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「さてと」
鍵を開けて家に入り、居間のソファーに座って一息つく新次郎。
「フギャアアア! 離してくださいです!」
くつろぐ新次郎の先にいるのは、近くにあったホースで身柄を拘束された、薄汚れている少女だった。手を後ろに縛られていて、身動きできずにジタバタしている。その様はまるで、陸に上げられた魚のようなイメージ、擬音にすると「ピチピチ!」だ。
「お前には聞きたいことが山のようにある、とりあえず何から聞こうかな」
「離すです! ターゲットに話すことなんか何もないです! 今すぐこれを解いて私に始末されるです!」
新次郎はバタバタと暴れながら叫ぶ少女の首根っこをガッチリと掴むと、思いっきり上に持ち上げて顔を近づけた。
「どこの世界に自分を狙っているやつを解放するお人好しがいるんだよ」
「貴方がその第一号になればいいじゃないですか!」
そう言われて、新次郎は掴んでいた少女を思いっきり投げ飛ばした。
少女は勢いよく近くのタンスにぶつかり、痛そうな表情で唸りながら新次郎のほうを再度見る。
「とりあえずお前が何者なのかだけ聞かせてもらおうか、話はそれからだ」
それを聞いて、少女は自信満々に笑った。もし体が自由だったら、思いっきり胸を張っているだろうと思えるほどに自信に満ち溢れている。
「ふん! 人から名前を聞くときはまず自分から名乗るのが基本ですよ! そんなことも知らないなんて貴方も学が足りな、むぐぐ!」
言葉が言い終わらない内に、新次郎は少女との距離を詰め、ありったけの力で少女の口元をガッチリ掴んだ。
新次郎の顔は笑顔だが、何故かその後ろにはどす黒い闇のオーラが肉眼で確認できる。
「お前こそ今の状況を理解できる程の学が無いんじゃないのか?」
「びばばばばば! びばびびばびべぶ!」
ちなみにこれは「いたたたたた! 痛い痛いです!」と言っているようだ。
まともに話せずにジタバタ暴れる少女から手を離すと、新次郎は少女の対面に座って疑問をぶつけた。
「まず教えろ、お前は何者だ、どこから来た、何のために来た」
「いっぺんに聞かれても困るです……、まぁ冥土の土産に順を追って説明しますです」
そう言うと、少女は縛られたままの状態で説明に入った。
「まず私の正体からです。私は【狩猟神】と呼ばれる一族の一人なのです」
「狩猟神?」
聞きなれない言葉に首をかしげる新次郎。すぐさま少女が説明に入る。
「狩猟神というのは、神の世界に生きるたくさんの種族の中の一つです。主に提示されたターゲットの暗殺や増えすぎた生物の狩りを生業としているです。」
「それで、その狩猟神一族が俺に何の用なんだ?」
そう聞くと、今度は少女が首をかしげた。
「それが私にもわからないのです。今回提示されたターゲットが一之瀬 新次郎、つまり貴方なんですが、狩猟協会の人には写真を見せられただけでその暗殺の理由は聞かされていないのです。」
「つまり、ただ俺を暗殺しろって命令されただけってことか。」
新次郎は納得したように頷くが、しばらくしてまた首をかしげた。というか、こんな非現実的なことを理解できた自分に待ったをかけた、という表現のほうが正しい。
「基本的に教会はターゲットのことを言わないですし、好き好んでそれを聞く狩猟神はいないです。それは、狩猟神に依頼されるターゲットは必ず共通点があるからです」
「その共通点ってのは?」
新次郎の問いに、少女は少し間を空けてから、ゆっくりと口を開いた。
「このまま生きていると人間界にとって不利益や不都合なことを起こす可能性のある人間です。私達のターゲットは邪心のある資産家や政治家、ギャングやマフィアのボスがほとんどでした。だから貴方みたいな何も理由の見当たらないターゲットは非常に珍しいのです。」
ここまで聞いて、信じられないと言った表情で固まる新次郎。
「……ん?」
急に首をかしげる新次郎、ふとよぎった疑問を新次郎は少女にぶつけてみた。
「なぁ、珍しいって思ったんなら何で俺がターゲットになった理由を聞かなかったんだ? 協会だって聞けば教えてくれるんだろ?」
「え? っと……」
急な質問にまずそうな顔になる少女。思わせぶりに感じた新次郎はすぐさま詰め寄って少女に再び強い口調で問いかけた。
