御縁比べ その三
「きみはなにをしているの?」
個々の発音が明瞭に聞き取れるぐらいにゆっくりとした常世の口調は。そこに怒りが多分に含まれていることがよくわかる。
人目は避けたいが“御縁較べ”まで時間がないため、あまり日枝神社から離れるべきではないという常世の判断から、一行は日枝神社の側に立つラブホテルの屋上に移動していた。常世と女の子は常世の作った異次元の扉で、それを使わせてくれなかった俺は、近隣の建物の外壁を使った三角跳びで。
地上の熱気は流石にここまでは届かないようで、吹き込む風に晒されると流石に少し肌寒い。
しかし人目につかない場所で本当に良かった。
「君は一人で勝手に動いてるつもりでもね、周りはそれを“天秤”の姿勢だと取るんだよ? そこんとこ分かってるの?」
「……はい、分かっていませんでした」
俺は今、常世に土下座しているのだから。
「この脳筋」
「はい」
「低沸点」
「ごもっともで」
「チビ」
「それはお前には言われたくない」
口答えをしたら常世に後頭部を踏みつけられた。コンクリートの粗い凹凸が額にめり込む。
「君自分の立場分かってる? 口答えする権利あると思ってるの? 君の独断で、最悪狐との全面抗争、ひいては他の組織の活動を活発化させる恐れもあったんだよ? 世界の均衡が崩れる可能性もあったんだよ?」
ちなみに俺の身長は百六十一センチ、一般的な高二男子よりやや低い。高二男子の平均より低いのだから、基本的に戦闘となるとリーチが足りない。リーチが足りないと、それを埋めるためにより相手に近付く必要があり、その分リスクも上がる。どうせ造るのなら、もう少し戦闘用にしてほしかった。
「……もう第一弾はこれでいいや。時間もあまりないし、そろそろ生産的な話に移ろう」
後頭部から常世の重みが消え、俺は土下座から解放されたが、どうやら第二弾も予定しているらしい。
「彼女を助けようとしたのはどうして?」
常世は傍らで強風にあおられる髪やスカートの裾を押さえて、所在なさげにこのやりとりを見ている女の子を親指で指した。
俺はとりあえず常世には何の説明もせず、女の子の方を向いた。
「えっと、大丈夫か? どこかまだ痛む所とかは」
「うん、どこも痛くないよ。ありがとう、赤川君」
そうか、と俺は本題に入ろうとしたが、沸き起こった別の疑問を優先した。
「何で俺の名前知ってるんだ?」
「え? ……なんで、って、同じクラスだからだよ」
ああそうか、見覚えがあると思ったら同級生か。常世に「まず君に何が必要かって協調性だよね」とこの街に来た際に公立高校に編入させられたが、余りきちんとは通ってないからクラスの中心格すらもほどんど覚えていない。下手をすれば教師もその存在を覚えられてないのではなかろうか。
そういうことかと納得していたら、常世に尻を蹴られた。不意の一撃とはいえ常世は肉体派ではないので、俺は一歩たたらを踏むにとどまった。
「君さ、なんで同級生の名前憶えてないの?」
「しょーがねぇだろ。“天秤”の仕事もあってそんなに通えてねぇんだから」
「にしても顔ぐらいは覚えてるもんでしょ普通。何で君を高校に転入させたか分かってる? 協調性を育てるためだよ? 今のままじゃチームプレイもまともに出来ないからだよ? 何同級生に初対面かのように接してるの? その分だと君高校に友達いないでしょ?」
「無茶言うなよ! 高二だぞ高二! もう派閥やら仲良しグループやら出来上がってるっての!」
「そこに飛び込ませるために転入させたんでしょうが! それに君が自分から動かなくても、見かねた協調性のある奴からのアプローチがあるもんなんだよ! それ全部無下にしたのかよ!」
そういえば話しかけてくる奴もいた。けど、
「話し合わせらんねぇよ! 俺テレビもマンガもゲームも興味ねぇし!」
「ああもう!」
その後女の子から「あの……」と控えめな仲裁が入るまで、俺と常世はぎゃーすかと言い合っていた。
「……もうちょっとこまめに監視した方がいいのかな……」
