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daynight  作者: 泉樹
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御縁比べ その二

 屋根から屋根、時に雑居ビルの屋上へと、俺は“落椿”片手に跳び移る。通りを見下ろせば、両端を明色に彩られた屋台が埋め尽くし、中央は普段着や学生服、浴衣に甚兵衛など思い思いの服装の見物客が、行き交うというより、もはやうごめいていると表現した方が近い密度で押し合いへし合いしている。道の両側は参拝客を狙った屋台で埋め尽くされ、匂いや色、音などを使って道行く人々の五感にお金を落とすよう訴えかける。そんな様相が、主催の神社を中心に半径二、三キロは広がっている。気温はそんなに高くはないはずだが、一か所に集う人達の熱気がここまで届いている気がした。


 山王祭と名のついた祭りは全国に点在しているが、この界隈においては出店の数は約千、三日間通しての見物客の数は約二十万人と、最大規模を誇る祭りの名前だ。


 普段ならどうやっても集まらない数の人間がこの地域に密集し、それによる経済効果を期待した商人達が、様々な物品を持って出店を開く。神社に続く大通りはくじ引きやベビーカステラなど定番の屋台が、一本裏道に入ると植木鉢や食器など、普段から売られている日用雑貨を取り扱う露店が立ち並ぶ。


 そうして集められた物品の中には、少なからず“いわくつき”なんて物が混じってたりする。


 視線を通りから上に。


 遠くにちらほらと、俺と同じように屋根や屋上を跳んで移動する影を捉える。


 そのうちの一つが通りの方へと降りて行ったので、俺もその通りへ向かう。


 途中何度か通りを跳び越えるが、騒ぎが起こる気配はない。


 きらびやかな屋台の灯りに目がくらんで、人間達は気付かない。


 自分達の頭上を跳梁跋扈する者達の存在を。


 影が下りた通りに到着したが、通りには下りずに屋根の上から様子をうかがう。ほとんどの人間が双方向に流れる中、いくつかのグループがそこから外れ、思い思いにくじ引きや食べ物を楽しみ、屋台の間にできた空間で休んでいる。


 そのグループの中に、明らかに異質なものが一つ。


 ここからだと背後しか見えないが、坊主頭の後頭部に紐が結えてあることから、その坊主がお面をつけていることと、袈裟の袖から伸びた黄金色の毛に覆われた腕から、その坊主が監視対象であることが判断できる。


 化け狐。


 彼等は一年のうち山王祭の催される三日間のみ、狐の里から人里に出て、この世に二つとない珍しいものを集め、外に出ることのできない姫の慰めにと献上する。


 たとえそれが人間でも。


 狐坊主の腕は、女の子の腕に伸びている。肩にかかるかどうかの黒い髪の毛を頭の両脇で結んだ、どこか見覚えのあるブレザーの女の子。


 道行く人も額に汗して客を集める屋台の主も、誰も隣の惨劇には気付かない。恐らくは幻術で蒐集対象ごと見えなくしているのだろう。俺には見えるようになっているのは、そういう取り決めだからだ。


 気付いている俺も、助けない。


実際に人間を蒐集した前例もあるらしいし、“天秤”も蒐集される人や物に対し、救済措置を用意したうえでそれを認めている。


 “天秤”はどちらにも与しない。あくまで両者の関係を均等に保つ。ぱっと見化け狐側を贔屓しているように思えるが、年三日のみという期間の制限と、蒐集対象物への救済措置の用意で一応バランスはとれているのだ。見たところ女の子には連れはいなさそうだから、救済措置は適用できそうにないが、これは運が悪かったとしか言いようがない。


 狐坊主はじらすように、女の子を持ち上げた。女の子の顔が苦しそうに歪む。


「……胸くそ悪いな」


 思わず呟いた。さっさと連れて行かない狐坊主と、“天秤”が認めているからと言い訳して助けに行かない自分に向けて。


 その声が聞こえたかのように、女の子の目が俺の視線を捉える。


 一瞬だけ動揺したが、俺はその視線を受け止め続ける。


 さぁ、どうする? 悪いが俺は助けてやれない。


 怨んでくれていいぜ。見殺しにするんだからな。


 そう開き直りながら、俺はデルニエに指摘されても変わっていない自分の考え方に内心幻滅していた。


 女の子は俺の方へと手を伸ばす。そのまま伸ばしきるのかと思ったが、手のひらを返して途中で止まる。そしてその手が、小刻みに左右に振られた。


 まるで、ばいばい、と手を振るかのように。


「――――!」


 今度の動揺は、一瞬では抑えきれなかった。


 なんでだ。


 狐坊主に首をつかまれていて今にも窒息しそうで、その上どこか得体の知れないところへ連れ去られようとしているのに。


 周囲の人間は誰も気付いてくれないのに。


 唯一気付いている俺でさえ助けようとしないのに。


 周りのもの全てがお前を殺そうとしている、そんな異常な状況なのに。


 どうして俺に手を伸ばさない?


