女たちの願い 2
縋るナイマをソファに座らせ、温くなったお茶を淹れ変えた。
同情できる立場ではないが、凛と同じように見知らぬ世界に来た女たちに思いを馳せて居た堪れない気持ちになっていた。
「彼女たちの願い」を叶えるために、凛が次の皇帝を産まなければ彼は解放される。それだけだが、それを単に実行するだけでは凛の気持ちが納得できない。
なぜここに来たのか。何の意味もないのかもしれないが、凛の心は知ることを望んでいる。
この世界において、異世界からやってきた彼女たちも凛も異物でしかない。元を質せば皇帝も妃も異物であったのだろうが、彼らは独りではない。お互いがいる。
皇帝と妃で完結していると言っても過言ではない、この箱庭のような世界――広いのに二人のためだけのような閉ざされた世界で喪失感に襲われた。不思議なことに孤独ではなく喪失感だった。
凛から失われたものは、正しく凛が死ぬことによって喪われたものだ――即ち彼女自身。
彼女が彼女であったのは、あの場であの生き方をしているからこそであった。両親がいて友人がいて仕事をして、生活をしていく。ありふれたものかもしれないし、良いことばかりではないがそれら全てを含めて凛であったのだろう。ここにいる凛は最早あの凛に戻ることはできない。産まれてからずっと、選択をしながら生きてきた。その選択全てがあのときまでの凛を象徴するものであり、あの日凛として生きてきたもの全てが暴力によって奪われ、そしてこの場所を押し付けられた。
「わたし、どうしたいんだろう……? どうしたら良いんだろう……」
凛は探し始めた。
どんなに些細なことでも、彼女自身であるためには自分自身で考えて行動しなければならない。
凛の心まで喪われたわけではない。
「リン様……」
心の在処は喪われていない。
「ナイマさん……わたし、彼のことが今でも……」
妃の彼に対する気持ちは異常と思えたが、それと何ら変わらないかもしれない。凛も異常なのかもしれない。どこか狂っているのだろう。だからこそ、狂ってしまった彼らの世界に囚われたのかもしれない。
それでも凛は認めて受け容れることができる。それこそが彼女の本質と言える。
――今でも彼を愛している
「ねぇ……その、『彼女たちの願い』って余計なお世話じゃないのかな」
本当かどうか分からないが『彼女たちの願い』が皇帝を解放することだとして、彼はそれを望むのだろうか?
「彼は、皇帝は妃とともに在ることを望んでいるんじゃないの?」
「違います!」
なぜナイマがそれをはっきりと否定できるのだろう?
なぜナイマが凛に頼むのだろう?
「どうして――」
「シャリファ様が永遠のときを生きられるのに、陛下は何度も生まれ変わっておいでです」
強い意志の籠ったナイマに見据えられ凛は返す言葉を失くした。
「陛下は年を経るごとに少しずつ心に異常を来していきます」
ナイマは一度言葉を切ってお茶で口を湿らせた。
「初めの女が世界に呼ばれたとき、陛下はほとんど口も利けずに獣のように過ごしておいででした。それからは陛下が御心を患う前に女たちが呼ばれるようになったのです」
まるで見てきたかのような台詞を吐くナイマに嫌な予感に気分が悪くなってきた。
「もしかして……あの、間違ってるかもしれないけど。ナイマさんも、呼ばれた人なの?」
「私も陛下をお慕い申し上げておりました」
その返答に凛は目を見開いてから疑いを持った。ナイマにとっては妃も凛も邪魔な存在になる。それと同時にはっきりと『愛』を口に出して言えるナイマに嫉妬心と羨望を向けた。
「過去形です。見知らぬ世界で、体を重ねた人に情を持つことなど珍しくもないと思います……」
凛の心を見透かしたように自嘲が籠る口調だが、それ以上に悲しさが感じられる。
「正気に返られたときは優しい御方でした。シャリファ様を遺すことを案じておられ、私に申し訳ないとおっしゃられ……ですがそれ以上に、何かを御心が壊れるほど後悔してらっしゃいました。どの陛下も御心を壊されていきました……もちろん私が産んだ陛下もです」
