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彼の名前  作者: 柿衛門
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終わる世界と終わらない世界



『今村くん! だめ!』


 凛の必死な声に今村は動きを止めた。

 

「凛……?」


『来ないで……』


『凛……止めるな!?』

「凛……今行くから! 直ぐ行くから、そこにいてくれ!」


『ダメ!』


『何故だ!?』

「どうして!? そいつ誰だよ!?」


 凛を庇うように立つ今村は、自分である今村を見据えた。今村もやたら自分に似ている男を見据えた。


『貴様、さっさとこっちへ来い! 一生凛に会えなくなるぞ!』


『ダメ……! 分かってるでしょう? わたし――』


 再び歩き出そうとする今村を押し止めようとする凛。

 二人は彼女が何を言おうとしているのか察した。そして、それは聞きたくない、認めたくない事実であるこを。


『言うな! 止めろ!』

「言わないでくれ! 止めろ!」


『ううん……認めて、今村くん。わたしは死んだ(・・・)の』


「どうして……? だって、凛はそこにいるのに……」


『……わたし、ずっとあなたが好きだったけど。でも、もうそれは終わったことなの……だから、もう終わりにしよう?』


 今村は、凛とのことを自分が終わらせてしまったことを認めたくなかった。死なせてしまったことを受け容れられなかった。

 その思いが彼女を留まらせていることも認めたくなかった。


 彼女の手を離したのは彼。


 気付いたときには、もう遅かった。

 燃え上がるような想いではなくなっていても、一生を供に過ごしたい女性のは間違いなく彼女。二人で穏やかな生活を過ごして……。


『……凛』


 皇帝である今村は凛の名前を呼ぶと顔を両手を覆った。


『今村くん』


『君を、失いたくなかったんだ……凛』


 凛が呼ぶ今村は自分ではない。だが、彼は再び彼女の名前を口にした。



*

 

 妃は継承の間に一人で向っていた。


 記録の石は生まれ変わる皇帝に記憶を継承させるためにある。

 第三者から見た記録はただの記録であり、そこに何の感情を読み取ることもできない。だが、当事者二人にとってそれは記録ではなく記憶、二人だけの想い。


 あの想いを彼にもう一度思い出させれば良い。

 そうすれば……


「どうして……?」


 白く光っているはずの記録の石は真っ赤に染まっていた。

 それは震えながら大きな亀裂が入っていく。


「ダメ! ダメよ!」


 石の震えは大きくなっていき、空気も震え始めて世界も震え始めた。


 


*


 世界が大きく揺らぎ、凛と今村は静かな世界に立っていた。赤く染まった空は昼なのか夜なのか分からない。

 皇帝であった今村いなくなっていたが、今村は自分の中に彼の存在を感じた。


 とにかく今村は離れないように凛の手を握り締めた。


「……ここは?」


「ここは……俺が始めに来た場所だ」


 今村はそう言いながら向こうに見える神殿のような建物に目を向けた。無言でそれを眺めていた二人だが、どちらからともなくそちらへ歩き出した。

 

 人の気配は全くない静かな世界には二人の足音だけが、かすかに響いている。

 神殿の白い柱も屋根も赤く染まり不気味だが、二人は導かれるように入っていった。

 やはり誰もいないようで、静寂がそこを支配していた。


 奥へ行くと、人が横たわっているのが見えた。そちらへ近付くと、男は既に死んでいることが一目でわかった。

 軍服の男は心臓を何かで抉られたような有様で、死に顔には驚愕が張り付いている。

 その金髪の男に二人とも見覚えがあった。

 更にその奥には栗毛と赤毛の男が血溜まりに俯せに倒れていた。恐らく死んでいるのであろうその二人の顔は見なくても二人には分かった。

 

 暫く立ち止まっていた二人だが、今村が凛の手を引き歩き始めた。


「……死んだ世界なんだね」


 凛がポツリと言うが、今村は答えずに歩き続けた。それでも凛には言わなくてはいけないことがある。

 この世界があるべき姿に戻ったのなら、凛もあるべき姿にもどらなければならない。 


「生きてる人間のいるべき場所じゃない……今村くん……」


 今村の肩は小さく震えている。

 手を離したら二人の世界は別たれる。それは誰に言われなくても分かる。


「……俺は離さない」


 凛は柔らかな笑みを浮かべた。その言葉だけで凛十分だ。


「ありがとう、今村君……」


 それから今村から手を離そうとした。

 だが今村は、離そうとする凛の指に自分の指を絡めて離れないようにした。それでも、二人の手は離れていく。


「だめだ! 凛!」


「今村くん……ありがとう」


 離すまいと必死で凛に手を伸ばすが、凛は離れていく。捕まえようと足搔く彼の手に小さな石が転がり込んできた。石はすぐに砕けて砂になりサラサラと零れ落ちていく。


――……ありがとう、ありがとう


 そして小さな声が渦を巻きながら二人の世界を隔た。




***


「凛!」

 

「今村君……?」


 退社時間が遅くなり疲れてアパートに向っていた凛は、今村に腕を掴まれて困惑した。走ってきたのか今村は軽く息を切らしている。


「どうしたの?」


 何か大事な用があるからわざわざ呼び止めたのだろうに、今村は黙り込んで深刻な表情で凛を見つめている。その表情が怒っているように見えた凛は、顔を顰めた。


「……あの、離してくれる?」


「ごめん、凛……」


 謝りながらも手を離そうとしない今村に、凛は気まずくなってきた。


「……私、何か悪いことした?」


「してない」


「じゃ、離して」


「ダメだ。離さない……一緒にいたい。だから、離さない」


 突然の今村の言葉に、顰めていた凛の顔、驚きに変わり次に胡乱な眼差しになっていった。


「ムシの良いことを言っているのは分かってる。でも、凛じゃないとダメなんだ」


 疲れている頭は何を言われているのか理解できず、やっぱり疲れているのかな、と首を傾げる凛。


「……歩きながら話そう」

 

 凛の返事を待たずに今村は手を引いて歩き始めた。

 黙々と歩く今村に、凛もどうして良いか分からず黙っていたが、ある場所で突然今村は立ち止まった。

 何がしたいのかさっぱり分からない今村に、凛が混乱していると彼は凛の手を掴んだまま頭を下げた。


「凛、傷付けてごめんなさい」


「え……?」


「もう一度チャンスをくれませんか?」


「今村くん……酔ってるの?」


「酔ってない、本気」


「……高田さんは?」


「紗枝とは話を付ける。明日にでも話を付ける……それからで良いから考えてくれないか?」


 俯いて黙り込んでしまった凛を今村は不安そうに見つめていると、ポタ、と水滴が落ちてきた。


「ど、して……急に、そんなこと、言うの? せっかく、諦めようと、思、て……」


 泣きながらの凛の言葉に今村は罪悪感以上に嬉しくなって抱き締めた。が、最後に抱き締めたときより細くなっている凛の体に、やはり罪悪感が募ってきた。


「凛、ごめん。ごめん……」


「ずるい、今村くん……私、だって……」


「……こんなところでする話じゃなかった。ごめん、送るから帰ろう」


 今村の目の端にチラっと高田が映ったような気がした。

 

――これで良い……凛は生きている


 例え凛が許してくれなくとも、だが、凛は許しているのだろう。







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