裏野駅周辺の怪談話(ろくろ首 その他)
『首の話』
中学生の詩織は、通学路が嫌いだった。
学校は好きなのだが、行き帰りに裏野ハイツの前を通らなければならない。
それがたまらなく嫌だった。
ハイツの階段に、「首」が出るという。
誰が見た、という話は聞かない。
詩織も見た事は無い。
だが、無表情な女の首が
「行くか? 行くか?」
と呼びかけるのだという。
こういうモノには、返事をしなければよい。
それが集落の共通認識であるのだけれど。
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『裏野駅の話』
裏野駅は、古びた木造の無人駅だ。
終点の御厨が、少し大きな町なので、この御厨線という盲腸線には、2両編成の列車が2時間に一本は走っている。
けれど、裏野での乗降はほとんど無い。
駅の北側に狭いロータリーが有るが、コミュニティーバスの乗り場も無い。
電話ボックスがポツンと一つ有るばかりで、客待ちのタクシーもいない。
夜には、薄暗い駅舎に比べて、電話ボックスの蛍光灯ばかりが、やけに目立つ。
駅からタクシーに乗りたければ、電話で隣の集落から個人タクシーを呼ばなければならない。
タクシーの運転手は、裏野駅前から呼び出されるのを、非常に嫌がる、と聞いた事がある。
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『コンビニの話 郵便局の話』
駅のロータリーから、簡易舗装の道を北へ10分ほど歩くと、入り組んだ海岸線を走る県道に出る。
片側一車線の二車線道路だが、この辺りでは唯一幹線道路と呼べる道なので、商用車やトラックがそこそこ走っている。
それでも、御厨と県北の中心都市とを結ぶ国道に、御厨トンネルが開通して峠越えの難所が緩和されたため、交通量は減る一方だ。
県道と駅から道とのT字交差点には、特定郵便局とコンビニが、向かい合わせに並んでいる。
コンビニでは、裏野発の切符が販売委託されており、横には、コインランドリーもある。
郵便局の局長と、コンビニのオーナーは、腹違いの兄弟で仲が悪い。
コンビニが開店した当初は、郵便局を立ち行かなくさせるために、わざわざあのような場所にコンビニを建てたのだと、まことしやかに囁かれていた。
今では、県道の交通量が減ったから、両方とも早晩潰れるに違いない、と噂されている。
コンビニは、現在主流の24時間営業ではない。
夜間には閉めている。
一方で、コインランドリーは無人の終日営業だ。
夜中にでも、乾燥機がぐるぐる回転している事がある。
誰が回しているのか、人影を見たことはないのだけれど。
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『公民館の話』
詩織は裏野小中学校に通っている。
学校は、駅から南に歩いて、ほぼ10分。
小中学校と言っても、私立の一貫校ではない。
過疎地特有の、小中併設校だ。
小中学校の北側には、平屋の公民館が建っている。
公民館は、葬儀にも対応出来るように、斎場設備も整っている。
裏野集落では、冠婚葬祭は自宅の家屋敷で執り行う事がほとんどだ。
だから、裏野公民館で葬儀が行われる時には、近隣の町で葬儀が混み合い、葬儀場の手当てが出来なかった人が使うのだ、と聞く。
先日も、喪服を着た知らない人々が、公民館を出入りするのを見かけた。
公民館の北側には、二階建ての文化住宅「裏野ハイツ」が建っている。
裏野ハイツの建物に、南向きの窓が無いのは、葬儀を上から見下ろす事が無いようにするためだ、と聞いたことがある。
