第11話「笑顔の裏に」
穣の脳裏にアキラとヒカルの姿が浮かぶ。
アキラは顔が腫れ、唇からは血を流している。その後ろにはお辞儀のような格好をし、鞄を両手で持ちながら肩で息をしているヒカルがいた。
アキラは手の甲で血を拭うと、穣に話しかけてきた。
「いやぁー、助太刀助かったぜ。サンキューな! しっかし、お前強いな!」
「なんとかなったね、良かったよ」
肩をばしばしと叩くアキラに、はにかみながら答える穣。
「守ってくれてありがと! 君、強いんだね!」
呼吸が整ったヒカルが顔をあげ、弾けるような笑顔で穣にお礼を言った。
――ああ、これは2年前にゲームセンターで初めてアキラとヒカルに会った時だっけ。
スイッチを切り替えたかのように場面が変化した。道場で師範代が腕を組み、神妙な面持ちをしている。
「いいか、ジョー。しんどい痛い辛い。そんな時はな、笑え。効いてても効いてない振りをするんだ」
「笑う……んですか」
「そうだ。辛い時こそ、笑え。場にそぐわない笑顔は、相手の感情を逆撫でする。警戒してくれりゃあ儲けもの。逆上してくれりゃあ言うことなし。冷静さを失ってくれりゃあ、格上相手でも勝機が見えるってもんよ」
――県大会の試合で負けた後の反省会だ。あれは悔しかったなぁ。
師範代の姿が薄れていき、徐々に姉が現れる。キツネ目はいつも以上に釣り上がり、怒気を帯びた顔付きだ。
「喧嘩するのは止めない。怪我してきてもいいし、相手に怪我させてもいい」
「……いいの?」
「いいよ。だけど、1個だけ約束しなさい。今後、どんなことがあっても絶対にキレないこと」
姉の迫力に、穣は抵抗できず頷く。しかし、同時に疑問も出てきた。
「分かった。でも、なんで喧嘩じゃなくてキレるのを禁止するの?」
「あんたはトラブルの申し子だからね。喧嘩しなくなることはないでしょ」
「そんなことはない……と思うけど」
もう喧嘩はしないと言い切れない穣は、自信なげに答える。喧嘩を売ったことはないが、買った回数は数えるのも億劫だ。
「いい、穣。あんたは感情のコントロールが下手。そのことを自覚しな。そうじゃないと、あんたはいつか取り返しがつかないことをする」
ぶっきらぼうではあるが、穣を心配しての発言だ。穣も姉の気持ちには気づいており、申し訳無さから黙ったまま俯いている。
「約束出来るよね、私の弟」
姉はそう言うと、穣の頭を両手で抱え込んだ。双丘に顔が埋まったまま、穣はうん、と頷いた。
――姉さんのストーカーを撃退したら、ストーカーの親が乗り込んできた時か……。そうだ、あの時にキレないって約束したんだ。
姉が霧消して消える。目の前には、嫌らしく嘲笑しているオールバックの男と、その取り巻きがいる。
こいつらが、アキラを襲ったんだ。こいつらが、ヒカルを泣かすんだ。
――憎い。こいつらが、憎い。
穣の心が憎しみで満たされていく。膨らんだ復讐心は、穣の精神をじわりじわりと蝕む。止むことなく膨らみ続けたそれに歯止めをかけたのは、先ほど脳裏に浮かんだ師範代と姉の言葉だった。
――辛い時は、笑え。
――どんなことがあっても絶対にキレないこと。
2人の言葉を思い出すことで、穣の心は崩壊寸前で踏み止まった。笑うことで復讐心を押さえ、辛うじて理性が残ったのである。しかし、膨らみきった復讐心はいつ爆発してもおかしくない状況だった。
「ははは。行かせない……。ヒカルのところへは、絶対に、行かせないよ」
穣は口元に半月を作ったまま、ドア付近に移動する。背負っていたリュックをドアの戸先に置くと、ドアの正面に陣取り、腰を落として刀を担いだ。
「これで誰も出られない……。あーはっはっは!」
口を結んでその様子を見ていたリュウジは何人かに目配せし、命令を下す。
「おい、キヨをこっち連れてきて止血しろ。オサムとユウキもこっちに連れてこい」
命令を受けたヤンキーたちはびくびくと穣の動向を伺いながら、斬り伏せられた3人を回収する。3人を回収し終えると、ヤンキー達は誰とはなしにリュウジの周りに集まりだした。
「リュウジくん、あいつ普通じゃねぇ。このままだと徒に被害が増えるぞ」
アキラを尾行していたヤンキー――テルがそうリュウジに進言した。
「んなこたぁ、わぁってるよ! ポン刀で躊躇なく人斬れるイカれた奴だ。囲ってボコろうにも、最初の何人かはヤられんだろうなぁ」
リュウジの言葉に、数人のヤンキーが顔をしかめる。穣を襲おうとした際に、先駆けを命じられるのが分かっているのだろう。苛ついた様子のリュウジに怯まず、テルが続ける。
「そもそも、俺らにとって暴力は手段であって目的じゃない。あいつに交渉持ちかけて、この場はうまく流したほうがいいんじゃないか?」
「交渉だぁ? あれ相手にできんのか?」
「やらないよりはやった方がいいだろう。なぁ、ジョーさんよ? お前さんも痛い思いするより、ここらで手打ちした方がいいだろ?」