そんな不穏なことを呟いて常世は引き下がったので、あれは改めて女の子に向き直った。
「……とりあえず、名前を教えてくれねぇか?」
「高橋。高橋一葉だよ」
高橋高橋高橋高橋、と俺は女の子ーー高橋の名字を小声で反芻しまくった。
「なぁ高橋」
「うん?」
「こういうことは、よくあるのか?」
「……?」
高橋は首を傾げる。俺は小さな違和感を感じながらも、話を続けた。
「例えば今回みたいに、狐のお面かぶったすげぇ毛深い奴に誘拐されそうになったり、俺みたいな歩く銃刀法違反に話しかけられたりとか」
高橋はしばらく考え込んでいたが、やがて「……ううん、ないよ」と首を振った。
「全く?」
「うん」
俺は違和感の正体に気づいた。
高橋の言動は矛盾してるのだ。怪異との関わりは一切ない。なのに怪異に連れ去られそうになったとき、取り乱しているそぶりは一切見られなかった。クラスメートである俺の顔を見ても、助けを求めるでもなく、むしろ別れを告げるかのように手を振ったのだ。厭世感が強くて破滅願望があったにしても、未知の存在に対してあそこまで平然としていられるものだろうか。
「意外だな。てっきり、こういうのは慣れっこだと思ってた」
「……慣れっこ、かな……」
高橋の態度が少しだけ変わる。最初から目を合わせてくれなかったのが、更に伏し目になる。何か思い当たる節はあるが、話すべきか迷っている、そんな表情のように俺は読みとった。
「差し支えのない範囲でいい。何かあるなら、話しちゃくれないか?」
「……信じられないと、思うよ……?」
俺は左手の、“落椿”を軽く持ち上げた。
「こっちはもう、非日常が日常だからな。ありえないくらいが分かりやすくていい」
「…………」
高橋はそれでも逡巡するかのように考え込んでいたが、やがて腹を決めたのか、顔を上げた。
「……私のお母さんね、私を産んで、そのまま死んじゃった。お父さんは、病院に向かう途中交通事故に遭って死んじゃった。引き取ってくれたおばあちゃん、病気で亡くなって、他に親戚もいなくて、私、病院からでたらすぐ、養護施設に入れられたんだ」
語られ出したのは、不幸にまみれた身の上話。
「施設のクリスマス会でね、私は、風邪で寝てたんだけど、その時の料理に細菌がいたらしくて、集団食中毒で、友達、みんな死んじゃった」
本人は特に感情を高ぶらせることなく、淡々と話を続ける。
「小学校の遠足で山に行ったんだけど、一番仲の良かった子がね、山道で足を滑らせて、岩に頭をぶつけて、打ち所が悪くて死んじゃった。放課後にね――」
最初はただの不幸な生い立ち程度にしか思っていなかったが、次々と出てくる親類や友人の死に様に、俺はその認識を改めることにした。
一番改めることになったのは、高橋に対する印象だった。
内気だとか感情を表に出さないとか、そんなレベルじゃない。あまりにも知人の死が多すぎて、慣れを通り越して日常の一部になっているのだろう。
俺がそう思っている間にも、高橋の生い立ちは小学校を卒業し、中学校の死の話に移っていた。
「ストップ。もういい。大体分かった。話をまとめてくれ」
放っておくと死にまみれた中学時代も全て語り出しそうだったので、俺は話を進めるよう促した。
「……私の周りにいる人ね、みんな、死んじゃうんだ。だからね、あのお坊さんが来た時、『ああ、やっと私の番が来たんだ』って思ったんだ」
あの時、俺に手を振った理由が判明する。
彼女は自分の死を受け入れていたのだ。自分を殺そうとする怪異も、それを助けようとしないクラスメートも関係ない。ただ、周りの人間が次々と死んでいくのと同じように、自分が死ぬ番が来た。その際、偶然視界に俺がいたから、別れを告げるために手を振った。
彼女にとってはそれだけの話なのだろう。そう思うと、元々のそれとはまた別の疑問が浮かんで、
「……高橋は、死にたかったのか?」
気がついたら、それを口に出していた。
「え?」
その質問は想定外だったらしく、高橋は小さく驚く。