詩織の学校に、ハイツの住人から苦情が来たことがある。
その人は、203号室に住んでいて、南側の壁にボールをぶつける悪戯を止めるように、という事だった。
朝のホームルームで、校長先生が皆に注意したのだが、注意しながら先生も不思議そうな顔をしていた。
ハイツの南側は公民館が、軒を接するように建っている。
203号室の人は、すぐに引っ越してしまったそうだ。
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『ろくろ首の話』
詩織が学校からの帰り道、不意にひどい雨に降られて、雨宿りに裏野駅に逃げ込んだ事がある。
折り畳み傘は差していたのだけれど、それでも制服がびしゃびしゃになってしまう程の夕立だった。
駅舎には、二本の傘を持った先客が居て、困ったように空を見ている。
「こんにちは。」 詩織が挨拶すると、
「すごい夕立ですね。だいぶ濡れましたね。」 と返してくれる。
先客は、裏野ハイツに住んでいるオジサンだ。
駅に向かって歩いているのを、時々見かける。
朝、登校する途中で出会うと、「おはよう。」と挨拶してくれる。
二人並んで、せめて小降りにならないか、と空模様を眺めていたが、オジサンは
「散歩ついでにと、歩いてきたのが失敗だったなあ。クルマで来れば良かった。」
と言う。
詩織はこの機会に、以前からハイツについて噂されている「首」の話を聞いてみよう、と思った。
「ふむふむ。女の生首か。……怖いよね。僕は見た事が無いけれど。」
馬鹿にされるか、と思ったけれど、オジサンは結構真剣に詩織の話を聞いてくれた。
雨宿りの暇つぶしにちょうど良い、と思ったのかも知れない。
そして
「幽霊というものは、生前の姿か死んだ時の姿で現れるのではないのかなぁ?」
と首をかしげた。
「首だけの怪異の話も有るけどね。ろくろ首とか。」
ろくろ首とは、首が伸びるオバケではないのだろうか? 詩織は疑問が顔に出てしまったらしい。
オジサンは、詩織の表情を見て取ると、少し笑って
「ろくろ首にはね、首が伸びるタイプと、首が抜けるタイプの、二種類があるのですよ。」
「首の伸びるタイプは、妖怪物の映画や漫画なんかによく出てくるよね。昔は胴体役と首役の二人一組で演じる見世物興業なぞも、有ったのだそうですよ。でも、世界的にみると、首が抜けて飛ぶタイプの方が、多いみたいですね。小泉八雲の作品にも、ろくろ首の話があるけれど、あれも抜け首系ですね。確か『飛頭蛮』とか、言ったかな? 夜になると、首だけが空を飛ぶ。」
詩織は、小泉八雲を読んだことはあったけれど、『耳なし芳一』や『ゆきおんな』は覚えていたが、ろくろ首は記憶に無い。
「でもね、幽霊とは違って妖は、呼びかけてくる時に、同じ言葉を重ねる事が出来ないものだと言います。電話で『もしもし。』と言ったり、黄昏時の暗がりで『もしもし。』と呼びかけたりするのは、相手に自分は妖ではないと示すためでね。山姥の話にも、山中で『オォーイ。』と一言呼びかけられて、返事をすると命を取られるが、我慢出来れば豊作になる、などという話も有る様です。だから、妖なら『行くか? 行くか?』と重ねて訊ねるのは変ですね。」
オジサンは少し考え込んでいるようだったが、
「そうとばかりも言えないか。海坊主だか海座頭だかの話で『ほい、ほい。』と呼びかけてくる話が有ったのを思い出しました。……それに、やろか水の話だと、怪異は『やろか、やろか。』と言ってくる。」
詩織は、その「やろか水」の話が気に掛かった。
「行くか? 行くか?」と問いかける首女と、「やろか、やろか。」と呼びかける やろか水は、どことなく似通ってはいないか?
