序章『ヴァーチャル・ストリート・ファイター』 06
一陣の風が行く。
草葉が舞い上がり、無軌道に散乱する。
小規模ながら、そこには大自然の息吹があった。
それは旅のひとつの楽しみであると言える。
己の足で世界を歩く過程で得られる旅情は、
多くの旅人の心を強く、楽しく揺らすからだ。
ところが、男───龍原が歩みに、旅情はなかった。
ただひたすらに、一途であった。
目前にいかなる景色があれど、逆に瞳を閉じても、
求めるものはただ一つの、純然たるモノであった。
強さ。
それは恋にも似た、呪いにも等しいほどの執着。
龍原 「…………む」
今、男の旅路を、一人の女が塞いだ。
風は、草葉と等しく彼女の長髪を激しく揺らしている。
珠姫 「失礼。 龍原殿で違いないか」
龍原 「無い。 ────貴女は」
珠姫 「門守 珠姫。
後に名乗る無礼を許して頂きたい」
龍原 「人の無礼を気にするほど、高貴な身分では無いつもりだ」
珠姫 「感謝する。
然し、高貴であるかどうかはさて置き───龍原殿、貴方は有名だ」
龍原 「……初耳だ」
珠姫 「多くの格闘家達の、目標となっていると聞く」
龍原 「正直……身に余る。
というより、それらの格闘家達は目的を違えている様に思う」
珠姫 「……ふむ?」
龍原 「格闘家たるもの、目指すものが人であってはならない」
珠姫 「なるほど。
純粋なる強さ、その概念のみを追い求めるべき……そういうことか?」
龍原 「そうなる。
この世に同じものは2つない────ゆえに、既に形あるモノにはなれない。
人が本当に目指すべきものは形なき所に在る」
珠姫 「なるほど、やはり私が思う通りの人物だ、貴方は。
尊敬に値する────しかし、そうであるならば、やはり一つ。
貴方に、問いたいことがある」
言葉を切るのと同時。
門守 珠姫は利き手を腰元の刀に添える。
龍原 「……その刀で、問わねばならないことか?」
珠姫 「求める者には、問わねばならぬ。
強さを求めてきた理由を、そしてその身に宿す力の行く末を」
龍原 「……行く末などない。
俺にとっての力は、手段ではないからだ」
珠姫 「うむ。
私としても問答で済ませたいのだが……すまんな。
貴方ほど強力な人間だと────この身を賭して問わねばならぬ、責務があるのだ。
門守の宿命を背に、決して世界がその道を違えぬよう」
龍原 「カドモリ……どこかで聞いたかと思っていたが、なるほど。
俺が有名だと先程は言ってくれたが、何のことはない。
世界の守り手。貴女の方が、よほど有名人ではないか」
珠姫 「……それこそ、身に余る。
使命や、規律とは────ム、なるほど。
貴方とは、気が合いそうだな」
龍原 「うむ。よい戦いが出来そうだ」
珠姫 「然らば、出来る限り加減は抜きで」
龍原 「ああ、全力で来い!」
◆
(やっぱり……結構ストーリー性あるんだなあ)
僕はこの身から溢れるほどの幸福を享受していた。
簡潔に言えばニヤニヤしていた。
手元には一冊の本。
先程買ったクロセクのムックである。
クロセクはとにかく、キャラや世界観がよく作り込まれている。
その魅力により同人誌の発行が相次ぎ、エロ同人の需要曲線と供給曲線はほぼ理想的な交点を結んでいる。
ネタには事欠かないという訳だ。
作家的な意味でも……今晩のおかず的な意味でも。
キャラクターに愛着を持つことを『キャラ愛』と言うが、キャラ愛は格闘ゲームでは重要だと思う。
そのキャラを頑張ろうと思う原動力は、やっぱりそこから来ると思うのだ。
――――そう、クロセクは『対戦』格闘ゲームなので。
やるからには勝たなくてはならない!
……とまでは言わなくとも、対戦相手として全くの実力不足では、対戦する時間そのものが不毛なものになってしまう。
特に僕の使おうとする鈴ちゃんは、近年の格闘ゲームの流れを色濃く受け継いだコンボ必須のキャラである。
コンボとは何ぞや、という方も居るだろうと思われるので、一応解説しておく(読み飛ばし可!)
コンボとは『コンビネーション』の略である。
格闘ゲームでは相手に攻撃を当てると、相手がやられ状態になる。
当たり前と言えば死ぬほど当たり前なこのシステムだが、
このやられ状態になっている間に更に攻撃を当てると『コンボ』になる。
コンボ成功時には、今やほぼ全ての格闘ゲームにおいて『○○HIT』という表示がされ、爽快感を演出する一因となっている。
とかく鈴ちゃんは、技単発の打撃力は他キャラクターに大きく劣るものの、コンボ――――連続攻撃により攻撃力を補う。
リーチの短さを機動力にて補い、懐に潜り込んでヒット数の多い連続技を叩き込む。
まさに格闘ゲーム冥利に尽きるキャラクターだと思うのだが……
「できねえ……」
鈴 基本コンボレシピ
(画面端限定)立弱P>立中K>屈強K>中・地龍崩撃(2段目ジャンプキャンセル)>J弱P>J中K>J強P>
J強K>着地立中K>立強P>前強P>強・蒼天鋭牙
(なにこの暗号!)
※ ワンポイントメモ
鈴の基本となるコンボ。
他のコンボにも必要となるパーツが多く含まれているので、まずはこれから習得しよう!
(……。
テンション高まりすぎて一周して冷静になったわ。
……あの、だから冷静に聞きますけども、
基本からして躓いている俺は、ひょっとしてすごくダメですか?)
