残酷な現実
「お父様。私、運命を共に歩みたいと思う方が、出来たの! 彼です。レオン=シャルレ。フランスでサッカー選手として活躍しているのよ」
春の女神のように幸せいっぱいの笑顔で、自分の恋人を連れて来た花とは、対照的に冷ややかな微笑を浮かべたレオン。
花を愛おしそうに見つめる、レオンは花の父親の方を見て、悪魔の様な微笑をたたえると唇だけ動かして来た。
【お久しぶりですね。お父さん】
それを見た花の父親は手で口を覆うと力なく崩れ落ちるように椅子に座った。
「パパ?」
暫く黙り込んだ父親に花は駆け寄るとドルートスを呼んだ。
「旦那様、どうされました…」
ドルートスさえもレオンを見て静止した。
「千草様…」
「ドルートス? あなたまでどうしたの?」
花が不安そうな顔で二人の顔を見ているとレオンが花を抱き寄せた。
「どうやら君のお父様は僕の事を嫌っているらしい」
レオンの言葉に花は頭を振った。
「そんな事ないわ!パパはあなたの名前を聞いて自分の名前に似てるって嬉しそうだったのよ」
「へぇ〜僕の名前が…」
うれしいね…そう花の耳元で囁いたレオンに花は顔を真っ赤にさせた。
「は、花!」
「パパ?どうしたの?」
「ゆ、許さんぞ…ワシは絶対にお前なんかに娘は渡さん」
怒り狂う父親の姿に花はびっくりした。
これまで父親はママが亡くなった時も淡々と日常を送って来た。
でもどうしてレオンはダメなの…。
「何故? どうしてダメなの?」
「どうしてもだ!ドルートス!この男をこの屋敷から追い出せ!」
「レオン!いやよ!レオンと一緒じゃなきゃいや!」
崩れ落ちるように床に座り込んだ花は泣き出した。
今まで父親は自分の奔放的な行動にも目を瞑って来てくれた。
それは仕事にかまけて家族を蔑ろにして来たと言う負い目を隠すためだと花も知っているし、彼女だって何も知らない子供ではない。
会社の経営者が一日仕事をしなければ末端の人間の生活を危ぶむ事になるのは知っているからだ。
レオンが屋敷を出て行った後、花は何度も父親にレオンとの結婚を許して欲しいと言って来た。
その度に父親は花を屋敷から出ないように軟禁した。
夜中に屋敷中の明かりが落とされ、その間に花は外へと飛び出した。
ボディガード達が見たのは花がレオンの運転する車に乗り込む姿だった。
そのまま二人は手に手をとって飛行機に乗り込むとフランスへと飛んだ。
その後を追うように花の父親もフランスへと急いだ。
「……」
大きな青いアーチ型の鉄製の重い扉を押せば、中に広がるのは広い石畳と色とりどりのチューリップがレオナードを出迎える。
ここはその昔、彼自身が住んでいた場所だ。
小さくため息を吐くとレオナードはオーナーの部屋へと向かった。
ギリッと歯を食いしばった。
レオン…悪趣味な男だ…。
階下で他の住人に会った時にさりげなくレオンと花の事を聞けば、花は近くの花屋で働いているとか…。
どうやら今はあの男だけか。
レオナードはドアをノックすると中から聞こえて来た声に眉を顰めた。
女の声だ。
扉の向こうに立っていたのは、二番目の妻の鍋島千草だった。
「千草…」
「あなた…」
「お前は変わらず美しいな」
「あなたは年をとりましたね」
「相変わらずだなその口のききようは」
千草の言葉にレオナードは口の端を少しあげた。
レオナードが千草と結婚したのは彼女が十六になったと同時に、三十八だったレオナードと政略結婚をした。
彼女の父親の会社を援助すると言う条件の下で、ほぼ身売り同然の結婚だった。
レオナードが彼女に目をつけたのは、彼女がシュタインの血を引いていたからだ。
彼女はアルフレッド=シュタインの孫で彼の一族で唯一の女性だ。
あの血が女性に著しく効果が現れると言う事を知っていたレオナードは、意図的に千草の父親の会社を破産する寸前まで追いこんだ。そして彼女と結婚する事で実家を手助けする優しい男を演じた。
それほど彼女を手に入れたかった。
だが、彼女はいつも何かに怯えていた。そして自分の元から去って行った。
あれからすでに二十二年の時が経った。互いに年はとったものの、千草は今年三十八。そして自分は六十になった。
彼女は年齢を感じさせないくらいに若く見える。
「中にいれてはくれないのか?」
レオナードの言葉に千草は気がついたように彼を中へと招き入れた。
「で?何の用かしら?」
「レオンのことだ」
