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彼の名前  作者: 柿衛門
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皇帝と妃とアティフ


「……どういうことだ?」


 皇帝は一人、ベッドの上で呆然としていた。

 

 さきほどまでいた女がいなくなった。

 正しく消えたのだ。


「アティフ」


 気を取り直した皇帝に名前を呼ばれた側近は、音もなく暗がりから姿を現した。


 蝋燭の灯りと窓から差す月灯りで照らされるベッドには一つしか姿が見当たらない。


 アティフはそこに皇帝しかいないことにすぐに気が付いた。


「女が消えた……」


「消えた、のですか?」


 主の言葉を繰り返すアティフの声に動揺が含まれている。

 言葉通り消えたことは皇帝の様子を見れば分かる。


「呼ばれた娘が消えたことなど聞いた事はございませんが」

 

「私も初めてだ……どういうことだ?」


 皇帝は自問するように呟いた。

 そもそも必要があるから娘は呼ばれる。


「手を出す前に消えた」

 

「では、間違いだったのでは……」


 それが間違いだったということは今までになかった。

  

「いや、それはない……とは言い切れぬな」


 だが手を出す前――凛が次代の皇帝を身籠る前に消えたとなると、その可能性を丸きり否定することはできない。


 皇帝の口から溜息が漏れた。


――契約の履行前に女が消えた


 顎に手をやり首を捻りながら考える皇帝は、いくつかの可能性を考えた。

 そのうちの一つを何気なく口に出した。


「逃げられたか」


 アティフが初めに考えたことだが、それは皇帝が認めない限り不敬に当たる考えなので封じた。


 世界の頂点に立つ皇帝が女に逃げられるなど間抜けな失態を犯すはずがない。


 この世界にいる限り逃げられる場所などない。




***


「陛下……どうなさいました?」


 夜更けに妃の許へ帰った皇帝は、起こさないように妃の寝ているベッドに入ったつもりだった。

 が、妃は皇帝が入ってくるなりそっと声を掛けた。

 

「起きていたのか」


「今夜はこちらへいらっしゃらないと思っておりましたが」


「……すまぬな」


 何に対してか分からないが、皇帝の口から詫びの言葉が出た。


 暫く互いに無言だったが、妃は凛のことを躊躇いがちに尋ねた。


「……お相手の方は?」


「そのことで明日、話がある。」


「悪いお話ですの?」


「分からん」


 皇帝は妃に対して決して隠し事をしない。

 凛のことも勿論、話している。


 そして彼女が消えたことも話すつもりだが、それが良い話か悪い話かはまだ分からない。

 

 これ以上、今は話すつもりのない皇帝は話を切り上げた。


「そなたも、私の子が欲しいか?」


「いいえ。私は陛下だけがいて下されば……」

 

 過去から何度となく繰り返される不毛な問いと答え。


「そうか……」


 皇帝は再び詫びの言葉を口にした。


 皇帝の妃は皇帝の世継を産むことが出来ない。


 それは、妃だけではなくこの世界の女性全般に当て嵌まる。


 それが何故かを知る唯一の人間はそれを言わない。


 よって、その理由とそれを知る者を誰も知らない。



***


 執務室は皇帝と妃が隣り合い、その向かいにアティフが座った。


「私の仕事が終わる時期とも考えられる」


――皇帝が最期を迎えるときに世界の癒しは完了される。


「皇帝を産む女がいなくなった、となればその可能性もある」


 アティフの息を飲む音が聞こえたが、妃は目を閉じて皇帝の話に耳を傾けている。


 次代の皇帝が産まれなければ現皇帝が最後の皇帝になる。


 皇帝が世界の頂点に立ち既に三千年は経つ。

 そろそろ頃合いかもしれない。


――陛下


 妃は声を出さずに唇を動かして皇帝を見詰めた。

 

「だが、まだ可能性の話だ。そうであれば良いのだがな……」


「私からも意見がございます」


「申してみよ」


「もし、そうであれば。最初から娘は呼ばれなかったのではないでしょうか?」


 アティフの慎重な意見に皇帝は頷いた。

 皇帝の語る可能性は些か楽観的な気がする。


 可能性としては娘が逃げたか、もしくは何か別の要因が絡んでいる、と考えるべきだろう。


「その通りだ。だが手を付けようとしたところ女は消えた」


 そのタイミングで消えたということは次代は必要ないということだろう。と、暗に告げた。


 アティフは考えもしなかったことだが――正確には考えたくないことだが、皇帝は望んでいるのだろうか。世界から解放される日を。

 

 皇帝は皇帝にしかなれず、延々と生まれ変わる。

 誰も代わることができない唯一の存在。


「娘が消えたとき、どのような状況でしたか?」


 アティフは状況を判断するために際どい質問を投げかけた。

 

 だが、妃は表情を変えずに話を聞いている。


「別に、どうということは……多少拒否はされたが」


 その返答を返した皇帝も、アティフも首を傾げた。


「やはり逃げられたのか? ……どちらにせよ待つしかないな」


 現状では何とも判断ができない。

 必要であれば娘はもう一度呼ばれる。

 そうでなければ、このまま。


「御意」


 アティフは頭を下げて静かに部屋を辞した。


「私――が最後の皇帝かもしれぬな」


「それでも私は永遠に陛下のものです――」


 独り言のように呟いた言葉に妃は呟きで答えた。





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