始まりの章14 鶴木 源一郎
その部屋には、一人の老人が横たわっていた。そのベッドの上で窓の外を見ている。しかし、老人は、いきなり開いたドアに気付き、振り返る。そして、そこには一人の少女。老人のその弱々しい目が見開かれる。老人とフィアはここに出会った。そして、二人は静かに見つめ合っていた。
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その沈黙の中、先に口を開いたのは老人だった。
『お嬢ちゃんは何か思い悩んでおるな』
老人は鋭い目付きになり、そして、しばらくして重く弱々しい声でその少女に向かって言い放った。フィアは、その予想してもいなかった言葉に耳を疑う。フィアは、老人からの言葉をたくさん予想していた。そのどの予想も裏切り、老人はフィアの心情を一発で的中させたのだった。当然、フィアは動揺している。そして、フィアは聞いた。
「な、なんで?」
『儂と同じような目をしておるからじゃよ、いや、少し違うのかもしれんじゃがのぉ』
そう言って老人は下を向く。そして、
『お嬢ちゃんの目は死んでおる』
老人はフィアに向かってそう小さな声で言い放った。フィアはその言葉に口をポカーンと開けるしかない。目が死んでいる。それはどういう意味なのか。フィアは認めたくないが分かっている。まただ。フィアは認めたくない。自分がもう。フィアはもう。フィアは生きることを......。
そして、
「私には」
そう言ってフィアの口は止まる。誰にも言えなかった。言っても信じてくれない人間。そして、言っても許してくれない、何も救ってくれないゼウス。また、この老人も......。フィアの心はフィアの言葉を止める。しかし、
『喋るがいい、この老人が聞かせてくれ』
老人はそう言って上体をベッドの上に下ろし、仰向けになる。そして、老人はフィアの方を見る。フィアはその老人の言葉に背中を押され、重たく閉じていた口を開ける。そして、大きく一回深呼吸をして、喋り出した。
「私は、沢山の人たちを死なせてしまった、いや、殺してしまったの、私のせいで、私がいたから、私がフィアがあの場にいたから、みんなは死んでしまった、ルミウスも、冥界の人たちも、何も何も悪いことしてないのに、私の勝手な、本当に勝手な行動で死んだの、ヘェルもそれで強くなっちゃった、私のせいよ、ヘェルは私がいなかったら強くはならなかった、誰も死ななかった、みんなみんなみんな、私が私ッが、そして、私は何も救えなかった、今だってそう、私のせいなの、この世界の異変は、私がしっかりしてないから、私が賢くないから、私に力がないから、私に救える力がないから、私に強さがないから、私に生きさせてあげる力がないから、私は私は私は、救えなかった、何一つ、何一つもよっ! 私は、この世界を壊しただけっ! 私はみんなを殺したっ! この状況は私のせいなのっ! みんなが変な病気にかかって、死んでいくのを、私は見届けるしかないっ! 助けられない、分からない、何が起こっているのか、私は閉じこもって自分勝手に暮らしていた、最低な奴よっ! こんなことは知らないで生きていたっ! 何一つ守れてないっ! 何一つ救えていないっ、何一つ、生きさせてあげられない、それが私っ! 私はもう失格だわっ! もういない方がいい、いない方がみんなは幸せになれるっ! いない方が生きていられたっ! いなかったら、みんなの笑顔は守れた、私がいたから、私がなっちゃったから、ルミウスもハデスも管理者たちも、ゼウスも人間のみんなの笑顔は消えた、私が私のせいでっ! みんなは死んでいくのっ! 私はだから、私みたいなのが、私のようなッ奴がいるからっ! 私はもう死なせたくないっ! 殺したくないっ! でも、もう遅いの、何もかもがもう遅いの、私には救えない、誰一人として救えないッ! みんなは苦しんでいるのに私にはその苦しみは来ない、あなただってそうなのっ! 私のせいで、私の行動で死んだの、私は悲しいっ! 悔しいっ! 苦しいっ! もうどうにもならないっ! 私は何も出来ないっ! そう"無力"なのっ! 何も出来なかったっ! 今だって動いたって無駄なの、何も出来ないもの、"無力"な私には何をしても意味がないっ! ゼウスやヘェルの言う通りだわ、私は、弱い私は誰も救えないっ! 弱くて何も出来ない"無力"な私にはやっぱり何をしても無意味なのっ! もしかしたら、またみんなを死なせてしまう、私はもうどうしたらいいの、私にはもう生きる価値はない、生きる目的がないっ! 私は生きていてはいけないの、私は私は、死にたいのッ!!!!」
フィアに向かって自分の本音を包み隠さず全て話した。
ーーゼウスは死なせてくれなかった、でも、この老人ならば、私を憎み、恨んでいるはずっ! 私を死なせてくれるーー
フィアの心の中はもう"死"を望んでいる。もう死にたいのだ。フィアは。生きる価値、生きる目的がない。何一つも救えないフィアには何もない。フィアは老人を見つめる。老人はそのフィアの言葉をしっかりと聞いていた。優しく頷き、フィアを見つめていた。そして、老人は、話し出した。
『大変じゃったんじゃな、お嬢ちゃんは何をしてもみんなを死なせてしまう、救おうとしても救えない、本当にお嬢ちゃんは本当に"無力"なのじゃな』