 どうして手を振れる?


 どうして、助けようとしない俺を怨まないでいられる?


「――――っ!」


 その理由が知りたくて、俺は屋根から二人の許へと飛び出した。


「……何の用だ」


 狐坊主の背後に降り立つと、発せられたその野太い声は不機嫌を前面に押し出していた。傍観しているはずの“天秤”の手先が近付いてきたので、面倒なことになったと思っているのだろう。


「これは正当な“御宝探し”である。貴様が出てくる必要はなかろう」

「そのことなんだけどさ」


 “落椿”をジーンズのベルト穴に通し、両手を上げて戦う意思はないことを示す。


「そいつ、俺の知り合いでさ。そのまま攫わせて、あんた達のお姫さまの玩具にさせるってのは、どうにも寝覚めが悪そうでね」

「…………」

「だからさ」


 狐坊主が無口なので話の続きを促しているのだと勝手に解釈し、本題に話を進めた。


「そいつはカンベンしてくれねぇかな? ……これは“天秤”とは関係なく、俺個人の“お願い”だ」

「……はっ」


 返答は、一笑。聞く相手を嫌悪させる、嘲るような笑み。


「何かと思えば寝覚めが悪い? 勘弁しろ? お願い? まるで人間のようだな、混ざりもの」

「……んだと?」


 腹が熱い。空腹の時に胃液が煮えたぎるような、食物を求める衝動的な熱さ。

 笑い声が聞こえる。体の中から数え切れないほどの笑い声が、お前のことだと体中を反響する。


「認めぬか。ならば率直に言ってやろう」


 狐坊主の後頭部がぐるりと百八十度回転して、本来あり得ない角度から俺を見下ろした。


「人の感情というものを必死に真似ようとしている貴様は、滑稽で反吐が出ると言ったのだよ、混ざりもの」


 その一言で、俺は理性で動くのをやめた。


上げていた右手を“落椿”の柄に落とす。そのまま変則の居合斬りで狐坊主の銅をぶった斬ろうとして“落椿”を抜く手を強めた。


 狐坊主の側はあらかじめ策を張っていたらしく、俺の右肘の辺りの空気が渦を巻いて変色していく。灰色に変色した空気は急速に形と質量を手に入れ、狼の頭を形成する。


 頭だけの狼は俺の肘を噛み砕こうと口を開いた。背後からも、肘辺りのそれとは比べ物にならない規模の空気が渦巻いているのが感じ取れる。肘を固定してひるんでいる間に、後ろから齧り付こうという算段なのだろう。だがデカい分形成も遅い。これなら肘を咬まれ背後の獣に喰われる前に狐坊主の胴を斬り落せる――そう思ったのに。


