異世界の姫は召喚士様
清らかな清流と浄化された空気、あたりを見渡せば緑色の木々が立ち並び目の前には大きな滝が水飛沫をまるで霧のように広げ空間を包み込んでいる。私はそんな深い森の中でそっと息を吸い込んだ。朝露の混じった空気はどこか冷たく心地がよい感じがした。
深くゆっくりと息を吸い込む中で目をゆっくりと開きやや斜め上に視線を移す。目線の先には丁度朝の訪れを告げた太陽がギラギラと輝いていた。私はその太陽に右手をかざしてもう片方の手を地面のある放へと向け、同時に握っていた神楽鈴をゆっくりと揺らしていく。すると三方に置かれた白い札がゆらゆらと揺れ始め周囲の木々がざわつき始める。そして数秒も立たぬ内に静けさに包まれていた森は複数の雑音で溢れかえった。
私はしばらくその中で舞いを踊り、そして一礼して一歩後ろへ下がった。
「……渡り神様ここへ来るのは今日で最後になります」
今にも消えてなくなりそうな声、多分数歩前にいる人間にだって聞こえるかどうかわからないほどに小さな声だったに違いない。同時に胸を締め付けて離さない不安と恐怖、ずっと昔からこの日が来ることはわかってはいたけれど、いざその時が来ると怖くなった。
人にはあらかじめ定められた運命があり人は知らず知らずのうちにその運命の糸を手繰り寄せて未来に進んでいる。だけれど、私はあらかじめ私自身の運命を見ることができた。
本来知りえるはずの無い未来の出来事を私は知ることが出来た。こうしてこの日この場所を訪れることもこの先どこへ行き何をするのかも知っている。だからこそ怖かった。
この先起こる災いが逃げ出したくなるほど怖かった。14年間悩み奮闘し抗おうとしてきたけれど、未来は変わらなかった。
「結局お顔をご拝見する事はありませんでしたね。力はあるのにその姿を一度も見せてくださらなかった。私の人生の中で貴方様ほど姿を見せない神はいませんでした」
多くの神様を見てきたけれど、一言も言葉を交わすことの無かった神は目の前にいる渡り神だけだった。7年もの間祈りをささげてきた神なのに一度も顔見せなかった。巫女の家系に生まれた私の人生の中で唯一契約できなかった神でもあった。私は一族の中でもっとも才能のある人間として生まれ、2歳で自分の未来を見ることが出来た。そして16歳になった今日までの未来を予知する事ができた。けれど今日以降の未来は見えなかった。
未来が見えないのはそこで人生が終わっている事を示してしている。私がそのことに気がついたのは伯母上様が亡くなった5歳の頃だった。伯母上様が亡くなるその日、丁度その時間から伯母上の未来が見えなくなっていた。その時から未来が見えない場合はその人間が命を落とし未来を歩むことが出来なくなったことによって見えなくなったのだと知った。私は自分の運命が16歳の今日途切れていることに気づき、何とか未来を変えようと準備をしてきたつもりでした。人一倍努力して一族一の巫女として育ったけれど、未来は今日まで変わらなかった。多分変える事の出来ない運命だったのだろう。
「飛鳥様そろそろ戻りましょう。今日は念願の雫様の神卸しの儀が行われる大切な日でございます。山を降りるのに半時掛かりますゆえそろそろ戻らないと」
私の名前を呼ぶその声はすぐ後ろから聞こえてきた。定められた未来の一場面。何百何千と見てきた未来で数千回も聞いた台詞に私は振り替えて頬を緩める。
心境を隠し、本当の気持ちを押し殺して私は笑った。
「そうですね。妹の大切な日ですものね。姉である私が遅刻したらきっと雫は怒ってはぶててしまうでしょう。さぁ、もどりましょう」
「はい、飛鳥様」
何千回も聞いた言葉を返してきた彼女の言葉を聞いて私は少し表情を曇らせた。
「……同じ、全部同じなのね……」
その日が来なければどれだけ幸いか、そう何度も思った。
変える事の出来ない運命を受け入れてしまえばどれほど楽か、何度もその日の事を考え逃れる方法を探した。けれど逃れることは出来なかった。幾千幾万も見る未来の夢は変わること無く変化無く毎晩私のまぶたの裏に訪れた。そして昨日見た夢と同じことが今起こっている。巫女見習いの沙耶が声をかけてくることも、彼女が言った言葉もすべてが夢と同じ、私の行動も言った言葉もすべてが夢どおり、未来は変わらなかった。何度も変えようと努力してきたのに結局変わらなかった。もういい、私はもう私の運命を受け入れよう。私、鳳聖院飛鳥はその日すべてを受け入れる覚悟を決めた。