右手の掌を返し、やれやれだぜ、といったポーズを取ったテルが穣へ話を振る。
「こっちからの条件はこれで祭りは解散、ってとこだ。お前さんはアキラくんの仇が取れた。俺らは3人も斬られたが、水に流そうってんだ。いい話だろ? キヨは早いとこ病院に連れていかねぇとヤバい。正直、お前さんを叩きのめして溜飲を下げたいところなんだが、これ以上怪我人増やしたくないんだわ。6人に囲まれたら為す術なくボコられることくらいは分かるよな?」
テルはあくまで上から目線で、交渉というよりも脅迫に近い言葉を口にした。被害は増えるが、6人で一斉に襲えばどうとでもなると踏んでいるからこその強気な発言であった。
「あは……あーっはっはっは!」
テルの提案を聞いた穣は、一際大きな声をあげ笑った。変わらず瞳孔は開き、口元は半月を作ったまま虚ろな目でテルを見据える。
「あんたさぁ、自分のこと頭がいいと思ってるでしょ? ちゃんちゃら可笑しいよ。一方的に自分の要求を押し付けてそれが通ると思ってる。オレが望んでることも分からず、暴力をチラつかせて恫喝しているだけじゃないか。それで交渉しているつもり? オレが受け入れると思った? 6人いる? 囲まれる? それがどうした。端から五体満足でいれるなんて思ってないよ。……くくくっ、あはは」
表情を変えず、テルを見据えながら穣が喋る。
「オレの目的は、アキラの仇を討つこと、ヒカルを泣かせないこと。その為には、お前らを全員再起不能まで追い込まなきゃダメなんだ。鉄パイプで殴ろうが、ナイフで刺そうが、オレを止められると思うなよ。くくく、くくくくく。そうだ、いいこと教えてやるよ。後10分もしないで警察がここに来る。警察に捕まってもお前らは社会的に死亡だ。あっはっはっはは! 泣いても笑っても後10分だ。時間切れで逮捕か、それともオレを屍にして踏み越えていくか、好きな方を選びなよ」
穣の目的はアキラの仇討ち。そして、赤龍をヒカルの下へ行かせないこと。穣は、このand条件を満たすにはこの場にいる赤龍全員を再起不能にするか、警察送りにする必要があると考えていた。だったら、警察が到着するまでの時間を稼げばいいだけ。そう頭では理解しているつもりであったが、膨らみきった復讐心がそれを許さない。私刑を決行するために、敢えてここから脱出するのには時間制限があることを伝え、乱闘に持ち込もうとしていた。
「最も、オレを屍に出来れば、だけどね。……お前らは、お前らだけは。絶対に道連れにしてやるよ」
そう告げると、穣は刀を持つ手により一層力を込めた。穣の気迫に圧倒され、額から冷や汗をかいたテルの肩をリュウジが叩く。
「ほら、な。ありゃあもう損得じゃ動かねぇよ。前に襲ったカップルの男、あれと一緒だ。覚悟が決まってる奴は面倒臭いったらありゃしねぇ」
「リュウジくん。すまねぇ。失敗だな。……本当にあれとやりあうのか? 俺も剣道やってたから分かるが、あいつ、にわかじゃないぞ」
テルの言う通り、穣は日本刀の扱い方を知っている。部活だけでは飽き足らず、師範代の道場へ通い居合道にも手を出しており、藁人形の両断が可能な腕前であった。とはいえ、真剣を振るえる機会はそれほど多くなく、穣が出来るのは刀を肩に抱えるように構えてから打ち出す【巻き打ち】、上段の構えから斬り下ろす【袈裟懸け】、そして納刀した状態から繰り出す【抜刀斬り】の3種類のみである。
「ああ、明らかにポン刀振り慣れてやがるな。まぁ、それはなんとでもなる。問題なのは、マッポの方だ。流石にブラフだろうが、本当だったとすると……」
「リュウジさん!」
テルとリュウジの会話に、1人奥でこそこそしていたヤンキーが割り込む。
「んだぁ、どうしたぁ?」
「センサーに反応がありました! ま、マッポです!」
「ちっ、マジでマッポ呼んでやがったか! 正面玄関に罠仕掛けてあっただろ。あれでどれくらい時間稼げんだぁ?」
「持って10分です!」
赤龍はガラガラ病院を根城とする際、出入口になりそうなところにセンサーと罠を仕掛けていた。センサーは201号室のモニターで監視出来るようにしてあり、常に誰かがモニター監視することを徹底していた。
「10分ありゃ十分だぁ。この狂ったガキ始末して、さっさとトンズラすんぞ。おら、お前らも凶器構えろ」
リュウジはバタフライナイフとメリケンサックを打ち鳴らし、金属音を響かせた。それが合図と言わんばかりに、周りのヤンキー達も各々の凶器を手に取り構える。
「2度と俺らに歯向かう奴が出ないように、テメェの家族も見せしめに始末すっかねぇ」
特に深い意味があった訳ではないのだろう。普段から使ってるように、息を吐くようにリュウジの口から出た脅し文句。
――アキラだけじゃなく、ヒカルだけでも飽き足らず、姉さんにも危害を加える……?
リュウジのその一言で――穣の何かが、弾けた。