ナイマの口振りから、かなり昔ここに呼ばれてきたことが分かる。それから一瞬でもナイマに妙な疑いを持ったことを恥ずかしくなってしまった。
ナイマが持つ感情は母親の情だ。
凛にはまだ経験のないことなので思いも付かなかった。
「……他の女の人たちは?」
「死ぬことを望みました。人として正常な人生を送ることを望んだのです」
それはナイマが人として正常ではない道を選択したということを告げている。彼女もどこかしら狂ってしまったのだろう。
「リン様、これを」
ナイマは首に掛けていた小さなペンダントを外すと、凛に差し出した。
どこかで見たような、薄らと光る小さ石が付いたペンダントに手を伸ばすことを躊躇った。
「思いが籠った石です。右手で触れば彼女たちの思いが見られます。左手で触れば思いを込められます」
紛れもない、地下部屋にあった卵型の石と同じもの。右利きの凛はあれに右手で触った。
ナイマが凛にこれを渡すということは彼女たちの思いを見ろ、ということなのだろう。あのときは何か分からなないまま触れてしまったが、今は人の気持ちを覗き見るような真似はしたいと思わない。彼女たちの願いが「皇帝の解放」だと分かっていても、それを直接見るのは気が咎める。
「彼女たちは、いつか願いが叶うことを望んでいます」
だが、ナイマはそう言いながら凛の首にペンダントを掛けた。凛は石に触らないように注意しながらチェーンを掴み胸元に石を入れた。
石の仕組みは分からないが、人体には電流が流れているというからそれが関係しているのかもしれない。今着ている服は不導体ではないが直接触らなければ良い、というナイマの言葉に従った。
それから話を逸らすようだが、疑問に思っていることを口にした。
「どうしてこの世界の女性では皇帝を産むことができないの?」
「私の推測ですが、シャリファ様は嫉妬深く独占欲が強い女性です」
凛は頷いた。強いという控えめな言葉を使っているが、はっきり言って異常だ。
「この世界の女性が産めるとなれば、陛下はいくらでも女性を囲うことができる権力をお持ちですから……」
「世界が疲弊していた時代は余裕がなかったけど、余裕があれば……そうだね。そうかもしれない」
凛の知っている今村はそういうことができる男ではない、と断言できるが権力を持ち時間を持て余す男がそうしない、とは言い切れない。
それでも彼はそういうことはしなかっただろう、と凛はそう思うことにした。
「じゃあ、妃が何かの、変な力を持っていてそうしたの?」
ナイマは首を横に振った。
「シャリファ様自身は妃という権力以外何の力も持っておりませんが、何かと取引をしたようです」
「『何か』ねぇ……どうして妃は産めないの?」
「これも恐らくですが、永遠に生きるのと引き換えに産めなくなったのだろう、と思います」
「それも『何か』と取引したわけね……」
『何か』が何かは分からないが、何となくつじつまは合う気がする。
永遠に生きる代償に、子供を産み次代へと流れる時を止めたのだ。何となく分かってきた気がする。
「彼女は彼と永遠に生きる道を選んだのに、彼が壊れてそれが叶わなくなった……そのときには子供が産めないわけだから、更に何かを代償に子供を産める女を呼び寄せることにした……」
口の中でぶつぶつと言いながら首を捻る凛。
何かが違う。
それでも、妃――高田の都合の良い『世界』であることには違わない。
「『世界が選んだ』って言ってた……取引の相手は『世界』? って何だろう?」
漠然とし過ぎている。
「……事の発端は何?」
今村と高田がこの『世界』に来なければ起こらなかったのだろうが、それは三千年も前に起こってしまった。二人がいなければ凛もここには呼ばれなかった。凛にとってそれは、完全なる死を意味する。
凛は考えに集中するために、頭を振りながらそれを追い払う。
戦争があったという。世界が滅ぶほどの戦争が。