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メラメラと燃える薪から煙が上がり天へと消えていく。
頭上で輝く太陽からは暖かな陽光がもたらされている。しかし数秒のうちに太陽は雲に隠れ月のように雲って世界を包み込む。すべて翡翠で出来た社、森の中腹に作られた一族と巫女たちだけがしるその場所は神を人間界に下ろすために使われる神聖な場所で私はそんな場所につい先ほど到着した。社の中では既に数人の巫女服を着た女人が白色の札を壁と地面に貼りそして四方に塩を置いて何か念仏のような言葉を発していた。そして部屋の中央には赤色の紐で覆われた空間が存在しその中心に妹が巫女服の状態で座り込んでいる。
私はそんな妹の背に向けて声を上げた。
「雫、いよいよですね。この儀式が終れば雫も晴れて立派な巫女様です。巫女見習いとは違いこれからは私の分まで様々な仕事をこなし精進することになるでしょう。貴方のような立派な妹をもてて私は誇らしいですよ」
クルリと体を振り返り、顔を向けて妹がこちらに目を向けてきた。
愛らしく大人になりつつある顔立ちの中学三年生、姉妹の中で最も正義感が強く素直でとてもいい子、誰にも慈しみの心で対話し損ばかりする性分の妹、中学生の頃から巫女の力が強くなり中学三年になった頃には既に神様を見受け出来るほどに成長した。姉のように幼少の頃から鍛え上げられてきた者と違い、突発的な才能だけで今に至っている。これからが心配だが、姉に任せておけばなんとかなるだろう。
「飛姉様、来てくださったんですね」
「えぇ、妹の晴れ舞台ですものちゃんと見届けないとね」
「ありがとうございます。飛姉様がいてくだされば万が一の時も安心できます」
「私なんてそんなに頼りにならないわよ? もしかしたら貴方よりも実力が無いかも知れないし」
「何をおっしゃっているんですか? 飛姉さまは私たち巫女の中でもトップクラスの実力者で複数の神々と契約し数多の怪奇を治めてこられてきたではありませんか。私なんてまだまだ半人前ですし紅葉お姉さまよりも才能があってあの天下の安部家の頭首様にも目をかけられておられます。お姉さまが思っておられる以上にお姉さまは優秀なんですから」
赤色の縄が交差する中で妹は両手を組んで頷きながらそういってこちらを見てくる。
彼女の目には期待と尊敬の念が感じ取れた。昔から彼女が私を尊敬していることは知っていた。私は昔から巫女仲間からも信頼され覆いに期待されてきた。自分の実力もそれなりにあると思っている。けれど、いくら力をつけようとも未来は変わらなかった。私はここにいる者たちのために命をささげる。妹を姉を守るために私自身が犠牲となり神に召されることになる。この先起こる災いの報いを受けるために私はここへ来たのだから。
「私は貴方の思っているほどすごい人なんかじゃないの、でもありがとう」
「飛姉さま?」
首をかしげる彼女を見て私は微笑みを返した。
そしてそれからしばらくして神卸の儀が始まった。
神卸しとは古くから巫女が神の恵みを得るために行う儀式の事で神をおろした人間は人知を超えた力を得ると共に神々の力を借りることが出来る。巫女は年に何度か舞をして神々に感謝の意を示し、踊る。死後は神の身使いとして過ごし後に転生するといわれている。
多くの巫女は神と契約し一人前になる。今日はそんな一人前になるための儀式を妹が執り行うのだ。妹が舞いながら鈴を鳴らす姿を眺めながら私は小さく言葉を交わしていく。誰にも聞こえぬように巫女の式を口ずさんでいく。それと同じくして妹もさらに舞いを深め、鈴の音がさらになりびく。そして次の瞬間、赤色の縄がいっせいに切れ始めた。瞬間周囲にあった塩が白色から黒い色に変わる。それを見た多くの巫女たちが声を上げ始めた。
「……そ、そんな」
「急ぎ儀式を中止せよ! このままでは邪神が降り立つぞ」
「即刻中止だ! 皆、神払いの札を持て!」
巫女たちの声が何度も耳に響いた。
多くの巫女たちがいっせいに札を手にし中央に座り込む妹を取り囲むようにして札を地面に張り巡らせていく光景が目に映りこんでくる。しかし地面に札を貼った瞬間札は跡形も無く消し飛び同時に妹の体から黒色の霧のようなモノがあふれ出るのが見えた。
