序章『ヴァーチャル・ストリート・ファイター』 08
「あら、あれは……?」
その時の私はまさしく、ただの通りすがりに違いなかった。
視界の中で誰かが囲まれていた。
囲まれているヒトは────ああ、見たことがある。
◆
……自分の身体ごと椅子を蹴り飛ばされたのだと。
そういうあり得ない事実に思い当たったのは、
ゲームセンターの床に叩き付けられて、しばらくしてからだった。
「俺はお前の事を日本人では無いと思っていた」
気付けば────僕の前には暗澹とした表情の、黒髪の彼女。
そして彼女の後ろには、露骨な格好をしたヤンキーが……盛り沢山。
「貴様の生き残る道は大量に用意していた。
そうだな────例だが、俺がニイハオ、貴様がサイツェン。
それならば日本文化を知らない可哀想な外国人、ということで教育的指導に留めただろう」
言葉を続けながら睨んでくる彼女。
……ひょっとして僕、絶対絶命?
「……あの、」
「喋るな、日本語が穢れる」
「いや、僕、何かしましたっけ」
「……ハァ?」
彼女の視線が、更にキツくなる。
「────貴様ひょっとして……精神病か?」
「心当たりが完全に無いわけでもないです……がッ!?」
言い終わるより前に、僕の身体は再び吹き飛んでいた。
先程と同じ攻撃────彼女の、蹴り。
「病院に帰れ」
ちょっとありえないぐらい吹き飛んで、身体が台近くから入り口までふっ飛ばされる。
追い討ちは……直接的には無いが。
後ろのヤンキー共の、押さえようともしない嘲笑がここまで届く。
「うるせえんだよテメエ。
いつもゲーセンでビービー騒ぎやがって。
カンに障るんだ……迷惑なんだよ」
「……あッ、ぐぁ、なる、ほど」
やっぱこのクセ、マズいよね。
「喋るなよ」
ガン、と頭を足で踏みつけられ、その上から睨みを効かせてくる。
なんて迫力。
睨むだけでここらの気温が下がったみたいだ。
店長さんが慌てた表情でヤンキー達を止めようとするも、
すぐに睨まれて実際に行動にはうつせずにいる。
……あー、いいですよ。
慣れてるんで、こういうの……。
店長さんの心配を頂くほどの身じゃないです……。
「二度と来んな。
つってもわかんねえかな。身体に教え込まねえとな」
彼女が初めて満面の笑みを浮かべる。
ただしそれは……どこまでも黒い笑み。
「If you sing before breakfast, you will cry before night」
「……日本語で?」
「クッ────アッハハハハハハハハハ!」
追加で蹴り飛ばされる。
今度こそ僕の身体は完全にゲームセンターの外へ弾き飛ばされる。
これまで気にしていなかったゲームセンターの店名が、
こうして失う段になって初めて目に入ってくる。
『Paradise』。
────成る程、失って初めてわかるモノの典型だなあ。
「ハシャいだ貴様の末路はアソコだ」
首をカッ切るモーションと共に、彼女が親指で指し示す先。
……ホテル路地裏だった。
(本格的にボコられるのか……ちょっと、マズい、死ぬかも?)
倒れる僕の身体に、彼女がカツカツとブーツの音を立てながら近付いてきて……
「三角、冬華。
貴様を教育する俺の名前だ。
呼ぶことは許さんが、刻んでおけよ────貴様の心の傷、その奥深くにな?」
『ウッヒョートウカサマー!』『アネゴォォ!』『カッケー!ダカレテェー!』
彼女の猛威に、ヤンキーの声が後から続く。
ああ、僕は落とされるのか。
その獰猛な笑みと共に、絶望の底に、このまま。
「お止めなさい」
唐突に聞こえたのは、凛とした一声だった。
僕が砂にされるだけのシーンに舞い込んできた、突然の『闖入者』。
「────あぁ?」
魔王の様な視線を三角冬華なる少女が投げる。
その先にあったのは……その視線に揺るぎもしない女性。
────貴方様は、本当に楽しそうに格闘ゲームをしますのね。
……あの日の、非現実。
信じられないことに、彼女の姿が、今そこに立っていた。
(……ここで、何をしているんだ?)
目が合う。
「……貴方様とは二度目ですね……大丈夫ですか?」
……ひょっとして。
ひょっとしてひょっとして彼女は────。
「おい、そこの金髪のクルクル。
今、何て言った?
……異国の言葉を聴き違ってなきゃあ許してやるよ」
「貴方様に、確かな日本語にて。
お止めなさい、と言いました」
僕なんかを、助けようとしているのかっ!?
