10
「むはあああああ!」
銀行事件の次の日の爽やかな朝、新次郎の家は何故か騒がしかった。
「これ美味しいです! これもこれも! 全部美味しいです!」
食卓から家の全てに響く少女の歓喜の叫び。見ると、少女は食卓に並べられている料理に目移りし、その全てを食べながら、混じり気のないとても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
そんな少女の対面に座っている新次郎は、少女が叫び声を上げるたびに耳を塞いでため息をつき、また叫んだら耳を塞いで……、を繰り返していた。
「お前……、少しは落ち着いて食え。そしてうるさい」
「えっとこれはさっき食べたからこれ……、でもこっちよりこっちを先食べて……、あぁ迷っちゃうです!」
少女は皿の上で箸を止め、また違う皿の上で箸を止め……、をしばらく続けている。ちなみにこれは「迷い箸」といって、箸のマナー違反となる行為である。よい子は真似しないように。
「おいお前、行儀悪いからやめ」
「あ! 新次郎食べないのですか? じゃあいただくで、ぎゅむ!」
新次郎のおかずに手を出そうとした少女の口元をガッチリ掴むと、相変わらず目の奥が笑っていない笑顔を少女に浮かべる。
「落ち着けと言っているのがわからんか……?」
こめかみがピクピクし、額には血管が見える新次郎は、顔は笑顔だがどう見ても笑顔に見えない。むしろ背景に闇が見えてしまう。
「むぐぐぐぐぐ!」
少女はしばらくバタバタと両手をせわしなく上下に振ってみるが、一向に弱まらない新次郎の口元への攻撃を受け、次第にぐったりし始めている。
「ニャー!」
「ぶ?」
肉体の限界を迎えていた少女の足元から、何か聞こえてきた。暗くなりかけていた視界を下にやると、そこには黒と白の猫が二匹、少女の足元に擦り寄っていた。
「おっと、餌やるの忘れてたよ」
新次郎は二匹の猫に気づくと、少女の口から手を離して近くの缶詰に手を伸ばした。
「ほら、ミミ、モモ、餌だぞ」
缶詰を開け、皿に餌を移して床に置くと、二匹の猫は少女の足から離れて皿に向かって走っていき、一心不乱に餌を食べ始めた。
「へぇ、可愛らしい猫さんですね」
少女は目を輝かせながら餌を食べている猫に近づいていく。その様子を見ている少女の表情は、女の子が動物を可愛がる表情そのものだ。
「父さんが拾ってきた捨て猫のミミとモモだ。白いのがミミ、黒いのがモモ、両方メスだ」
新次郎の父のボランティア精神は、人間だけでなく生物全てに適用される。植物園や水族館や動物園に出資するのはもちろんだが、絶滅危惧種や野良になった動物の保護も積極的に行っている。
そんな生物愛が始まったのが、家の前に捨ててあったこの二匹を引き取った時だった。
「この二匹を引き取ったときからだったかな。父さんが海外に行ったりし始めたのって」
少し感慨深いものを感じる新次郎。突如、新次郎の頭の中にこの二匹が来たときの思い出が甦ってきた。自然と、昔話を語るように父のことが口からこぼれだす。
「あれは確か……、俺が小学二年生のときだったかな……、急に父さんが猫を拾ってきて」
「あはは! 尻尾引っ張るの楽しいです!」
刹那、新次郎の頭が甦っていた思い出を吹き飛ばし、体に向かって命令を出した。その命令によって、新次郎の下半身が綺麗なサッカーのシュートフォームを再現する。プロのサッカー選手の度肝を抜くほどの華麗なフォームは、見事に対象物を捕らえた。これがボールだったらボールが破裂するんじゃないか、と思えるほど強烈なシュートは、対象物である猫の尻尾を引っ張って楽しんでいる少女に見事にヒットした。
「フギャアアアアア!」
完璧なまでのシュートをその身に受け、少女は虹のように美しい放物線を描いて家から飛んでいった。少女が飛んだ軌跡にキラキラ光るものが見える。多分ガラスだろうが、何故か新次郎には、それが虹のかけらに見えた。
「うぅ……ひどい目にあったです……」
しばらくすると、少女は険しい顔で帰ってきた。そこまで飛んでいったのかはわからんが、その表情から、かなり遠くまで飛んだことが伺える。
「……あれ? 新次郎、どこに行くのですか?」
リビングに出ると、新次郎はさっきまでの普段着から灰色の制服に着替えていて、鞄を背負っていざ家を出るというタイミングで立っていた。
「決まってるだろ、学校に行くんだよ」
新次郎はすぐさま少女の脇を通ると、靴を履いてドアに手をかけた。
「くれぐれも変なことはするなよ? お前はおとなしく留守番してろ」
ドアに手をかけた状態で言うと、新次郎はそのままドアを開けて学校へと向かっていった。
「……」
残された少女は、しばらくしてからリビングに戻った。その足元には、食事を終えたミミとモモが再び少女の足元に擦り寄ってきていた。
しばらく、少女は猫と一緒に爽やかな朝を過ごしていた。
「……って違うです!」
そこでようやく気づいたように立ち上がる。足元の猫が「どうしたの?」という表情で少女を見上げているが、そんなことお構いなしに少女は拳を強く握っている。
「私の目的は新次郎を殺すことです! こんな所でお留守番なんかしてる場合じゃないです!」
自分の任務を思い出して、少女はすぐさま自分の部屋になった物置小屋からロリポップサイスを手にすると、意気揚々と家のドアを開けた。
「今度は迷うなんて馬鹿な真似はしないですよ! 新次郎の学校の位置は把握しているです!」
柔らかな朝の日差しを一杯に浴びながら、少女は満面の笑みで学校に向かって家を飛び出した。
その様子を見ていたミミとモモは、しばらく少女の様子を見て、家から出て行ったのを確認するとドアをゆっくりと閉めてリビングに向かってトコトコと歩いていった。その後、家の中は猫二匹だけの静かな空間になった。




