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(何でこんなことになっちまったんだ……)
物音一つ聞こえない、緊張の糸がピンと張り詰めた銀行の中で、新次郎は今起こっている状況に心の中でため息をつきながら思った。
手も足も縛られ身動きが取れない状態、犯人は五人で全員拳銃を所持、人質は全部で三十人、時々面白半分に人質を拳銃で脅す以外、犯人に目立った動きはない、犯人が車を要求してから十分ほど経っている。今の状況をまとめるとこんな感じだ。
「まだ車は来てないみたいだぜ?」
「ちっ、警察め、時間ギリギリまで粘るつもりでいやがるな」
要求してから一向に答えが返ってこないのに早くも苛立っている様子の犯人。五人のうち四人は覆面や仮面を被り、銀行の中央のテーブルと椅子を陣取っている。そしてもう一人はマスクとバンダナで顔と頭を隠し、壁際に寄っている人質の横の柱に背を預けて立っている。
新次郎は今の状況を一度飲み込むと、心の中で舌打ちをした。
(ちっ……、とりあえずこの縄さえ解ければいいんだがなぁ……ってあれ?)
しばらく手と足を動かしていると、自分を縛っている縄がどんどん緩くなっていくのがわかった。どうやら、犯人の縄の縛りが甘かったようだ。
(ラッキー! これならどうにかなりそうだぜ)
犯人に気づかれないように縄を解くと、新次郎は手を閉じて開くを繰り返して体に異常がないかを確認する。
異常がないことを確認し終えると、新次郎は足に自分を縛っていた縄を緩く結び、自分の手が見えないように後ろに回して、犯人にばれないように少しずつ横に移動していった。
(とりあえず狙いは横にいるあのバンダナ野郎だ。あいつは油断してるし他の犯人の死角になっている場所にいる)
牛歩戦術で少しずつ目的の場所に向かう新次郎。時々犯人が来た時はピタッとその動きを止め、顔を俯かせて衰弱している様を演じる。
それをしばらく繰り返すと、さっきよりも目指している場所に近くなっていた。思わず新次郎の顔がにやける。
(よし……、あともうちょっとだ……!)
そう思った瞬間、ガタッと何かが動く音が静寂を破った。
(やべっ!)
突如響いた音に慌てて、新次郎はすぐさま動きを止めてうつむいてテンプレ通りの演技に入る。
(なんだなんだ……?)
俯いているため回りを確認できない新次郎。
「そこのお前! 何してやがる!」
怒声が新次郎に向かってきた。その声は、始めに銀行で聞こえた怒声と一緒の声、それは五人の犯人のリーダー格の人物の声だ。
一瞬で縮こまる新次郎。自分の計画がばれたのか、このままでは自分の命が危ないと、とりあえず何もせずに石像のように動かないようにする。
「お前! 何やってるのかと聞いている!」
またも聞こえる怒声。
死を覚悟した新次郎は縮こまって動かなくなっていた全身に力をこめた。
(えぇい! こうなったら自棄だ! もうどうにでもなっちまえ!)
