私が選んだ道
それは冬のNYでも珍しく暖かい年の事。
「花、あの男とは別れろ」
「さっきまで私の婚約者の事で笑顔をうかべてたのに」
「花、お前はあの男に騙されているんだ。お前にはわからないだろうが…「何よそれ!いつまで私を子供扱いするの?!私はもう大人よ!」
突然の父の声に、花はもう何もかも信じられない悲しみで胸が張り裂けそうになる。
まだ、父にはお腹の子供の事はバレていない…。
この子だけは。
あの人の子供だけは守りたい。
「ドルートス。かかりつけの病院に電話をいれろ」
「!!」
無意識にお腹に手をやりそうになるのを押さえた花に父親は酷な事を言い出した。
「お腹の子は堕ろせ」
父はすでに花のお腹の中に子供がいる事を知っていた。
まるで汚い物でも見るような目で自分を見ている。
「お、お父様…お願い…」
震える声で懇願しても、父の言葉は変わらない。
「花、その子は堕すんだ」
「いや!」
父の言葉は死刑を言い渡された罪人のように自分の体を抱きしめて震えていた。
この子を堕ろす?
殺せって言うの?
「いやよ!どうして私ばかりがこんな思いをしなきゃならないの! 私はあの人が好きなの! この子だけは絶対に殺させない!」
父親に腕を強く引っ張られ、引き摺られた花は狂ったように泣きながらお腹を押さえた。
「花…」
立ち上がった娘は窓から身を乗り出すと叫んでいる父親の方を向いてにっこり微笑んむ。
「お父様は私から彼をとって、この子までもとろうとしている…この子を失うくらいなら…」
自宅とは言っても、こころはローズ邸。
例えバルコニーだと言っても、高さは四階建てのビルと変わりない。
「花!待つんだ!」
父の叫びは娘には届かず、彼女は窓から下へと飛び降りた。
長い黒髪が娘の悲しみを告げるようにぶわんと広がる。
幾ら待っても地響きのような音は聞こえて来ない。
窓の方を見ると、ドルートスが娘の手を掴んでいる。
「ど、ドルートス!」
「旦那様…早く!お嬢様を!」
他の使用人達と一緒に娘の体を引き上げると娘は父親を睨んだ。
「この子は産みます!」
今まで花は父親の言う通りに生きて来た。
全て。
それが一人の男の出現により、狂わされた。
黒髪にややつり目でキツく見えがちな碧眼を持つ父親の自慢の娘ー花。
「わかった…「お父様」
「産むことを認めるが条件がある。その子はあの男に渡せ。お前は私が選んだ男と結婚する事が条件だ。それが守れないなら…」
今すぐ病院に連れて行く。
父の言葉に花は震え出した。
厳しく光る父の灰色がかった青い双眸は冷たく花を見下ろしていた。
花は確信していた。
もし、自分が子供を産んでその後子供と一緒に消息を絶てば、あの人を社会的抹殺する…お父様はそう言う人だ。
「どうするんだ花」
項垂れたまま花が口にした言葉は、是。
彼と別れてから、唯一このお腹のこどもだけが彼との繋がり。
この子の存在さえも父は否定すると…。
「わかりました…お父様が選ばれる方と結婚いたします。ですからこの子だけは…」
結婚さえも私に選択権はない。
絶対に私はこの子を守ってみせる。
ー勝海…。
まだ平らなお腹を労るように手を添えた。
「お嬢様…」
ドルートスの声にも花は何も答えない。
もう泣くのも嫌だ。
あの人も失って、この子も失わなきゃならないのなら…。
私の心なんて壊れてしまえばいい。
この瞬間に世界が壊れてしまえばいい。
父親が仕事に出て行ったのを確認すると花は急いで旅行バッグに荷物を詰め込んだ。
ちらりと本棚に飾られてあった家族写真を目をやるとそこには花と両親が笑顔で写っている写真。
「……」
偽りの家族。
偽りの笑顔。
花は顔をしかめると写真立てをパタンと倒した。
「お嬢様…何をされているんです!」
「出て行くの」
