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一日目の学校が終わり、新次郎は家に向かって歩いていた。その頭の中で、今朝の聖也との会話のことを考えていた。
「神奈 麻穂ねぇ……一体どこがいいんだが……」
誰に聞かせるわけでもなく呟く新次郎。
確かに新次郎から見ても、麻穂は魅力的に映る人物だった。だからといって、それが新次郎の恋愛対象として映るかといえば別問題だ。結果的に言えば、新次郎から見て、何故聖也や他の野郎共が騒ぎ立てるのかがわからなかった。
「俺の感覚がずれてるのかなぁ……恋愛なんてしたことないし……」
思い返してみると、新次郎は恋愛をしたことがないということに気づいた。それは別に、新次郎がホ○とかゲ○というわけではない。
ただ単に、新次郎は自分から好意を伝えることをしないだけだ。伝えて関係がこじれるぐらいなら、告白なんてしないで今の状態を維持する、それが新次郎の考えだった。
「聖也みたいにガンガン行けば、少しは変われるのかねぇ……」
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか新次郎は、家とは違う方向にある人通りの少ない道にたどり着いていた。思案に集中しすぎて、家とは違う方向に来てしまったようだ。
「おっと、道を間違えたかな」
すぐさま引き返そうとする新次郎。
「………………ん?」
引き返そうとした新次郎の足を、何かが阻んだ。足を上げてみると、何かねばねばしたものが足と地面をくっつけていた。しかもそれは、思いっきり足を上げても取れない程の粘り気だ。
「何だこれ? 糞にしちゃずいぶんとしつこいな」
何度か頑張ってみるが、それでも足は一向に地面から離れようとしない。
しばらく格闘していると、目の端で何かが通った。
「ん?」
その何かを目で追うと、それはしばらく新次郎の周りを徘徊するようにぐるぐると回ると、新次郎の目の前でピタッと止まった。
「一之瀬……新次郎さん……ですね?」
何かが聞いてきた。
その正体は、自分よりも小さい女の子だった。その姿は、中世ヨーロッパのお嬢様を彷彿とさせる華やかなドレス姿。そしてその手に握られているのは、少女の身の丈程の大きな大きなペロペロキャンディだった。
おとぎ話から抜け出してきたお姫様、新次郎の最初のイメージはそれだった。
「そうだが……何の用だ?」
少女の問いに答える新次郎。
それを聞いた少女は、小さく微笑みながら新次郎を真っ直ぐに見つめた。
「単刀直入に言います。私は貴方を、一之瀬 新次郎を殺しに来ました」
少女の言葉と共に、強い風が吹いて少女のドレスをなびかせる。それでも寸の狂いも出さない姿は、彼女が放った「殺す」という言葉の信憑性を強くしている。
「……はぁ?」
目の前の少女の言葉を理解できずに沈黙する新次郎は、しばらくしてから間の抜けたような声を出した。
「……すまんが、殺されるような理由は見当たらない。それに凶器を持ってないのに殺すとか冗談も大概に」
そういった新次郎の目の前で、近くの木の葉がひらひらと舞った。
少女はそれを目で捉えると、持っていた大きなペロペロキャンディを構えて、空中を舞っている木の葉に向かって思いっきり振った。
ヒュン、と軽い音。
その瞬間、舞っていた木の葉が綺麗に真っ二つに割れ、力なくよろよろと地面に落ちた。
それを見た新次郎は、背中に冷たいものが広がった。それはまさしく、命の危機を体が察知した証だった。
「信じていただけましたですか? 私の武器であるこのロリポップサイスは大抵の物なら簡単に切り裂いてしまいます。それはもちろん、貴方のような人間もです」
少女の言葉に、新次郎の体はまるで鉄のように硬直した。それは、人間が死を感じる瞬間に起こる現象だ。信じられないが、目の前の少女は自分を殺せるだけの力を持っている。
「おいおい冗談だろ、何で急に殺されなきゃいけないんだよ……?」
震える新次郎の声。
それを聞いた少女は、ゆっくりと手に持っている武器、ロリポップサイスを構える。このまま振り下ろせば、ロリポップサイスは容赦なく新次郎の体をさっきの木の葉のように切り裂くだろう。
「お命! 頂戴!」
少女は言葉と共に、構えていたロリポップサイスに力をこめて、思いっきり振り下ろした。
「……!」
死ぬ、と瞬時に察知した新次郎。眼が強く閉じられ、全身が硬直して動かなくなり、聴覚だけが何故か鋭く働き始める。
鋭くなった新次郎の聴覚は、風を切るような音の中に、機械のような音を感じた。
「……?」
奇妙な人口音が新次郎の耳に入り込む。それが何なのかを理解することは出来なかったが、音が聞こえた瞬間に風を切る音が消えた。
「……え?」
異変を感じた少女と新次郎は、同時に音のしたほうに目をやる。
二人の目線の先に映ったのは、猛スピードでこちらに向かってくる何かだった。その何かは、止まるという概念が無いのかと疑うほどにスピードを緩めずに突っ込んでくる。
「あれは……トラック?」
刹那、二人は同じ事がよぎった。こちらに向かってくるのは軽トラックで、さっきの音は軽トラックから放たれた、注意を促すためのクラクションだ。
唯一違うとすれば、少女がそれを猛スピードで突っ込んできたトラックだということ、そしてクラクションが鳴らされたと認識したのは、そのトラックにぶつかって綺麗な弧を描いて鮮やかな青空に飛んでいった後だった。
「フギャアアアア!」
綺麗な絶叫が、綺麗な弧と共に空に向かっていき、少女の姿は空に溶け込んだように見えなくなってしまった。
「…………?」
少女がトラックに轢かれて空に飛んでいった。その状況を一度飲み込んだ新次郎は、自分の命が無事であることを確認して、飛んでいった少女の方向に目をやった。その先に広がるのは、さっきまで感じていた死の危険を洗い流してくれるほどに爽やかな青空だった。
「……あれ?」
いつの間にか、新次郎の足にまとわりついていたねばねばが、粘着性を無くして新次郎の足を自由にしていた。
「…………何だったんだ? 今の」
新次郎は頭をかしげながら、家への道に戻っていった。