本来神をおろした場合、白色の清き気が術者の体に溢れるのだが、今回はその逆で酷く濁った黒色の気が妹の体を覆い隠すようにして包んでいた。この場にいる人間ではおそらく太刀打ちできないであろう強大な何かが今妹の体に入り込んでいる。そしてこの事態が起こることを遠い昔から私は知っていた。そしてこれから何をするべきか、すべてを理解していた。私はゆっくりと立ち上がり妹の前へ歩み寄る。妹の前に立つと妹の表情を伺えるほどの距離まで近づいた。妹の顔には無数の血管が浮き出ており紫色に変色していた。一目見て邪神が取り付いているとわかるほどに顔色が悪い。私はそんな妹に手のひらを押し当てた。熱の失せたからだは死人のように冷たく今にも息絶えそうに、苦しそうに息継ぎをする妹を見て溢れてきた涙が視界を一瞬ぼやけさせた。。
「大丈夫よ、私が貴方を引き戻してあげる。守ってあげる。何度も何度も見てきたことですもの絶対に成功させて見せるわ」
「……姉様何を言っているの? それにどうして姉様泣いてるの? どうして、どうしてそんな悲しい顔しているの? 私がんばったんだよ? 今までこの日のためにがんばったんだよ? でもおかしいの……体が思う様に動かないの……動かないのよ」
「大丈夫、貴方は心配しないでいいの、全部、全部私が何とかするから」
「……姉さま」
「……今は眠りなさい。そして次に目覚めたときには貴方はもう元の貴方に戻っているはずだから、その時は自分を責めないでね、私はそれだけが心配だから」
妹は私の声を聞くとゆっくりとその茶色の眼を瞼の裏へと隠した。
私はそんな彼女の見つめながらゆっくりと息を吸い込みそして左手を口元にやり
指先を口に含み思いっきり皮膚を噛み切った。瞬間、口の中で血の味が広がりすぐに指を口から出す。ポタポタと零れ落ちる血液が地面にはじける音が何度か聞こえると私は血の溢れる手を右手に持っていた札にしみこませるようにして押し付ける。
「我が友にして親愛なる者たちよ、我の命を糧とし、今触れる者を悪しき者より守りそして守護せよ、我の命が途絶え、尽きるその瞬間まで我のすべてを我が妹にささげる」
片手に握られた一枚の札、それは巫女たちの間では禁術として使用を禁止されていた術式。己の使役する神々の力を一気に放出し他者に移す術、邪神を払うにはもうこれしかない。血の染み込んだ札が妹の体に触れた瞬間、それは赤色の火と共に跡形も無く消滅しぱらぱらと赤色の灰が空間に漂った。しばらくして赤色の灰は妹の体を包み込み渦を巻きながら黒い得体の知れない気を浄化し始めた。それと同時に私の体に黒い何かが勢いよく流れ込んでくるの感じた。そして瞬間、激しい痛みが全身に電撃が走ったように伝わってきた。最初は足に針を数千本刺したような傷みが走った。意識を手放してしまいそうになるほどの激痛、そして次に訪れたのが手の痛み、腕を燃やされたように酷く耐え難い熱さが腕や手を包み込みまるで火傷を負ったように酷い傷みが訪れた。それらはすべて代償だった。神を一度の式で手放した代償、そして無防備になった体に逃げ込むようにして邪神の気が体内に入り込んだ。私の体の中で奴は私の骨を溶かし、血液を沸騰させ、そして最後には心臓をすべての臓器を破壊するだろう。私は激しい傷みの中で掠れ行く声を妹に向けて送った。それが妹に聞こえていないことはわかってはいたけれど、この先彼女が背負う思いを考えるなら、少しでも彼女の気がらくにならないか、そう考えて私は彼女に言葉を送った。
「雫、もっと生きて、私の分まで生きてちょうだい。私の運命はここでついえることになるけれど、貴方の運命はこの先もずっと続くのだから、だから生きて、生きて私の知らなかった未来を歩んでちょうだい」
徐々に体の力が抜けていく、術の影響で神力が失われていっているのだろう。同時に体の生命力も奪われていく、感覚が麻痺し痛みも苦しみもなくなっていく。多分、きっと目を閉ざせばもうその場で私は意識を失い、二度と目を覚ますことは無いだろう。
私は意識が続く限り周囲の物を目に入れた。忘れないように決して忘れないように刻むようにして私は周りを見渡した。そして徐々に白くなっていく景色を見つめ、顔色の良くなっていく妹を見つめて小さく呟いた。
「雫、自分を恨まないでね……貴方は悪くない、未来を変えれなかった私自身が未熟だったのだから自分を恨まないでほしい、貴方には私なんかの命に縛られて生きてほしくないから」
命が散るのは花が枯れるようにしてゆっくりと徐々についえるものだ、そして今がそれのなのだろう。徐々に視界が暗闇へと果てて行く、同時に光が見えた、暗闇に包まれる一方、視界に入るモノとは別に桜色の光が目の中に移りこんだ。それは目で見ているのか直接頭の中でそのように見せているのかわからないけれど本当に明るい光だった。