それは良いですね! 今度お茶会をしましょう!」
花が咲いた様に満面の笑みで笑うカノンと共に食堂へ戻ると、テーブルの近くを右往左往するナイルの姿が目に飛び込んで来た。
「アイ!」
「ただいま。ナイル、ユーラ」
「だ、大丈夫か? 具合悪いのか? さっきの野郎に何かされたか? ごめんな、気が付いてやれなくて……」
「違うよ。ちょっと頭を冷やしてたの。だから大丈夫だよ。心配させてごめんね?」
「大丈夫なら良いんだけど……。えっと……カノンさん、ありがとう御座いました」
言葉に詰まりながらも礼を言うナイルに対し、カノンは何もしてい無いと大きく首を横に振った。
「ささ、早くお食事をしましょう! それにしても、お二方とお食事が出来るなんて夢の様です!」
「カノンさんにそう仰って頂けてるととても嬉しいですけど、夢の様は言い過ぎじゃないですか?」
「あ! そうだ! アイさん、私に敬語なんてお遣いにならないで下さい。ここでは私達は対等な立場ですし、共に学ぶお仲間なんですから。勿論ナイルさんもですよ! ね? ユーラ」
無邪気に笑うカノンを見たユーラは困った様に笑うが、それを肯定する様に頷いた。
「え、お、俺も!? いやでも流石に敬語遣わないのはちょっと……だって、なあ?」
「む。私が良いと言っているのですから、是非そうして下さい!」
「まぁ……頑張ってみます……頑張るよ」
「はい!」
それから私達は学園についてカノンから様々な事を聞きながら食事を済ませると、丁度鐘の音が聞こえた。
「お夕食が間に合って良かったですね!」
「ごめんなさい、私に付き合って貰ったから急がせちゃいましたね」
「もう! アイさんまた敬語になってますよ!」
「カノンさんもね?」
「あっ……私は良いんです!」
「ふふ。さあカノン様、部屋へお戻りになる時間です」
ユーラが立ち上がりカノンの背後に立つとカノンは不服そうに口を尖らせたが、それでも駄々を捏ねることなく分かったと立ち上がった。さり気無くユーラが椅子を引いている所を見ると、執事というのは紳士だと改めて感心した。
「じゃあ俺等も戻ろっか」
「そうだね」
寮へ戻る途中、遠くにカルダレンと見知らぬ男性、そして険しい表情のネピアスの姿が見えた。どうやら話し合いを終えカルダレン親子を見送りに出て居る様だった。
「それではお休みなさい。アイさん、ナイルさん」
「お部屋までお見送りを致しますので、私もここで失礼しますね」
「うん。お休み、二人共」
水晶へ吸い込まれ消えて行く二人を見届けた私達も、自分の部屋へ戻る為黄色の水晶へ手をかざし部屋番号を思い浮かべた。意識が一瞬遠のく様な感覚の後、目の前には自室のドアがあった。
「うう……」
これまでは平気だったのだが、何故か急に吐き気が込み上げて来た。幸い嘔吐する事は無かったが、それでも胸の辺りが気持ち悪い。ナイルは心配をし私の背中を撫でてくれて居た。
「大丈夫か?」
「な、何で……急に……」
「多分だけど、転移酔いじゃね? 慣れれば大丈夫だけど、慣れて無いと身体が追い付けないんだよ。水晶同士が魔力で繋がっててそれが管みたいになってるんだけど、その中を俺らが通るんだ。スピードも早いし身体も多分細かい魔力の粒みたいになって、それから再構築するからな」
「詳しい……ね……」
「俺もなった事があってさ。師匠が教えてくれたんだ。取り敢えず、落ち着くまで一緒に居るから安心してな」
「ありがとう……」
ナイルに支えられながら私の部屋へ入りベッドへ腰を降ろすと、ナイルが食器棚から木製のコップを取り出し蛇口の無い水道から水を入れた。
「あれ……? 何で、水出るの?」
「ん? 少し魔力を流せば出て来るよ。はい、お水」
「そっか、魔力か……ありがとう」
一口二口と水を飲むと、少しずつ胸の気持ち悪さが取れて行った。
「ごめんね………また迷惑掛けちゃって」
「迷惑の内に入んねぇって」
「……あのさ、聞いても良い?」
「ん? 何を?」
「さっきナイルの様子が少し変だったから気になってるんだ。知ってる人?」
笑顔を浮かべて居たナイルだが、私の問い掛けに対し困った様に眉を下げ俯いて黙ってしまった。
「……言いたくないなら無理に言わなくて良いよ。気になっただけだし」
水を飲もうとしたがナイルがそれを阻止し「一口頂戴」とコップを取ると、一口所か一気に飲み干してしまった。
