序章『ヴァーチャル・ストリート・ファイター』 07
「HERE COMES A NEW CHALLENGER!」
直訳すれば「新たな挑戦者現る」。
その意味を示すところは、クロセクのゲームジャンル────『対戦格闘ゲーム』、
これを鑑みるにただ一つである。
ゲームセンターの華、乱入だ。
ある程度新作の格闘ゲームであるならば、その稼動形態はすべからく対戦台。
クロセクもその例に漏れない。
片側でプレイヤーが遊んでいれば、
もう片側にコインを入れてスタートボタンを押せば『乱入』成立。
勝者のみが継続してプレーする権利を手に入れ、
敗者はゲームオーバーとなり退席を余儀なくされる。
まさしく弱肉強食フィールドが展開されるのだ。
チャレンジャーの足音。
それは龍原の如し求道者であるか、
あるいは血に植えた獣であれば、待ち遠しい物であっただろう。
「……なんたることだ」
しかしながら、僕は違う。
コンボ練習の最中であった。
しかし無情にも、カーソルは相手の持ちキャラクターへ刻一刻と近付いてゆく。
『アケガラス ツヅキィ!』
明鳥 衝月。
────それは復讐を誓う、狂気の月を象る男。
◆
月は美しい。
空に穴が開いたような満月は殊更に。
吸い込まれるような輝き。
しかしその輝きの中には荒野しかない。
ひどく退廃的な美が、今日も夜空を彩っている。
――――目の前の男は、まさにそんな夜の月を象った様な存在であった。
鈴 「貴方は、おにいちゃんの」
衝月 「……貴様はここで何をしている?」
鈴 「おにいちゃんを探しています。
明鳥様────おにいちゃんの行方について、心当たりはございませんか?
衝月 「探してどうするんだ、殺すのか?」
鈴 「……確かに、おにいちゃんは師の戒律を破りました。しかし……」
衝月 「駄目だな」
鈴 「え?」
衝月 「そんな中途半端な覚悟では、貴様は何も為せはしない。
貴様の兄は違う。法を破る覚悟が出来ていたぞ。
覚悟の無い貴様が兄を探し当てるために散歩した所で、
文字通り犬死にするのが落ちだと思うが?」
鈴 「……けして、生半可な覚悟じゃありません!」
衝月 「フン、口では何とでも言える。
よかろう、貴様の言う覚悟とやらを試してやる。
ここで痛い目を見ておくのが、貴様の為にもなるだろうよ」
鈴 「……葉月流拳術師範代、若葉鈴。
お相手、務めさせて頂きます」
衝月 「威勢の良さだけは似ているな。
しかし弱いのならば、小生意気さはせめて消しておくが良い。
────うっかり力加減を誤って、殺してしまうかもしれんからな!」
鈴 「心配は無用です。
すぐに示させていただきます、私の本気を……!」
◆
「いやいやいや鈴ちゃん! 本気示せませんからね!」
試合前デモで強い決意を語ってくれた鈴ちゃんには申し訳ないが、
その結末は凡百のラノベのプロットよろしく。
何のヒネリも機転も急展開もハンサムな僕が突如反撃のアイデアを閃くはずもなく、
ただ無情にして無常────そのまま散っていく運命にありそうである。
鈴 「いやあああああっ!」
「ああっ!鈴ちゃあん!」
ほぼ何も出来ないまま、1ラウンドを取られる。
このゲームセンターの設定は2本先取であるため、
実質、僕が席を立つのにリーチがかかった形となる。
(っあ────やっぱり、無理だわこんなの……)
まずコンボが出来る、出来ないの差がある。
対戦経験の差も、きっとあった。
実力差に混乱している合間にもコンボを一回貰ってしまう。
体力の3割が瞬く間に消し飛んだ。
残り7割────どう戦う?
……どうにも戦えない。
相手の攻めが捌けないのだ。
コンボを喰らう。
コンボの締めに鈴ちゃんがダウンする。
その起き上がりを再び怒涛の如く攻められ、またコンボを決められる。
(永久ループじゃん!)
今の僕の状況をRPGに例えるなら……
自分のターンが回って来ずに、
モンスターに永遠とタコ殴りされているようなものだ。
自分の手番が回ってくるのならダメージも入ろう。
しかし手番が無いのでチャンスも生まれない。
……再び、コンボを喰らってしまう。
いけない、僕に、何か出来ることはないのか……?