「おい! どうなんだ!」
そう言われ、少女はしばらく俯いたあと、
「……てへ!」
急に顔を上げて、舌を少し出して最高の笑顔を見せた。その無邪気さは少女の周りに花の幻覚を飛ばすほどであった。
「実は私、貴方が一番最初のターゲットだったんです! 初の仕事に興奮しちゃって本来聞こうと思っていたことをすっかり忘れてしまったです!」
茶目っ気全開でウィンクをする少女の目線の先にいたのは、顔を引きつらせながら拳をポキポキと鳴らす新次郎の姿だった。
「あぁ……なるほどなぁ……」
どす黒いオーラを放つ新次郎から、地底を潜るほど低い声が放たれる。
まるで悪魔のようなオーラに、ロリ子は体を縛られていながらも何とか後ずさりして逃げようとしている。
「え? ちょっと待つです! 私が知っていることは全部話したですよ?」
「あぁそうだな、でも一番重要なこと聞けなかったしその理由に腹が立つからその腹いせに」
その言葉と共に、新次郎は右手を大きくパンチの構えを取る。
少女は身の危険を感じたのか、何とか逃げようとしている。しかし、体の自由が利かないため、うまく逃げられていない。これでは格好の的だ。
「ちょ! 待つですよ! 暴力反対なのでフギャアアア!」
ボクシング選手が拳をクリーンヒットさせるようなとてもいい音と、少女の痛みを訴える悲鳴が部屋に響いた。
一発殴って満足なのか、新次郎は少女から離れてため息を一つつく。
対して少女は鼻から出る血を手を使わないで止めようと必死に戦っている。
「うぅ……無抵抗の女の子に拳をぶつけるなんてなんてドSな……」
「無抵抗な男を殺そうとした奴に言われたくないな」
皮肉めいたように言う新次郎。
プルルルルルルル!
「ん?」
突如、家の電話が鳴り響いた。
新次郎はすぐさま電話に駆け寄って受話器を取る。
「もしもし? 母さん?」
どうやら電話の相手は新次郎の母親のようだ。
しばらく電話でやり取りを繰り返していると、新次郎の口調がどんどん荒くなっていった。
「あぁ? また一ヶ月近く滞在? 銀行に生活費振り込んでおいた? おいちょっと待てって! いくらなんでも急すぎるだろ! おい!」
口調が怒号に変わりかけてきたと思うと、新次郎の受話器から声が消え、無機質なツー、ツー、という音が変わりに鳴り響き始めた。
しばらく、新次郎は受話器を持ったまま固まっていた。
「……あぁ! もう!」
行き場のない怒りを受話器に思いっきりぶつけるように、乱暴に電話を切る。それから新次郎は大きなため息を一つついて居間に戻った。その顔は、電話に出る前に比べて老けたように見える。
「というわけだ……、俺はこれから銀行に行ってくる。とりあえずお前の処遇は帰ってきてからだ。」
そう言って頭を掻きながら、新次郎は部屋に戻って着ていた制服から私服に着替え、鞄の中から財布を出して乱暴な足取りで家を出て行った。
バタン、とドアが閉まった音が聞こえた。
「ふふふふふ……」
その音を聴いた瞬間、少女は立ち上がって自分を縛っていたホースを器用に解いて体を解放した。それはまるで、ドアの音を合図にしたかのようだった。
少女はホースから解放されると、体を伸ばして軽く体操をしてから、怪しい笑い声でほくそ笑んだ。
「仮にも狩猟神一族の私にこんな恥辱を味わわせるとは、奴も中々やりますですね。しかし私も負けていられませんです。今度は私が辱めを奴に味わわせてから殺してやるです!」
やられて逃げてる最中に負け惜しみを吐く悪の幹部のようにほくそ笑むと、すぐさま壁に立てかけられていたロリポップサイスを持って玄関に向かって歩き始めた。いつの間にか、さっきまで鼻から出ていた血は止まり、足取りは陽気で楽しげな様子だ。
「さぁ、狩りに出発ですよ!」
そう言って勢いよくドアを蹴り開けて外に出る。春の陽気が境を無くして少女に降りかかる。
「……」
ドアを開けて外に出ようとした瞬間、少女はその足を止めてしばらくその場を動かなかった。その頭の中では、さっきまで気づかなかったことを今初めて気づいたようだ。
「そういえば私……、この辺の地理をよくわかってないです……」
頭の上に大きなクエスチョンを浮かべながら、少女はゆっくりと歩き始めた。
……ドジっ娘である。