「……あいつさ、あいつは……俺の弟なんだ」
「そう……弟さんだったんだね……」
「まさかこんな所で会うなんてな……覚悟してたけど、不意打ちだったからどう反応したら良いのか分かんなくて」
「弟さん、フーバーって言われてたけど……」
「ああ、フーバーは家名だよ。あいつはパトリク・フーバー。で、俺の本来の名前はナイル・フーバー。忘れるかと思ってたけど、忘れられなかった」
自虐的に笑うナイルにどう声を掛けようかと悩み、落ち着かせる為に日本茶を思い浮かべテーブルへ手を向け魔力を放出し創造した。目の前に現れたやかんを手に取り、教えて貰った様に水道へ魔力を流し鍋に水を溜め釜戸へ起き、魔法で火を付けるとティーポットに茶葉をセットした。
「突然過ぎて何も言えねぇ……」
「お茶でも飲もうかなって。お湯が沸くまで待ってね」
「やっぱり凄いわ」
「そんな事無いよ。ナイルは弟さんを見てどう思ったの?」
「……大きくなったなって思った」
「そっか」
お湯が沸きティーポットへ入れテーブルまで持って来ると、食器棚からティーカップを二つ取り出しテーブルへと置いた。
「あいつ、俺を見て化け物でも見るかの様な顔してた。そりゃあ死んだって思ってた奴が生きてたら驚くよな」
「化け物って。もしかしたらずっと探してたかもしれないよ?」
「どうだか。苦労も知らない様な顔してたし」
「まぁ……貴族だったらお金には困らないだろうしね。……はい、お茶どうぞ」
「ありがとう……何か優しい色してんな」
「味も優しくて、美味しいよ」
香りを嗅ぎ一口飲み込むと、頬を緩ませて居た。少し緊張の糸が解れた様に感じる。
「何だこれ……美味いな……」
「落ち着くでしょ?」
「うん。何かほっとした……。アイ。聞いてくれてありがとう。少し楽になった」
「話を聞く位なら私も出来るから、何時でも話してね。ナイルの妹なんだしさ」
「おう! それじゃあアイも元気になったみたいだし、部屋に戻るよ」
「付き添ってくれてありがとう」
「いや、俺の方こそ話を聞いてくれてありがとう。あとお茶もな?」
「うん! また明日ね、お休みナイル」
「お休み」
笑顔を取り戻したナイルを見送り、椅子へ腰を下ろして一息つく。転移酔いにも驚いたが、まさかナイルの弟にあの場で会うとは思わなかっただけに心の整理が追い付かない。パトリクの様子からナイルの事には気が付いた様だが、名前に反応しただけの可能性も有る。
「ナイル……大丈夫かなぁ……」
残りのお茶を飲み干し後片付けを済ませ、就寝の支度をする。この世界にシャワーを浴びるという事が有るのかと疑問に思って居たのだが浴槽の他にシャワーも備え付けられている。魔力を流すとそれに伴い水が出始めた。魔力を流す強さに比例して水の出る強さも変更される様だ。
「水のシャワーは風邪引きそうなんだけどどうすれば……ナイルに聞いておけば良かった」
僅かに身体を震わせながら試行錯誤していると、解決方法が見付かった。魔力をただ流すだけではなく、温かいや冷たい等の温度も想像しながら魔力を流せば、それが水に反映されて温度に変化が出る仕様だった。
「魔力が無かったら生きて行くのにもの凄い苦労する世界なんだなぁ……」
しっかり身体を温めて上がると水道に魔力を流し常温の水をコップへ注いだ。一気に飲み干した後、椅子へ腰を下ろし一息吐く。確認した所、腕の傷はかなり綺麗になっては居るが、完全に痕を消す事は出来ないらしい。他にも傷を負った箇所には痕が残っていた。この世界に来てからまだ日は浅いが、かなりのペースで傷者になっている。
「……体持つかなぁ」
就寝の準備をし、眠気が来るまで魔法の教科書を読む事にした。イメージだけでも固めて居れば、本番でも魔力を込め過ぎる失敗も未然に防ぐ事が出来る。やらなければならない事だらけではあるが、それも少しでも長くこの世界で生きる為に必要な物だ。
「ふう……よし! 頑張るぞ!」
光属性魔法と闇属性魔法の教科書を読み終えた辺りで眠気が来た為、ベッドへと横たわった。見た目通りの寝心地の良いベッドだ。
「おやすみなさい……神様」
胸に手を当て神様へと念を飛ばす。するとどこからか暖かな風が私の頬を撫でる様に通り過ぎ去った。そして吸い込まれる様に私の意識も遠くなって行った。