必死に探すも……現実は非情である。
画面内で出来ることは、もはやなかった。
(鈴ちゃんの やられボイスが エロいなあ)
だからせめて僕はこの絶望に、心の一句を捧げよう。
────情けない。
結局僕は、そんな事しか考えられなかったのだ。
◆
衝月 「シャアッ!」
鈴 「────きゃああああっ!」
肉体を穿つかの様な衝月の鋭利な打撃を受け、
鈴は暴風の如し打撃慣性に弄ばれるがままに、その小さな身体を宙に舞わせる。
姿勢制御の猶予すら無く地に落ち、砂煙を巻き上げる鈴が立ち上がる事は無かった。
衝月 「…………フン、つまらん」
鈴 「う、待っ、て……私は、まだ」
衝月 「トドメを刺して欲しいのか?
どう見ても勝負は付いているだろう。
貴様が息の根を細々とでも保てるのは、兄の存在と俺の気まぐれと思っておくがいい。
どちらでも欠ければ言われずとも掻き消すぞ」
鈴 「……くっ」
衝月 「お前は『その程度』だ。
腕も、決意もな。
ハッ……もっとも、もう会うこともあるまいがな」
地へと唾を吐きかけながら、衝月が去ってゆく。
残された鈴は立ち上がることすら出来ず、
ただただ泥に塗れた自身の身体を空の下にさらし続けるしか無かった。
鈴 「うっ……ふええっ……」
涙が、頼んでもいないのに溢れてくる。
鈴 (くやしいよお……)
自分の中にある、信じていた決意が大した事が無いと踏みにじられた。
決意は、充分にあると思っていたのに。
覚悟があると思っていたのは、私だけだったのだろうか?
────『私には覚悟が足りなかったのか?』
その問いの答えは、出るはずもない。
人の感情は、理論で説明し切れないブラックボックス。
『覚悟』という数値化出来ない感情の中の要素を、足りる、足りないなどと推し量ろうとした時点で駄目なのだ。
そうした問いが生まれてしまった時点で良くない事に、若い鈴はまだ気付けない。
回避するしか回答の無いその問いは底なし沼……絶望の暗い穴へと繋がっている。
鈴 (くやしいよおっ……!)
────雨が降り出しても。
鈴は、気付けない。
身体は濡れ、冷え切っていくけど。
精神の熱はそれ以下に凍えきっていた。
◆
とても悲しい演出が流れてしまった。
「……ううっ、ごめんよおお……」
押し殺した声で僕は呻く。
頭を抱えて、筐体のコントロール・パネルの上にうずくまってしまう。
苦しい。
僕は、このままずっと、鈴ちゃんを使えないのだろうか。
(…………いやだよ……)
嫌だ。
まだ練習したい。
僕は鈴ちゃんを、まだまだ────
────うずくまる僕の肩が、トントンと叩かれる。
「へっ?」
「……Selamat siang?」
唐突に、やたら流暢な外国語……何語?が聞こえる。
叩かれた方を見上げる。
そこに居たのは────女性。
しかも、またも。
とびきり非現実的な。
けれど…………
「Ciao……Buenas tardes?」
「…………!?」
日本語でおk?
……しかしその希望は通じず、更に異国の言葉が続いてゆく。
「……Jó napot────Goedemiddag……God dag────Bonjour?
Guten Tag……Boa tarde────ああ糞、どれも通じてないじゃねえか!」
彼女は同じく長髪だった。
ただし金髪でも、癖がある訳でも無かった。
水が流れているかの様にストンと落ちた、真っ直ぐな黒い長髪。
「大穴……hallo?
……じゃあねえよな、やっぱし。
てコトは、認めたくはないが────」
そして同じく、整った顔であった。
この世のモノで無いかの様な美貌。
しかし、その表情には先日の女性の様な優雅さは無い。
金髪の彼女を白と例えるなら、こちらは丸っきり黒の表情────そう。
「…………こんにちは、か?」
純粋と言えるまでに、彼女は黒かった。
第一印象でここまで決め付けるのもなんだけど。
彼女にはどうしようも無く黒が似合っていた────きっと、あらゆる意味で。
「あ……はい、こんにちは?」
ともあれ────彼女が繰り返していた言葉はどうやら世界の『こんにちは』らしい────やっと、言葉を返すことが出来た。
しかしその途端。
彼女の表情が……怒りに歪む。
「こんっ、にちはだと、クソオッ!
Fuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuck! テメェ日本人かよクソッタレエエエエエエ!」
世界の『クソッタレ』と共に、僕の視界は回転した。
「えっ」
何が起きたのかわからなかった。