「いや……。やっと自分の番が来た、って思ったんなら、助けなかった方が良かったのかなって思ってさ」
言ってから、我ながらなかなかひどい言葉だと思った。
高橋は思考を整理するかのようにしばらくの間をおいた後、やはり言葉を選ぶかのように一言一言に空白を置きながら話し出した。
「……死にたかった、のかな……。わかんない。赤川君が助けてくれたことは、素直に嬉しいって思えるの。でも、私が生き延びたとしても、私と関わった人間は死んでいくから。
……助けてくれなかったとしても、何とも思わなかったと思う」
そして高橋は、ずっと伏せ目がちだった目を初めて俺に合わせた。
「ごめんね、赤川君。赤川君も、たぶん、もうすぐ死んじゃう」
生まれてからずっと誰かの死にまみれてきた人生。やっと自分の番が来たと思ったら、ほとんど関わりのなかった同級生に阻止される。彼女はまた、再び自分の番が廻ってくるまで、人の死を目の当たりにしながら生きていくのだろう。
人間怪異問わず何万と殺してきた俺が、高橋の事を不憫だと憐れむのは傲慢だろうか。
きっと傲慢なのだろう。
「……死なねぇよ、俺は」
傲慢ついでに、そんなことを口走った。
「え?」
今までで一番大きな、高橋の驚き。話に参加はしていないが聞いてはいた常世が「あちゃー」とでも言いたげに顔を手で覆った。
「皆死んでいくから、身の危険も自分の番だと思うんだろ? なら、俺は死なない。そうすれば、『自分の知り合いは皆死ぬ』って“ジンクス”は成立しなくなる。自分の番ではなくただの身の危険になる」
だからさ、と一度言葉を区切って続きをどう言おうか考える。考えたが、結局思い浮かんだ通りに話すことにした。
「自分の番だとか言うなよ。抵抗してくれ。生きようとしてくれ」
「……でも……」
「話を聞く限り、死因は事故とか病気とか、一般的なもんだしな、常世」
話を振られた常世は手を顔から離した。
「うんそうだね、君はそんなのじゃ死なないね」
常世の顔は「でもさぁ」と続けたそうにしていたが、俺は強引に会話のターンを奪った。
「そういうこった。ま、無理に信じろとは言わないさ。ただ、こっちもまだ死ぬ気はない」
「…………」
高橋はまた伏せ目になった。なので髪で顔が隠れてしまって、その表情はよく分らない。
それから長い間、高橋は沈黙していた。その沈黙の間、高橋が何を思い考えていたのかは知る由もない。
ただ、ぽつりと漏らされた、
「……ありがとう」
その言葉は、強風の中でもはっきりと耳に届いた。
これで戦う理由が出来た。
「とにかく、まずはこの“御縁較べ”を切り抜けるところからだな。高橋、あいつとちょっと打ち合わせするから、少し待っててくれるか? 聞かれると色々と不味いことがあるんだ」
俯いたままコクリと頷いて離れた高橋と入れ替わるように常世が近づいて来て、肩に手を置かれぐるりと回れ右をさせられたかと思うとそのままヘッドロックを極められた。常世が非力とはいえ、気道を圧迫されると流石に苦しい。おまけに中腰を強いられているので地味に腰が辛い。高橋に聞かれたくなければテレパシーでも使えばいいのだが、先のとおり受信機能を持たない脳に無理やり送るのは体によくないので、常世も緊急時以外は使わないようにしている。
「どういうつもりさ」
常世の声には険がこもっていた。
「何がだよ」
「自分の身もいつまで保つか分からない状態なのに、どうしてあの子に希望を与えるような真似をしたの? あの子の心の支えになってるって優越感でも欲しかったの? デルニエだけじゃ物足りない?」
どうやら高橋に対して今回だけでなく今後の人生にも関わろうとしていることにご立腹らしい。
「……そんなんじゃねぇよ」
「そんなんじゃないなら何なのさ。ついさっき発作が起きたの忘れたの?」
「……やっぱりバレてた?」
「君を止めたの誰だと思う?」
確かにあの状況で俺の異変を察知し、対応して動けなくしてくれるのは常世ぐらいしかいない。
「今回は何が出てきたの?」
俺はその時の事をかいつまんで話した。