 俺の刃は狐坊主に届くことはなく。


 狼の牙もまた俺まで届かなかった。


 背後の空気も渦巻くことをやめた。


 そして掌で“落椿”の柄尻を押さえつけて抜けないようにし、左の掌を狐坊主に制止をかけるかのように向けているのは、


「――なにやってるのさ、君達は」


 常世だった。俺と狐坊主の間に潜り込むように、彼女は異次元から現れたのだった。


「なっ……!」

「貴様は……!」


 狐坊主は常世のことを知っているらしく、その驚きの声は、“お前は誰だ”ではなく“なぜお前がしゃしゃり出てくる”というニュアンスだった。


「あーはいはい、どっちも言いたいことはあるだろうけどね」


 俺と狐坊主を制する声色は、ひどく冷たかった。


「とりあえず、動くな」


 常世の顔には笑みすら浮かんでいる。だが、その冷ややかな目は、本気で怒っていることを物語っている。今動けば、味方だろうが本当に殺される。


「…………」「…………」


 狐坊主も力の差を知っているのか、おとなしく口をつぐんだ。二人が戦う意志を放棄したことを確認した常世も、両手を引いた。


「さて、僕としては、話し合う前に彼女を降ろしてほしいんだけど。彼女、苦しそうだし」


 常世の“お願い”に大きな舌打ちを鳴らしながらも、狐坊主は女の子の首を絞める手を緩めた。


「っ……!」


 足もつかない高さからいきなり落とされた女の子は、派手に尻もちをついて、酸素を補給しようとせき込みだす。


「“御縁比べ”だ、狐さん。こいつと君で、彼女をかけて」


 常世は手で女の子を、顎で俺を指した。


「……まかり通らぬ!」


 狐坊主は右腕を振って否定した。


「 “御縁比べ”は蒐集対象物がいずれかの人間の保有物であった場合のみ行われる。だがその女はどうだ? その混じり物が女を所有しているという証がどこにある!」


 “御縁比べ”。それが“天秤”の定めた、被蒐集対象物への救済措置。


 人間が欲しい物を合法的に手に入れる場合、店で売られていれば金を払い、個人が持っていれば譲ってくれるよう交渉する。それは客が化け狐であっても、欲しいものが人間であっても変わらない。


 その理論を当てはめると、人間を収集物とみなして否応無しに連れ去っては人間側に不利益が生じる。かといって人間の収集を禁止すれば、今度は狐側が収まらない。


 だったら勝負して決めろ。


一見すべてを丸投げにしたかのような結論だが、実はこれが一番うまくいっているのだ。とは言っても普通に力比べをしては人間に勝ち目がないので、勝負の内容は人間側が決める、狐側は人間が使えない妖術の類を使用してはならないなど、バランスをとるための規則ルールがいくつかある。


 狐が言及しているのは、“御縁比べ”を行うことの出来る“蒐集対象物の所有者の問題”だ。ここでいう所有者とは、収集対象物を奪われて物理的または精神的な被害を被る者、人間の場合は家族や恋人だ。友人の場合はただの友人と親友の差などの判別が曖昧なので除外する。


 ちなみに収集対象物本人が所有者を兼ねることも可能だ。いつの時代も厭世感の強い人間や、違う世界に憧れる人間は存在するので、本人に直に交渉し許可が取れれば収集が可能になる。そのため相手の喉をつかみ発声が困難な状態にするというのは規律的にはグレーゾーンなのだが、常世がそれを引き合いに出す気配はない。きっと常世なりに考えがあるだろうから、俺は何も言わないで――


「見せてやりなよ、粋」


 常世は女の子を指差した。


「君と彼女のアツーイ仲を」


 は?


「――――」


 疑問がそのまま口から洩れかけたが、突然首を絞められたかのように息ができなくなり、今度は俺が咳き込んだ。


(呆けを声に出すな。涼しい顔してろ)


 頭の中に直接常世の声が響く。要はテレパシーだ。俺の脳はテレパシーを受け取れるようには出来ていないので、こっちの頭にダメージを与えながら無理矢理受信させているのだ。


 仲を見せるったってどうすれば?


(キスとか愛撫とか色々あるだろ)


 同様にこっちの考えも読めるらしい。頭の痛い話だ。


 流石に初対面に近い女の子にそれはマズイだろ。


(え、君が常識を気にするの?)


 驚かれてしまった。


(安心しなよ、一応彼女にも軽く説明したから)


 どうやら女の子にもテレパシーをねじ込んだらしい。


 なんて?


(一切動かず、何をされても平然としてろ)


 どうりで女の子がさっきから動かないのは常世に後ろから根回しされていたからかと俺は合点がいった。


「ほら、いつもやってることだろ? ギャラリーがいるだけじゃないか」


 不自然な間を俺が恥ずかしがっていると強引にカバーして、常世は俺の尻を叩いた。たたらを踏んだ俺は、どうすればいいのか上手くまとめられないまま、落ちた時の体勢のまま座り込んでいる女の子の後ろに回り込んでしゃがみ込んだ。


「…………」


 試しに肩に手を置いてみると。置いたこっちが驚くぐらいに、女の子の身体がびくりと強張る。これじゃ何をしても恋人同士には見えそうにない。


(ポーズでいいから何かやれ。あとは僕が何とかするから)


 何かて。


 何をすればいい? キスなら手っ取り早いが、相手がファーストキスだった場合取り返しがつかなくなる。それ以上のことを初対面の男にされたら心に傷が残るかもしれない。恋人同士だと認めさせられて、相手に傷を残しにくい方法――、キスがやっぱり一番……、待てよ?


 キスって口同士でする必要があるのか? マークさえ付けばどこでも良くね?

 これだ……?