彼が来たことによって戦争が終結を迎えた。そして皇帝がいれば人間は戦争をしない。
二人はこの世界に来た時点で、人間としては逸脱した存在になってしまったのだろう。
「私が呼ばれたのは戦争が終わっていたころですので……記録も残っておりません」
申し訳なさそうに言うナイマに凛は頷いた。
戦争の話は子供向けの絵本として残っているが、正確な記録は残されていない。それは都合の悪いことだからだろう。権力者にとって都合の悪いことが残されないのはどこにでもある話だ。
皇帝自身、生まれ変わりの弊害なのか記憶が怪しいところがある。覚えているとすれば妃だけだろう。
凛自身が納得するために、それは知らなければならないことだ。
いつの間にかナイマは部屋から下がり、凛だけがポツンとソファに座っていた。
考えることに疲れた凛はチェーンを引いて石を引っ張り出した。彼女たちの願いに何か隠されているかもしれない、と激痛に備えて深呼吸をすると石を握り締めた。
***
戦争に関するすべての責任は皇帝が負う。どの国が起こしたかなどは一切関係ない。
そのため凛に構う傍ら資金、人員、物資の調整を行っていた。
「古代兵器の復活および停止」に関する報告を聞きながら、本体装置の破壊をすることに決めた。
今まで破壊しなかったことが悔やまれるが、今後を考えなければならない。
「このような物を作るなど、狂っているとしか思えんな……」
「古代兵器」とは人間を兵器に仕立て上げる装置だ。三千年前に起こった頃の人口は数百億と言わている。もちろん、国家機密であり一般人には公にされていない。
戦争を起こした国は、環境を破壊せずに人間だけを殺戮できる兵器として、要は「クリーンな兵器」という矛盾したものを開発していくうちに辿り着いたものだ。特殊な周波数の電波を人間の脳に送り、操作する。
三千年前のことが薄らと思い起こされる。あれは戦争ではなく、殺戮だった。
老若男女関わらず世界中で一斉に殺戮が始まった。一人が一人を殺せば人口は半数になり、四半数になり……たった一夜で数百億は数千万になった。
――……タスケテ
死臭が漂い、肉片が散らばる赤い世界に紛れ込んだ彼の耳に聞こえた声。彼の意識はここから始まる。
だが、その前に何か大事な、とても大事な何かがあった。
彼は走っていた。その大事な何かのために。
彼が追っていた「何か」は、この死の世界にあるのだろうか?
――タスケテ……
死に逝く者の声はか細く、不気味な何かを孕んでいる。あれは人間の声だったのだろうか。
「――でしょうか、陛下」
「あ、ああ。何だ?」
「全ての「古代兵器は停止ではなく破壊」で宜しいのですよね」
「一つ残らず破壊せよ」
「御意」
なぜ、直ぐに破壊しなかったのだろう?
***
あのときほどの激痛には見舞われなかったが、それでも頭に衝撃を受けたことに変わりはない。
誰かというよりは多数の思いが凛に流れ込んでくる。呟くような声、啜り泣くような声、叫んでいるような声。若い声もあれば老いた声もあり様々だが、共通しているのは全てが痛いほど悲しい声で訴えている。
『――私の、子供を助けて』
彼女たちは皇帝に未練があって残ったわけではなかった。
この世界に呼ばれてきたのはごく普通の女性だ。何も分からない世界で拒否することもできずに身を委ねた男。孤独な世界で関係を持てば、相手に情をもってしまうこともあるだろう。胎に子供が宿れば尚更だ。
妃はいても、子供を産めば情が湧くのではないだろうか。少なくとも家族として何らかの情は持ってもらえるかもしれない。
そう言った期待が漠然と凛に流れ込んでくる。
だが、皇帝は子供が産まれれば死ぬ定めだ。
皇帝は彼女たちの胎を借りて生まれ変わる。何度でも繰り返しこの世界のために産まれ、そして長い時を経ていつの間にか妃のためだけに生まれ変わる存在になっていた。
そんな不毛な世界から我が子を解放してやりたい、という母の願い。
それを感じながら言いようのない深い悲しみに囚われた。