紅茶で良いかしらと聞くとレオナードが好きな銘柄の茶葉を入れ、茶器に紅茶を淹れていた千草の手が止まった。
こぽこぽと茶器から溢れ出る。
「今、レオンって…どう言う事?」
「私の娘がレオンと結婚したいと言って来たんだ」
ガチャンと茶器が割れる音がすると千草は両手で顔を覆って泣き出した。
「千草…」
「あの子は……なんて事を…」
「千草…ワシに守らせてはくれないか?」
「あなたに迷惑をかけれないわ…レオンは私が説得します。ですから、あなたは娘さんを説得して下さい」
千草はレオナードに自分の両親までも、何者かによって殺された事。そしていずれは自分にもその魔の手が来るだろう。だが、彼女は自分の身の危険を元夫に察知されないように敢えて強い女を演じて来た。今更何で彼の手をとることなど出来ようか。一度マッケントッシュと実を結んだ自分の体には細いイバラが絡まる。それは年を取るごとにきつく、逃れようとする度に体に巻き付いたイバラに肌を切られて行く。
あの子がバカな事をする前に説得しなければ、恐ろしい事をしなければいいのだけれど…。人一倍優しいあの子の事だ白い魂が灼熱地獄の色に染まるのだけは、親として避けたい。
立ち去ったレオナードの姿をレオンは黒い笑みを浮かべて見送っていた。
「母さん、どうしたの?お客さんでも来てたの?」
「え?ええ…お友達よ。昔のね」
「ふ〜ん」
来客用のカップを片付け始めた母親にレオンが微笑んで来る。
元夫と同じ髪、双眸を持つ息子。
どうか、あなただけは悪魔に心を売らないで欲しい。
「レオン…。あなたカイザーとは会っていないわよね?」
「どうしてそんな事を聞くのさ」
「カイザーだけには心を許さないで頂戴」
「はいはい」
「レオン、それからあなた花さんと付き合っているんですって?」
「……」
「何を考えてるの!! あなた達は…」
「初めまして、花です。レオンのお母様」
レオンの背後から出て来たのは彼が忌み嫌う男の娘。
「レオン…どう言う事なの?」
「母さん、オレ達結婚するよ」
「そ、そんな事許されるわけないでしょ…花さん、落ち着いてもう一度考えて頂戴、あなたにはレオンよりももっと素晴らしい男性と出会えるわ。だから、レオンの事は忘れて頂戴」
「母さん、オレ達は本気だ。そうだろ花?」
コクンと頷く花に千草は目眩を感じた。
それから千草は幾度となくレオンを説得したが、花はレオンから離れなかった。
どれだけ周りがダメだと言えば言うほど、二人の恋の炎は燃えあがるばかりだ。
とうとう、花の父であるレオナードが練習中のレオンの元にやって来ると最後の切り札を出して来た。
「レオン。いいか、花とは別れろ。娘には罪は無い。お前が花と別れないなら、こっちにも考えがある。お前のチームにケガ人が出ても構わないのだな」
ギロリと睨むレオナードの目にレオンはくつくつと笑うと何がおかしいと彼のユニフォームを掴んだ。
「なら、あなたの娘にそれを言うべきなのではないのですか?ほうらそこに青い顔をして立っていますよ」
そう囁いて来たレオンが指差す先には、レオンに会いに来ていた花が真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「酷い!私は死んでも彼の側にいます。どうして彼を認めてはくれないの! 私は彼しかいらない!」
花の悲痛な叫び声がついにレオナードに禁句を言わせてしまう。
「花!お前とあの男…レオン=シャルレは腹違いの兄妹だ。だから結婚は出来ないんだ。それにあの男はワシを憎んでいる。自分の母親を苦しめたとそしてワシの娘である花、お前もだ」
「う、うそ…うそよね? レオンうそだと言ってよ」
「すまない、花。本当なんだ。でも俺は君を決して妹としてみた事なんか一度もない。これだけは本当だ」
そう妹として見るかよ。仇の娘として見てたんだからさ。
どうやってコイツら親子に地獄のような苦しみを味わせることが出来るのかってずっと考えてたんだからな。
苦悶に歪む花の表情は、絶望を表していた。
花は顔を真っ青にすると急に立ち上がって何処かへ走って行った。
それを見たレオンは悪魔のような優しい声で言って来る。
「あなたも罪な方だ」と。
「これがお前の私への復讐なのか?」
「いいえ。これは序章ですよ。お父さん」
すっと肩越しに囁かれた言葉にレオナードは顔を青ざめるとその場に立ち尽くした。