「花お嬢様!どうして!」
「暫くお父様とは会いたくないわ。子供が産まれたら帰って来るとだけ伝えて…だから、それまでは捜さないで」
慌てるドルートスの声に花は家を出るのと言い残すと、自分が育ったローズ邸から出て行った。
子供が産まれた後、花はその言葉通りにローズ邸に帰って来た。
花の顔には笑顔はなく、ただ人形のようにそこに立っていた。
「花お嬢様…」
自分でデザインした服を身につけた花は、帽子を軽く頭に乗せると鏡の前で何度も服装をチェックした。
その姿は一児の母とは思えないほどの細さ。
この日花はすでに婚約することになっている。
見た事もない男と。
鏡を見る度にフンと息を出せば、コホンと背後からドルートスのお小言が待っている。
もう私には自由なんてない。
八ヶ月前、これ以上無いと思えるほどに身を焦がす恋愛をした。
半分血が繋がった兄だと知らずに。
あの孤独な兄に、どうしても愛していると伝えたくて、子供が産まれるまで彼の側にいる事を選んだ。
「花、子供の名前は考えてるの?」
買物から帰って来たお母様に声をかけられ、驚いて立ち上がると座ってと促された。まだ性別すらもわからないし、私もレオンも産まれて来るまでの楽しみにしたいと思っている。だからこそ、名前は二つ用意した。
「はい。男の子だったら、勝海」
「じゃあ、女の子だったら?」
「瞳です」
「どちらも日本名だけど良い名前ねどうして?」
「ありがとうございます。私の名前も日本名なので、それで自然と…。それに私は1/4だけ日本人の血が入っていますから」
「ただいま」
その時、柔らかい笑顔で帰って来た愛しい人を出迎えた。
彼とはあの後何度も話し合いをして、彼の懺悔も愛情も全て花は受け入れる事にした。それが例え自分を苦しめる事になろうとも、目の前にいる心に深く傷を負った人にこれ以上傷ついて欲しくない。
レオンが花に告白して来た事実に初めは信じられなくて倒れてしまった事も会った。
だが、それを認めなければ、お腹の子が可哀想だ。
花はペンを握るとまだ見ぬ我が子への手紙を書き続けた。
それは子供が十六才を迎える頃に、自分の出生の秘密を知る権利があるだろうと彼女なりの考えで。
《あなたがこの手紙を読む頃、私はあなたと同じ国にいると良いのだけれど。私は理由あってあなたを手放さなくてはなりませんでした。
あなたを失うよりも、産む事を選んだのは母親としての私のエゴだと思ってもいいわ。 私はレオンと一緒にあなたに会いたくて産む事を選びました。
いつかはあなたも知らなければならない。でもどうかこの事を知って、お父様をレオンを憎まないで欲しいの。彼は愛を知らなかった人だから》
その手紙には子供の父親がレオンではない事が書かれていた。
彼女が妊娠したのは、人為的であり、それを望んだのがレオンだと。
7月の暑い夜に花の第一子が誕生した。
名前は『勝海』。
祖母である鍋島千草が母親として育てて行く事を約束してくれた。
紅葉のように小さな手に人差し指を差し出すと小さな勝海は力強く花の指を握った。
「花、本当に行くの?」
「はい。それが父との約束でしたから。この子を…勝海を守るためだったんです。お義母様、短い間でしたけどお世話になりました。そして…勝海をお願いします…。もし、この子が自分の名前の由来を聞いて来た時には『あのランペドゥーサの海での出会いは間違いではなかったと、私達は宿命には勝てなかったけど、この小さな子供にはどんな苦しい宿命にも打ち勝って欲しい。
そんな意味を込めてつけた』と伝えて下さい」
八ヶ月間お世話になったレオンの実家を出て行った。
勝海もレオンも私が守るしかない。
目を固く瞑った花は深く息を吸込むと鏡を通してドルートスを見る。
「さあ、行きましょう」