とある青年の後悔2
「……は、きっと俺ではダメなんです」
夢の中でそう、誰かが言っている。
何故、それを俺に見せるのか?
神がいるならば、随分と意味深なことをするものだとそう思う。
わざわざ、名前を伏せるくらいならば、見せなければいいのにとも、そう思ったりもするが。
「それは何故?」
優しく、諭すように少年に聞く男性。
同性な俺でも、ドキリとするような美声だった。きっとこの人は、たくさんの人を魅了出来る人なんだろうとそう思う。
「……には、違う誰かが心にいる。俺はその彼と似ているのかもしれません。だから、側に無意識的においてもらえているのだと、何故かそう感じました」
……勘の鋭い子だとそう思った。
そして、危ういともそう思う。
「身代わりにされているとでも?」
怪訝そうな顔一つせず、男性はそう優しい声で少年にそう問う。その姿を見て、やはりこの人は優秀であり、人望の厚い人だと確信した。
「いえ、そうではないんです」
「と、言うと?」
「きっと彼は気づいてないんでしょうが、俺を見る彼の目は、まるで子を見るような大人の目でした。彼自体は本当に俺のことを友人だと思ってくれているのでしょうが、だけど彼すらも知らない何かが、そうさせているのではないかと」
酷く、抽象的な説明だった。
曖昧で、憶測でしかない思想。
「……は、きっと前世の記憶がある」
「何故、そう思われるのです?」
「無意識的だろうね、月の夜必ず寝つきが悪いようだ。必ず、たった一人のきっと男性の名前だけを呼び、謝り、嘆き、その友情への愛情深さを感じさせる言葉を寝言で言っていた。だけど、前世酷いことにあったんだろうね、弟は月の夜にしかそれをしないから。
記憶がなくても、その彼を我々は超えることなど出来ないんだよ。弟にとって、前世唯一の味方だったみたいだから。その存在を忘れてもなお、思い続けるのは並大抵の依存では出来ないことだ。苦しい思いをさせるかもしれないが、弟を頼んだよ、……くん」
悲しそうに、少年は「はい」と一言だけそう返事をした後、俺の不思議な夢は終わりを告げた。
親友に出会ったのは三歳の頃。
親友は、まるで女の子のように可愛らしい容姿をしていた。それは、少年青年になっても変わらないことではあったけれども。
さて、当時俺はたくさんの中にいるお友達くらいの存在にしか親友を思ってはいなかった。
三歳ながら、良く覚えていたと思う。三歳の頃、抱いていた心情のことを。
その心情に変化を遂げたのは、小学校に入学する一日前。あまりに可愛らしい容姿をしていた親友は、幼稚園生ながら同性からたくさん告白をされてきた、本人にとっては黒歴史な過去がある。まあ大体、「僕男の子だよ?」と言って度々断っていたが。
親友に告白したことを今、覚えていたとしたら、黒歴史か、本当に女の子みたいだったよなと当時のことを苦笑しながら語るかもしれない。それくらい、親友は女の子のような可愛らしい顔をしていたし、青年になっても変わらず美人な顔をしていたと思う。まあ、例え思春期の時期だったとしても、親友に対して恋愛感情を抱くことは俺はなかったけど。
まあ、話は戻って幼稚園児と言われる最後の日のことだった。そんな親友、ついに幼稚園ではリーダー的存在な女子に目をつけられてしまったのである。
今となれば、何を今更と思うけど。
リーダー的存在な女子は、俺と親友とは三年間同じクラスだった。だから、いつだって親友のことを目につけることは出来たはずなのに、と。
子供ながら思考が怖い。
……階段から親友を突き落としたのである。その女子は親友よりも体格が良く、小柄な身体は簡単に宙を浮いた。たまたま、偶然にもその場に間に合った俺は、その手を引っ張り、自分が階段から落ちることを選んだ。
その女子は俺のことが好きだったから。
幼いから仕方がないとは言え、説明不足なために、親友を巻き込んでしまった責任は自分を犠牲にしてまでも取らなくてはいけないと思ったから。
俺は、親友の代わりに階段から落ちた。
地面は赤く染められた。
鉄臭く、意識は曖昧になった。
……意識を失う前、最後に見たのは、絶望や悲しみに満ちた親友の顔だった。
その日から親友は過保護になった。
その日から親友は俺以外の誰かを、あまり信じないようにするようになった。
……その日から、親友は女性恐怖症の症状を加速させていった。
一時期、自分の母親すら触れることも出来ないこともあったことを覚えてる。
もし、あの時。俺が親友を助けていなかったら? ……きっと、俺が親友みたいに依存していたんだと思う。どのみち、依存する運命だったんだとそう今でも思ってる。
本当、親友が同性で良かったと思う。
もし、親友が異性だったとしたら、俺達は付き合い、今頃の年代にはもうとっくにこの世界からいなくなっていたかもしれないから。
俺は、どんな感情にも必ず、狂気と繋がっていると思う。好きになった相手への愛情も、いつ正反対の感情になるかもわからない。そう、いつだって紙一重の状態なのかもしれない。
「あなたの心の中心にいるのは、いつだって彼だった。羨ましくない、妬ましいと思わないと言うのは嘘になるわ。でも私は一番にはなれないのよね、彼がこの世からいなくなっても」
いつの間にか、隣に眠っていたはずの妻が起きていた。彼女は、俺が考えていることを見抜いているのか、悲しそうな声で、おはようも言わずにそう俺に言ってきた。
思わず、「ごめんな」と呟いた。
「良いのよ、わかって上であなたと結婚した。私もあなたに愛されてるのはわかってるし、彼に抱いている感情が私に抱いている感情とは違うものだともわかっているもの。私はあなたが好きよ、何年片想いをしていると思ってるの?