「やろか水に返事をすると、どうなるのですか?」
「やろか水は名前の通り水の怪異でね、肝の据わった男が『来さば、来せ。』、来るなら来てみろと言い返したところ、鉄砲水がドッと押し寄せて、全てを流し去ったと伝えられています。怪異には返事をしないというのは、正しい選択なのかもしれませんね。」
辺りが暗くなってきたが、やっと雨も小降りになった。
「そろそろ御神輿を上げれそうだね。君はどこまで帰るの?」
オジサンは、一本の傘をステッキ代わりにして立ち上がった。もう一本を差して帰るのだろう。
「家は郵便局のすぐそばです。」詩織は答えながら、やっぱりハイツの事が気になった。このオジサンは今からあそこへ帰るのだ。
「変な噂話をして、ごめんなさい。……帰るの、怖くないですか?」
「幽霊だか妖だか、首が出たらビックリするだろうね。でもね、社会に出ると、本当に怖いのは『何かを決める事』なのですよ。ほんの些細な事でも、決断することによって物事が動き始めます。時に思いもよらない方向に。ああ困ったと後悔しても、動き出したものは止められない。良かれと思って始めた事が、あるいは見送った事が、結果として不幸を生んだり、何かを壊したり……。それでも人生において『決める事』から逃れる事は出来ません。」
オジサンはポケットから煙草を取り出したが、詩織を見て、それをポケットに戻した。
「私の隣の部屋には、仕事上のミスで、ある不幸を起こしてしまった人が引きこもっていました。その人が、許してもらえるかどうか分からないが、もう一度誠心誠意謝ってみると決断したので、駅まで送りに来た帰りなのです。アパートに帰る私より、謝りに向かう隣の部屋の人の方が、何倍も怖い思いをしているのでしょうね。…………ああそうだ。もしも帰り着いた時に首が居て『行くか? 行くか?』と聞いてきたら、『どうしたら良い?』と逆に訊ねてみましょう。質問に質問で返すのは、会話の上ではマナー違反なのですが。何と答えてくれるでしょうか。」
オジサンは傘をひょいと差し上げて挨拶すると、駅舎を出て行く。
詩織は「首が何か返事してくれたら、教えて下さい。朝、会った時にでも!」と呼びかけた。
オジサンは二、三度うなづくと、手を振って夕暮れの雨の中に去って行った。
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『登校の話』
オジサンは首に会ったのか、首は何と答えたのか、詩織は結局聞くことが出来ず終いだった。
詩織は毎朝決まった時間に登校したが、二度とオジサンに会わなかったから。
もしかしたら、オジサンは急にクルマ通勤に変えたのかもしれないし、仕事が忙しくなって一本早い電車に乗る事になったのかもしれない。転勤で遠くの街に行ってしまったのかもしれない。
それでも朝、学校に向かっている時には、今日はオジサンが生真面目な笑顔で「おはよう。」と挨拶してくれるのではないか、と思ってしまう。
その時には、聞きたい事がたくさん有るのだ。
隣の部屋の人は、どうなったのか。
何かを決断するというのは、やはり怖い事なのか。
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「若宮君、これがAIが書いた怪談?」
准教授がハードコピーを読みながら訪ねてくる。
「はい。怪談のテンプレ化は、『新耳』他実話怪談系のものと、通常怪奇小説のミックスですが、『後になって知った事ですが……』という類型のタイプは削除しています。怪談において、無理に辻褄を(つじつま)を合わせる必要は無いと考えたものですから。」
若宮史織は、生真面目な顔で返答する。
「舞台は、用意されている裏野ハイツを使用していますが、周辺情報の肉付けには、私の故郷の村谷集落の情報を入力しました。怪談内で語られる噂話等も、私が中学生の頃に村谷で経験したものを学習させています。」
「怪談としての怖さについては、及第点は貰えないかもしれないね。『怖いモノ』とか『怖さ』についての概念は、学習が進んでいるようだが、『怖い』という感情を理解出来ていない、と言ったら良いのかもしれないね。また、内容的に曖昧な部分も見受けられる。『オジサンの隣の部屋の人』が、101号室の姿を見せない同居人を指すのか、102号室の住人を指しているのかも分からない。」
准教授の指摘に、史織は
「それでもAIが、妖よりも実生活における決断の必要性の方が、より怖いという見解を示したというのは、見るべき所が有るように思いますが。」
と主張してみるが
「そうかね? 紀伊国屋文左衛門の話にも、一つ目大入道の海坊主が出た時、『世の中、商売よりも恐ろしいものはない。』と文左衛門が全く動じなかったという例があるし、ありきたりと言えばありきたりだね。どこからか、そういうサンプルを拾ってきたのだろう。僕だったら、隠していた秘密が露見してしまう事の方が、より恐怖かな? 人間、保身のためだったら、何でもするからね。」
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准教授の部屋を辞去して、廊下を歩きながら、史織はホッとしていた。
実はAIが書いた部分は『ろくろ首の話』の部分までだ。
AIはその後に『再び ろくろ首の話』と話を繋げたのだが、史織は読後、その部分を破棄した。
そして『登校の話』を史織自身が創作し、全体としての体裁を整えた。
そうでもしなければ、AIが生み出した
『裏野集落に、古くから住まう人々は、初潮を迎える時期になると、抜け首に変じる。』
などという文章が、表に出てしまう。
史織は首筋を撫でて、そっとため息をついた。