「────ハッ、お嬢が」
冬華の嘲笑。
共に、彼女の取り巻きのヤンキーが金髪の少女を囲んだ。
僕を助けるなんて……彼女の危険という対価を支払ってまで……?
まさか……いや、でも万が一!
──────そんなこと、あってはならないのだ!
「君……僕の事なんかほっといて、逃げ……」
「うるせえから」
「がふぁっ……!」
胸を思い切り、ブーツで踏まれ言葉が続かなくなる。
僕がクズなのは、どうでもいい。
でも、僕のせいで……どうにかなるのは……!
「ヘッヘッ……上玉だあ」
「どこの嬢様か知らねえが、俺らに逆らって膜保てると思うなよ?」
金髪の少女の姿が、野蛮な男達の背中で見えなくなっていく。
(駄目だっ……逃げて、くれ……!)
しかし無情にも、合図と思しき冬華の口笛が吹かれる。
「野郎ども、ショウ・タイムだ!
ファァァァァァァック!」
「ウオオオオオオオ!」
紡がれる魔王の言葉。
少女の姿は、ついに男達の背中で完全に隠され……!
「────神月流武闘術」
泥沼の喧騒においてさえ透き通る様な、彼女の声は氷の様に鋭利で。
「無双華陣」
しかし華の様に優雅に、しかし陽光の如く鋭く、激しく。
結果として。
彼女の姿は、ついに隠され…………なかった。
「────!、!? ……ッ!?」
多分当事者である彼女を除いて、何が起きたかは誰も理解できなかったと思う。
安心していい、僕もだ。
わかることと言えば……そう、とんでもないことだ。
とんでもないことが起きているんだと思う。
屈強とは言えないまでも、悪くない体格を揃えたヤンキー達だった。
それらが円陣を組んでひとりの少女を囲んでいた。
そんな彼らが揃って、吹き飛んでいた。
「…………えっ、えええええ?」
寝転がされた僕の周囲に、数秒前までニラミを効かせていたヤンキー達が、
白目を向いてバタバタと落ちてくる。
これひょっとして、彼女が全部やったんですかね?
「少し、大人しくしていただけると助かります」
神月流なんとか────を使った彼女が、余裕たっぷりに服を整えながら何か言っている。
あ、ひょっとしてキメですか?
技後のキメ台詞みたいなものですかね?
(つっ……つえええええええええええ!)
いや、正直強いとかそういう次元じゃない気が!
……と、違和感。
さっきまで僕の胸を踏んでいた足、その重量が消え────
「ッSYAHHHHHHHH──────ッ!」
瞬間、冬華が金髪クルクル少女に飛び蹴りでファーストアタックをキメていた。
「ハァ……全く、大人しくしていて欲しいと貴方様にも申し上げたつもりですのに」
「アハハハハハハァ!────テメェが黙れよおッ、お嬢!」
……と思いきや、片腕できっちりガードしているクルクルさん。
(……ひっ、非日常対決!)
閃光の如き飛び蹴りから、着地と共に首筋を狙う手刀のコンビネーション。
それすらも回避するクルクルさんに、しかし瞬く間に回し蹴りが即頭部を遠慮なく狙いを定めており────
(ぼ、僕はいつの間に……)
目にも留まらぬ、閃光の様な二人の攻防。
(格闘ゲームの『中』に入ってしまったワケなんだ?)
攻防を数度繰り返して、二人の姿が離れる。
妙に長く感じたその攻防は、しかし数秒に収まる。
つまり1秒あたりの密度のみが、限りなく高まっていた。
「やるじゃねえかテメェ。名前は?」
「神月 華憐、と申します。
貴方様は三角様、でよろしいですか?」
「上等だ、神月嬢」
「なるほど、いささか不満ですわね」
「……何がだ?」
「気に食わぬ人様に、名を呼ばれるというのは」
「────ククッ、カハハッ……テメェって奴は腕も立つし……何よりいい度胸だァ……!」
短い舌戦を挟んで、再び彼女達の非現実的格闘は再開される。
戦いはハイスピードな地上戦に留まらず、空中……く、空中!?
「………………おい、お前」
気付けば、僕の最も近くに落ちてきていたヤンキーが、
当たりが浅かったのか意識を取り戻していて。
目を白黒しながらこちらに声をかけてきていた。
「はぁ、何ですか?」
「……何だ、あれ」
「…………さぁ、僕にも皆目…………」
「だよな……」
取り巻きのヤンキーすら正気に戻るこの非現実格闘!
「繋ぎが、甘いですわよ?」
「その余裕、すぐに消えんぜ……!?」
(……………。
いやぁ、なんだこれ)
さっきまで、神月さんが心配だったけど……。
今では、リアルバウトストーリーと化してしまった物語の続きが心配だよ……。