※ ワンポイントメモ
このコンボが出来ない場合は、他のキャラを触ってゲームに慣れるのも手だぞ。
「いやだあああああああああ!
僕は鈴ちゃんと共にゲームセンターをかけぬけるんだああああ!」
涙を流しながら僕は叫んだ。
気まずい空気が周囲を包み、
周囲数メートル以内に存在するプレイヤーの表情の平均気温が、底を見せぬ急降下を見せた。
例えるなら……そうだな。
このゲーセン!ものスゴイスピードで冷やされている!
冷たいと感じるヒマもないほどに……ゲーセンに居た女子高生がこちらに怪訝な視線を投げながら
そのまま外へ出ていったほどにスサまじく……という按配か。
僕の能力……もとい社会的にマズいクセについてはいずれ世界に謝罪を入れたいが、
帳簿を付けていたっぽい店長は近頃常連と化してきた僕に対する慣れもあるのか苦笑で済んでいた。
「エホンッゲホウゴホゥッ」
張本人たる僕はといえば、シャウトをミスってムセていた。
涙で視界が歪む。
いいことなんて何もない。そろそろ死のうか。
(龍原さんが立ってた系の)あの丘で。
「おッ……オオッ……おおおおおっ」
「うわはァ、こいつ泣いてやがるよォ!
気持ちわりィー、死ね!」
通りすがりのヤンキーさんに悪態まで付かれてしまった。
────ああ、畜生。
傍目から見れば、ムックにここまで一喜一憂できる俺は、
超幸せに見えるか、頭おかしいかの二択だよね。
うん、それは分かる。譲歩しますよ。そこまで認める。
本当は頭いいんだよとか、右手が疼くんだとかいう設定は作らず認めるよ。
でもね、何ていうか。辛いんだ。
好きなんだよ。好きなんだ。
好きなのに使えないのが辛いんだよ。
※ ワンポイントメモ
このコンボが出来ない場合は、他のキャラを触ってゲームに慣れるのも手だぞ。
そりゃあごもっとも、確かに合理的かもしれない。
言葉の中に正しさがあるよ。すなわち正論だ。
「うっぐ、できねえ、できねえよお……」
それでも僕の身体は、何故だか正論を拒否する。
コインを入れて、鈴ちゃんを選び。
何度も、何度も、僕は出来もしないコンボを練習する。
「立ち弱P……立ち中P、屈強P、」
たぶん、僕は馬鹿なんだろう。
正論に正しさを感じられないんだ。
馬鹿ってのは、『馬』と『鹿』を組み合わせて書いて────どちらも畜生。
人間様の作った正論なんて高尚なものは、
畜生系生物の僕にはアレルギー反応を起こしてしまうだけなのだ。
「ここからつなげて……ああっ、落とした」
理屈に沿わない生き方は、実力を伴わねば社会から淘汰されるのみである。
そして僕には、実力がない。
(画面端限定)立弱P>立中K>屈強K>中・地龍崩撃(2段目ジャンプキャンセル)。
そう、僕の練習はあの広大なレシピの三分の一にも辿り着いては居ない。
しかし意味がわからないのだ。
ジャンプキャンセル ← 意 味 が わ か ら な い !
キャンセル────キャンセルって言えばあれだよな。
ホテルの予約とかに使われる「やっぱやめます」的な、あの。
ジャンプとは、まぁ説明するまでもない飛んで跳ねる行為の事を指すよな。
どちらも言葉としては一般常識だ。
しかし一般常識を二つ混ぜてみれば、奇怪な言葉に早代わり。
『ジャンプキャンセル』。
……つまり、何なんだ、これは。
飛ぼうとしてやめるのか?
つまるところ何もやってないじゃねえか────……
ホテルキャンセルならまだわかる。
ホテルをキャンセルすること。
明快だ。なんてわかりやすいんだ、ホテキャン。
いやいや、考えてみたらホテキャンも何もしてねえじゃねえか。
つまるところ「~キャンセル」とは何も起こらなかった事を意味するのではないか。
まて、その理屈はおかしい。
コンボの途中には確実に何かが行われている。
中・地龍崩撃(2段目ジャンプキャンセル)。
コンボはここで、何もせぬまま終わるわけではない。
J弱P>J中K>J強Pと、その可能性をどんどん広げてゆく…………ってちょっと待て。
Jって何だ、Jって。人名か?
ジョニー弱パンチからジェフリー中キックに繋げる────つーかありえぬだろ。
ともあれ、ジャンプキャンセル。
それはまるで……
『何も行わない事によって何かを行っている』。
まるでその先に悟りがあるみたいな言葉だ。
完全に、まるっきり、理解の外にある。
(……わからない事が多すぎる)
深刻な知識不足であることは確定的に明らかだった。
俺にこのゲームを教えてくれる熟練者は居ないものだろうか────……
『貴方様は、本当に楽しそうに格闘ゲームをしますのね。
冬はまだまだ、先なのかも』
「…………。」
────誰、だったんだろう。
あの非現実のカタマリみたいな人は。
僕がゲームセンターに来る理由は、クロセクをするためだ。
鈴ちゃんを練習して、鈴ちゃんと一緒に幸せになるためだウフフ。
けど……それよりは弱い理由だけど。
あの女の人の存在も、確かに僕の足をゲーセンへと進めさせる滑走油にはなっていた。
『笑って御免なさい。
私は立ち去りますから、どうぞ続きを』
……誰だったんだろうね、あれは。
考えても詮無い事か。
最初から気付いてはいたけど、ふぅ、と一息。
同時に、画面へと意識を戻し────た刹那。
『ヒアカムスアニューチャレンジャーッ!』
画面が急に暗転し、表示される大きな文字。
「HERE COMES A NEW CHALLENGER!」
バグではない。
これは────……
「……乱入、された」