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彼の名前  作者: 柿衛門
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通勤



 風呂上りに飲んだアルコールのおかげか、凛は久し振りに熟睡した。お蔭で目覚ましが鳴る前に目が覚めた。


 出勤の準備を終え、昨日の空き缶を片付けながら虚しさに溜息を吐いた。


「寒い」

 

 いつもと同じ時刻に部屋を出ると、思ったより寒い。

 

 少し冷たい空気に清々しさを感じながら、現実を見たくないから夢の中にいたいなどと思った自分がおかしくて少し笑ってしまった。


 格好つけてあっさり別れたが未練タラタラだ。もしかして、執着しているだけかもしれない。

 

 いや、過ぎたことを考えても仕方がない。

 第一、公私混同は社会人としてのモラルに反する。

 でも、「やり直したい」と告げたらどうだろう?

 だから、仕事中に私情を挟むと碌な結果しか出ない。


 そんなことを繰り返し考えながら歩いていると、いつの間にか駅に着いていた。ホームに出ると丁度よく電車が入ってきて、それに乗ると空いているシートに座った。


 最寄駅から、各駅停車で五駅。十五分弱だ。そこから歩いて十分程の場所に自社ビルを構える企業が凛が勤める会社だ。

 電車を降りてからそこに来るまで、凛は違和感を感じて首を捻りながら歩いていた。

 

 考え事をしていたため気が付かなかったが、いつもと違う。


「あ――」


「おはよう、凛」


 違和感の正体に気が付くと同時に背後から声を掛けられた。思いも寄らない人物の声に驚いて内心焦っていると、その人物は凛の横に並んだ。


「お、おはよ……」


「凛の部署も今日出勤?」


「え……」


 色々なことに驚いて上手く返事ができない。


 どうして一昨日振ったばかりの彼女に普通に挨拶をして、会話が出来るのだろう?


 彼は何事もなかったかのように喋っている。


「凛の部署が休日出勤って珍しいよね」


「……休日、出勤? 今日、月曜だよね」


 眉根を寄せて首を傾げながら確認する凛を見ながら彼は笑っている。


「何がおかしいの?」


「もしかして寝ぼけてる? 今日は祝日だよ」


「うそ……四月って祝日月末だよね?」


 確認するように尋ねる凛に、彼はしょうがないなという顔をした。


「うわ、ホント寝ぼけてる。今日は春分の日でしょ。三月二十二日」


「何言ってるの? 今日……四月十九日でしょう」


 少し戸惑いながらも今日の日付を言った。


 そして違和感の正体。


 人が少ないのだ。電車内はもちろん、オフィス街なのに通勤している人間が少ない。

 この通りを歩いているのも、ほんの数人だ。

 今日が休日ならあり得る。

 

「ねぇ、凛。すごい疲れた顔してるし顔色も悪いよ? 体調崩してる?」

 

 凛が立ち止まって呆然としていると、横から心配そうな声が掛かった。自分でも少し震えているのが分かる。


「大丈夫? 今日は帰りな、ね?」


 彼は青い顔で小刻みに頷く凛を労わるような顔で見詰めている。


「そ、そうだね。私、疲れてるみたい……何か勘違いしてたかも、またね」


「アパートに着いたら連絡してよ!」


 少しふら付きながら踵を返す凛に彼は声を掛けた。




*


 凛は急ぎ足で歩きながら携帯を開いた。

 普段なら絶対やらないが、今日はそこまで気が回らない。


「うそ……どうして?」


 携帯の日付は三月二十二日と表示されて、おまけに携帯内の全ての履歴が三月二十二日以降なくなっている。


 それから、会社に一番近いコンビニに急ぐと各社の新聞を手に取り日付を確認した。

 その内の一つをレジに持って行き精算をしながら、店員に日付を訊いてみた。


「二十二日ですよ。ありがとうございました」

 

「あ、どうもありがとう……」


 愛想良く日付を教えてくれた店員に礼を言うとコンビニを出た。


 大多数に迎合することが必ずしも正しいわけではないのだろうが、今日に限ってはそれは当て嵌まらない。

 いくら凛が四月十九日だ、と言い張っても、世の中は三月二十二日のようだ。


 狐につままれた気分で駅へ向かった。




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