私は幼稚園児の時からあなたのことだけを好きでいるのよ。いつだって片想いだった、だから私とあなたの「好き」と言う感情の重さが違うとしても、今はあなたが私と同じ感情として見ていてくれるだけで私はね、幸せなの。それだけ、自分で言うのは恥ずかしいけれどあなただけを想っていた。
だから、彼を突き飛ばした彼女の気持ちもわかってしまう。そう言ったらあなたに軽蔑されてしまうかしら?
でもね、気持ちが分かるだけなの。それを行動に見せるほど、私はあなたのことを分かってない訳じゃないわ。
私はね、三番目にあなたのことを分かっているつもりよ。あなたのことを理解しているのは一番目はあなたの親友、二番目はあなた。私はね、例え一途にあなたを想っていたとしても、あの人ほどあなたを理解してあげることは出来ないと思う。いつになっても、私はあの人に敵わないことは出来ないのは私が一番分かっている。
だけどね、一つだけ私にもあの人にはないものがある。私にはわかる、あの人はあなたにまったく恋愛感情を持っていなかったことを。あなたをそう言う意味で一番に愛していたのは、私なんだってこと。それだけは私にはあって、あの人にはないものだった。
それとね、私はあなたにしか恋をしたことがないから自信を持って言える。私は、ちゃんと恋愛感情としてあなたに愛されてるって。一番にはなれないかもしれない、でも私はそれでも良いの。私があなたを一番に愛しているから、そしてあなたはそれを受け入れてくれたから私はそれだけで良い」
……妻がいなかったら、俺は今頃この世にはいなかったかもしれない。半年、アルコールに依存するような生活をした。仕事は行っていたけど、家にいる時は、普段は飲まないアルコールに溺れていた。妻に止められなきゃ、アルコール依存症になっていたし、それにあの時止めてくれていなかったらと恐ろしくなるくらい、あの時の俺はアルコール依存症の一歩手前だった。
「俺はダメな奴だな」
「そんなこと今更よ」
冗談交じりにお互いにそう言った。
初めて、愛娘に涙を見せたあの日から随分と年月は流れて、愛娘は高校生になった。妻とぶつかることが多くなり、自分の意見が言えるようになったんだなあと感心する今日この頃。
今日も言い合いしていた。話は進路のこと。まだ早いんじゃないかと思うが、俺は立場が弱いため、相槌を打って話を聞いているだけにしている。
そんな日々が続いたある日のこと、来客を知らせるベルの音がなり、俺は慌ててドアを開ければ、そこには数十年ぶりに見る親友の母親の姿があった。
「久しぶりね……。すっかりと大人になって。今まで会いに来れなくてごめんなさいね、あなたを見るとどうしてもあの子のことを思いだしてしまうの」
「いえ、それは仕方のないことです。俺が異変に気付きながら、あの手を掴めなかったこと、本当に申し訳ありませんでした。……俺のせいです」
「……違うわ、あなたのせいじゃない。全てはあの人のせい、私は知ってるわ。だからね、あなたを信頼して一つだけお願いがあるの」
……俺に親友のことで出来ることがあるのなら、何だってしてやる。
そんな思いで頷いて了承した。
そして、親友の母親が言った言葉は、とんでもない言葉だった。それは嬉しいことだったし、……親友を追い詰めたあいつが憎くて恐ろしく感じることだった。