「ふぅん……。大方、いつか喰べた吸血鬼の溶け残りが、生娘の柔肌を見て興奮しちゃったんだろうねぇ」
そこまで分析して、常世は自分の機嫌の悪さを示すようにヘッドロックの圧力を強めた。
「ほら、食べカスに意識の主導権を奪われかけてるじゃん。本格的に末期症状に入り始めてるよ。そんな状態であの子との約束を守りきれるとでも思ってんの?」
常識的に考えれば到底無理だろう。常世から耳にタコが出来るぐらい言い聞かされていた、赤川粋破滅へのステップ。意思や思考の主導権を奪われるのは破滅一歩手前の最終段階で、そう遠くない未来に肉体の主導権を完全に奪われ、“赤川粋”は完全に消滅する。
その前に外因に殺されるか、内因に殺されるか。
それだけの話だ。
「……なんていうのかね」
それだけの話にしたくないから、デルニエの呪いともいえる不死を解こうとしたり、目の前の女の子につかの間の希望を与えようとしているのだろう。
「死ねない理由を作れば、踏ん張れるような気がしてさ」
でも上手くは説明できないから、それらしいことを言ってお茶を濁すことにした。
「願掛けかい? そんなもので死ななくなるのなら、皆不死になれるのにね」
常世は呆れたようにそう言って、ようやくヘッドロックを外した。俺は中腰の姿勢から解放され、腰を伸ばそうと大きく背伸びをした。
「でも、ちょっと過大評価しすぎたかな。僕はてっきり、デルニエと関係すると踏んで助けたのかと思ったけど」
「……どういうことだ?」
常世は自分の頭を指差してくるくると回した後、手をパーにする。くるくるパー。“頭カラッポなんじゃないの?”の類である、見る者を苛立たせるジェスチャー。
「ヒントはもう言ったよ。あんまり吹きこんでも君の為になんないでしょ。あとは自分で考えなよ」
どうやら常世はもう答えを導き出しているらしい。
常世の言葉から読みとれるのは、デルニエの死なない呪いと高橋の死を引き寄せる体質のような何かは関係があるということ。だが俺にはその高橋の性質を利用してデルニエの呪いが解けるとはどうにも思えない。仮に二人を会わせたとしても、高橋の言い分がその通りならデルニエが死んで終わりだ。何も解決しない。
俺と常世では思考アプローチの質も量も差がありすぎる。だから俺は考えるのをやめた。
「ま、仮定を立てる為のデータ提供と、技術的な支援ならいつでも受け付けるよ」
「ありがたいね、全く」
「君には出来るだけ長生きして欲しいからね」
「それだけ多くデータが採れるからだろ?」
「何を今更」
俺が諦めたのを察したのか、常世はこの話題を打ち切った。なので俺は本題に話を戻した。
「じゃ、俺が長生きできるように、狐について教えてくれ」
「イヌ科キツネ属の哺乳類。草原や森林に生息、主に夜行性」
「殴るぞ」
常世はやれやれとでも言いたげに、肩をすくめて溜息をついた。
「“御縁較べ”の取り決めでね、相手の情報をリークするのは禁止なんだ。精々が狐という種族の特徴だね」
「……それぐらいなら知ってるさ」
狐社会における地位の序列は権力の大きさと妖力の強さを示す尾の本数で表されている。尾の数が多ければそれだけ妖力も高く、必然的に階級が上がるというわけだ。その階級は頂点に君臨し狐の次元の創造、維持者である姫の九本に始まり、前線からは退き政を補佐する側近の八本、姫や側近直属の命で動くいわば精鋭の七本、兵士を束ねる六本、熟達の兵である五本、戦力となる下限の四本、町民として認められる限界の三本、最下層民の二本まで続く。一本は言うまでもなく動物としての狐だ。
「まぁ“御縁較べ”に駆り出されるのは若い兵が多いから、六本以上はないと思うよ。装備を整える時間はあるんだし、十分勝てるでしょ。でも、気を付けた方がいいね」
「何がだよ」
こういうまどろっこしい言い方はたまに無視してやりたくなるが、大抵の場合は命がかかっているので聞かざるをえない。
「狐という生き物は往々にして、人間を出し抜こうと画策するものさ」
人間。
その単語に反応してしまう自分が、たまらなく嫌だった。