「ごめんよ」


 女の子の耳元が近かったのでそう囁き、返事を聞く前にブレザーの襟をずらした。


 屋台の灯りに照らされて、女の子のうなじが露わになる。緊張と熱気で薄らと汗ばんでいる肌。甘い匂いがする。甘い匂い。甘い甘い匂い。女特有の匂い。芳しい匂い。思わず舌なめずりする。


 その下に流れている血は、甘いんだろうか? きっと甘い。味わってみたい。

 俺は口を開いて、女の子の首元に歯を突き立てた。柔らかい肌に犬歯が食い込む。表皮が破れる。毛細血管や筋肉もろとも血管を喰い破ろうとしたのに、突然顎が動かなくなる。


「ご覧よ、年頃の女の子が、見ず知らずの男に肌を許すと思うかい?」


 顎だけじゃない。手も足も動かない。舌さえも。たぶん常世が何らかの力で拘束しているのだろう。


「これでこっちは彼が所有物である証拠を示した。取り決め通り“御縁較べ”を行うよ」


 今度は誰かに後ろから引っ張られるように女の子から引き剥がされ、地面に転がされた。


 女の子から離されて、頭が急に正気を取り戻す。


 どうしてあんなことをしようとした?


 女の子の血を味わいたかったから。


 どうしてそう思った?


 女の子の血が甘そうだったから。


 違う。人間の血が甘いはずがない。


 冷静になってみると、何であんなことを思ったのか、自分でも解らなかった。


「……何だ、その三文芝居は」


 人が落ち込んでいる間に、“御縁較べ”を行う話がまとまっていると思ったらそうでもなかった。


「滑稽極まるな。そのような芝居で認められるはずがないだろう」

「滑稽かどうかは関係ないよ。あの子が粋に肌を許したのは事実だ」

「ふざける――」

「ねぇ、狐さん」


 常世の声が、一気に殺意を孕む。直接俺に向けられているわけでもないのに、その余波で夏なのに悪寒が走った。


「まさか取り決めを反故にするなんて言えないよねぇ? そのままだと“天秤”から粛清されるから、自分達から制限を申し出たのにねぇ?」

「……だがっ! あの小僧は“御縁較べ”を介することなくあの女の解放を要求した! その件はどうするつもりだ!」

「そりゃあ目の前で恋人がさらわれそうで、自分に助けられる力があったら、助けに行くでしょ。逆に彼に感謝すべきじゃないかな。もし彼が止めに入らなかったら、所有者確認の怠惰から、自ら申し出た規律を放棄したとして、“天秤”が粛清を行っただろうしね」


 俺は常世の鮮やかな屁理屈に舌を巻いた。こっちの行動を全て正当化しながら、相手の立場を追い込む。全ては“赤川粋は収集対象物の恋人である”という前提があって初めて成立する屁理屈だ。


「…………」


 二人の関係が何とも嘘くさいのは狐坊主にも分かりきっているのだろう。しかし目の前で行為が行われ、一族の存亡が絡み出した以上、個の一存で押し切るわけにはいかなくなったのか、狐坊主は口を閉ざした。


「決まりだね」


 常世が孕んでいた殺気が一瞬にして消え、代わりにしてやったりとでも言いたそうな笑みが浮かぶ。


「じゃあ、“御縁較べ”の題目の話に入ろうか」


 俺は常世の手招きに応じて立ち上がり、二人の許に戻る。


「じゃ、粋。君は何で勝負したい?」


 何とも嫌味な笑顔で、常世は俺に訊く。


 さて、ここで少し考えよう。


 化け狐というのは、基本的に人間を出し抜くのが大好きだ。そのためなら多少の屁理屈も強引に押し通す。


 なら、屁理屈をこねる隙間もないぐらい徹底的にルールを決めてしまえばいい。そう結論付けてからさらに少し考え、そして提示した。


「一対一の一騎打ち。武器は刀剣類のみ使用可。妖術の類は一切なし。相手を殺した方の勝ち。判定は一切用いない。違反などの判断は中立機関の“天秤”から常世に下してもらう」


 妖術の使用禁止は暗黙の了解のようだが、一応明言しておく。判定を導入すると屁理屈をこねる余地が生まれそうだったので、殺した者勝ちにした。反則などの判断は常世に任せておけば理不尽が起きることはないだろう。


「……では、時刻は今宵零時、ところは日枝神社境内にて」


 狐坊主はそれだけ告げると、これ以上ここにいたくないという意思表示か、こっちの返事も待たずに、煙となって消えた。

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