人間、死の恐怖を捨てたら何でも出来ると言われている。新次郎はまさしくそれを体現するかのように、銃を持った犯人の前に立ちふさがって抵抗してやろうと勢いよく立ち上がって腹と拳に力を込めた。そして、腹に込めていた力を思いっきり喉に通して、口から勢いよく吐き出した。
「お! 俺がお前らを警察に突き出してや!」
「どうやら間に合ったみたいです!」
新次郎の虚勢が可愛らしい声にかき消された。
「え? ぶえぇ!」
かき消してきた可愛らしい声の正体を確認しようと後ろを振り向こうとした瞬間、新次郎の頭にとても重いものが降りてくる感覚がして、そのまま重いものに踏み潰されて新次郎は地面に倒れた。
「さぁ! 新次郎はどこですか!? 私が殺すべきターゲットは何処に!」
キョロキョロと周りを見回しながら新次郎の姿を探すが、見えるのは呆気に取られている犯人と、何が起こっているのか理解できない人質だけだった。
「新次郎? ま、まさかもう死んじゃったですか!」
不安に駆られてキョロキョロしながら焦りの表情になる少女。どことなく、迷子になった幼稚園児が母親を探す様を彷彿させる。
「……おい」
我慢の限界を迎えた新次郎が、少女に踏まれた状態のまま声を出した。その声は暗闇もより暗く、地の底を這うように低い声だ。
「足元見てみろ……」
暗く低い声が少女に道を示す。
少女は声に気づいて足元を見てみると、そこにいたのは自分が求めていたターゲット、一之瀬 新次郎が地を無様に這っている様子だった。
「あれ? 新次郎、何時からそこにいたですか?」
少女もこの状況を飲み込めていない様子で、頭の上に大きなクエスチョンが浮かんでいる。
その様子を見ずとも肌で感じた新次郎は、こめかみの辺りをピクピクさせながらゆっくりと立ち上がって笑顔になる。しかし、見た感じ、目が笑っていない。
「てめぇ……隙を突いて銃を奪ってこの場を治めようとしていた俺の作戦を見事に打ち砕きやがって……覚悟は出来てるんだろうな?」
「ちょっと待つです! そんなことしたら最悪死んでしまうですよ! どうせ死ぬなら私のこの手で、むぐぐ!」
言葉が言い終わらないうちに、新次郎は溜まっていた怒りを手に集めて少女の口を思いっきり掴んだ。そしてその表情は、隠れていた闇が偽りの笑顔を打ち破って前面に出てきていた。その闇は、小学生辺りなら見ただけで泣いてしまう程だ。
「今すぐ俺の前から消えないと自分の初任務よりも大事な物まで無に還ることになるぞ……」
「初任務より大事なものなんてないです! 狩猟神は自分の命を懸けても提示されたターゲットを、いぢぢ!」
もはや手のつけようのない新次郎の怒りが、手のひらに集約して少女の口元を掴んでいる。その痛みが想像を絶するであろうことは言うまでもない。
痛みに耐え切れず逃げようとする少女は、新次郎に向かって両手をポコポコとぶつける。しかし、怒りに燃える新次郎にはまさしく「糠に釘」と言ったところであろう。しかしそんな二人の様子は、とてもほほえましい兄妹のじゃれ合いを連想させる。
「お前ら! ふざけるのも大概にしろ!」
ほほえましい光景に耐えかねた強盗の一人が、やっと我にかえって持っていた拳銃を新次郎と少女に向けた。カチャという音をが響くと同時に、その音で他の強盗も我にかえって一斉に銃を二人に向けた。
「あ、忘れてたよ今の状況」
五つの銃口が自分に向いているのに気づいた新次郎は、掴んでいた少女の口から手を離して今の状況を把握して立ち止まった。
「いたた……、ちょっとは手加減するです……」
「おい、お前」
異常がないことを確認した少女の首根っこをガッチリ掴む新次郎。
「いたた! 何するですか!」
「お前、狩猟神なら武器とか防具とかないのか?」
真剣な表情になる新次郎。
今の状況を考えて、丸腰の新次郎に打つ手はなく、発砲された時点で新次郎は終わりだ。ならば新次郎が出来ることは、この少女の可能性にかける以外なかった。しかもその可能性も確実ではない、つまり新次郎にとっては人生を懸けた一大勝負でもあるのだ。
「あるにはあるですけど……」
「じゃあそれ使え」
すぐさま、間髪入れず、新次郎は簡潔に要求をぶつける。
「な、何でお前なんかに!」
少女が抗議をしようとした瞬間に、新次郎は少女を強く見た。
「今ここで俺を守らなかったらお前は初任務が達成できなくなる、俺を守ったら初任務達成のチャンスが守られる、どっちが大事だ?」
究極の選択をぶつける新次郎。もちろんこれは賭けだ。もしもこの少女が自分の命の炎が消えることが何よりの望みならば、自分はこのまま無様に鉛玉を食らってしまうだろう。
そんな新次郎の言葉に、少女は即答した。
「それはもちろん! 初任務のチャンスです!」
「……よし、交渉成立だ」
賭けに成功したことに満足したのか、新次郎は少女に微笑んだ。その微笑みは少女にとっては初めて見るものだ。
「お前らぁ! いい加減にしやがれ!」
交渉が成立した瞬間、強盗の犯人がしびれを切らして怒号を放つ。
振り向くと、その先で見えたのは銃口を新次郎と少女に向けた犯人の一人が、引き金に力を込め瞬間だった。
パン!
という銃声が響いた瞬間、銀行内の空気が一変した。