「そ、そうなのっ! だから私は私はッ!」
『そして、お嬢ちゃんは"お馬鹿さん"じゃな』
そう言って老人は笑っている。弱々しく衰弱した笑いが静かにフィアの耳の中に響く。
「な、何がおかしいのっ!」
フィアは老人に向かって怒りながら叫ぶ。老人は笑っていた。真剣に"死"を考えているフィアを笑ったのだ。ゼウスも酷かった。しかし、この老人も、酷い。酷すぎる。
そして、老人は、喋り出した。
『儂は、お嬢ちゃんの気持ちの重たさは知らない、それはそうじゃ、その重みは味わっている者にしか味わえないからの、しかし、お嬢ちゃんは、"お馬鹿さん"じゃっ! 儂は、生きたい、それは当然じゃ、儂には可愛い孫がいてじゃな、その孫が私は大好きじゃ、時々、この病室にやって来るその子と話すことは儂にとってはこの上ない幸福じゃ、でも、死んだらもうその子とは話せなくなる、その子を置いてきぼりにさせてしまうのじゃ、しかし、儂もいつかは死ぬ、人間じゃからな、当然じゃ、でも、それは今じゃ、自分の終わりくらい儂でも分かっておる、じゃがな、お嬢ちゃんに殺されたことを、いや、死なせられたことを儂は恨んではおらんよ、今生きている時間にも人は死んでいく、当然じゃ、生きていたら誰しもが死ぬ、しかしじゃかな、人生は長いのじゃよ、ゴホゴホッ! この人生の中には辛いこともある、悲しいことも、そして、楽しいことも嬉しいこともある、ゴホゴホッ! お嬢ちゃんだってそうじゃ、お嬢ちゃんが、命を絶とうとするのゴホゴホッ!、ゴホゴホッ! ゴホゴホッ! すまない、儂もゴホゴホッ! そろそろ限界が来ているようじゃな、ゴホゴホッ!』
老人はフィアに向かって大量のことを短時間に喋った。当然、体に無理をして。老人の口からは血が出ている。老人の病態は急変したのだった。心拍数は異常な程に上がり、体中が赤く染まっていく。
でも、フィアはその場から動けない。何も出来ないからだ。何もしてあげられないからだ。何も救えないからだ。今までだってそうだったように。今回だって動いたって無駄。もしかしたら、もっと悪くなるかもしれない。でも、今、この老人は、死んでしまうのだ。
ーーダメなのっ! 動いてはいけないのッ! ダメなのっ! 動いては、この老人は死んでしまうのッ! ーー
そんなことをフィアは自分に言い聞かせている。今までフィアはそうやって動ごいて、行動して、人々は死んでいったのだから。
でも、フィアの目からは無意識に涙が出ていた。涙が止まらない。止めようとしても止まらない。フィアの目からは涙が溢れ出てくる。
「な、なんで?! 止まらない、どうしよう、止まらないよ」
そのフィアの言葉にもう死にかけている老人は言う。
『お嬢ちゃんはッ! ゴホゴホッ! やっぱりゴホゴホッ! 優しい子じゃな』
そう言って老人は笑いかける。
「ーーーーーーッ!」
フィアの目からは涙がさらに溢れ出てくる。そして、フィアはとっさに動いてしまう。そして、老人に近寄り、泣きわめく。何も出来ない"無力"なフィアにはやはり救えない。救いたいと思っても老人は血を吐き、苦しんでいる。でも、助けたい、救いたい、でも、
「私は無力なの」
その言葉に老人は、体中の力を絞って、ゆっくりと首を横に振る。そして、
『だから、お嬢ちゃんは救えないのじゃよ、ゴホゴホッ! ゴホゴホッ! ガァッ! クッ! ふぅふぅふぅ、ゴホゴホッ! 命を絶とうとするのゴホゴホッ! クッ!』
老人の言葉はまたしても、同じところで途切れる。言えないのだ。言いたくても、もう体は言う事を聞かない。
「命を絶とうとするのは? 何なの? おじいちゃんッ? い、いや、死なないで、私はもう、私は私はッ! 誰にも死んで欲しくないッ!!!!」
フィアは死にかけている老人に向かって叫ぶ。心の底から叫ぶ。その言葉に老人は痛々しい顔を満面の笑みにして、
『生きろッ!』
弱々しい声だったが、それは確かに力強くフィアの心に突き刺さった。でも、
『だ、ダメなのっ! 私は生きててはいけないのッ!』
そう反論する。それもそうだ。フィアはそれだけのことをした。してしまった。もうこの事実は変えられない。この老人だって、フィアのせいで死んでいくのだ。フィアがヘェルを生かしてしまったから、老人やみんなは死んでいくのだ。そして、フィアは死なない。死なないのだ。だから、フィアは死にたい。こんなことをしてしまった自分をフィアは許せない。
だが、老人はまた首を横に振る。もう本当に死にそうだ。体からは血と一緒に体液や内臓の一部が出てきている。その状態で、死ぬ直前に、老人は、言った。はっきりと。フィアに向かって。
『だから、お嬢ちゃんは"お馬鹿さん"なのじゃよ』
満面の笑顔でフィアに言った。そして、
『ピーーーーーーーーーーーーーーッ!』
病室にその機械音が鳴り響く。フィアに老人はもう話しかけることはなかった。フィアもだ。出てくる涙は止まらない。止めようとしても止まらない。
「私はどうしたらいいの」
フィアは泣きながらそう呟いた。
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老人は笑ったまま死んでいった。
少女の前で『鶴木 源一郎』は死んだのだった。
その頃、ある青年はこの病室を目指し、走っていた。




