表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼の名前  作者: 柿衛門
26/31

女たちの願い


「リン様……」


「……何?」


 物思いに耽っていた凛は一拍遅れて返事をした。


「あのとき何があったのでしょうか?」


「あのとき……? いつ?」


「シャリファ様がこちらで、その怪我をなさったときです」


 眉間に皺を寄せながら、思い出したくもないことを思い出した。

 なぜそんなことを今更聞くのだろう、と思いつつ「刺した」ではなく「怪我をした」と断定するナイマの顔を見た。

 本当のことを言って信じてくれるかどうか?

 この世界で凛の味方はいない。ここでもしナイマが信じてくれれば、それだけで気持ちは楽になるのは確かだ。


「私は凛様がシャリファ様を刺したなどと思っておりません」


 強い意志を持って言い切るナイマに凛は頷いた。


「あのとき、彼女が自分で自分を刺したの……それだけ」


 そう言いながらゾッとしてきた。今考えると、女の力で自分自身に床にあれほど血だまりができるほど刺せるなど、あり得ない。


「シャリファ様はどうしてそのような真似を……?」


「多分……推測なんだけど、次の皇帝を産ませたあとに処分しようとか、そんなところじゃないの?」


「なぜですか?」


 迷いなく理由を尋ねるナイマに思わず溜息を漏らした。


「彼女は……私のことを憎んでいるから」


「憎まれている……? なぜです?」


 凛は力なく笑いながら首を横に振った。


「何かあったのですか? 私に話してくださいませんか?」


「……ここに来る前に殺されたの、彼女に」


 殺される理由もナイマは聞きたがるのだろう。

 だが、それこそ凛には全く心当たりのないことだ。分かっていることは殺されるほど憎まれている、ということだけ。


――何かあった?


「「ウザい」って言われたけど……全然分からないの」


 凛は自嘲の笑みを浮かべながらポツポツと話し始めた。



*


 ある日の終業後、ロッカールームに行くと、高田とその同僚女性が着替えをしていた。

 偶に見かけることはあったが、お互い挨拶どころか目を合わせることなどしない。彼女たちはほぼ着替え終わっていたので、出ていくだけだろうと大して気にもしていなかったが、突然同僚の女性の声が聞こえてきた。


『ねぇねぇ、最近今村くんとどうなの? 結婚の話とかないの?』


 まるで凛に話を聞かせようとするかのような大きな声だ。


『そろそろかなって思うんだけど……亨君、イマイチはっきりしないんだよねぇ』


『元カノいるから遠慮してるんじゃないの?』


『やっぱりそう思う?』


『でも、あの人よくいられるわよねぇ。あたしだったら振られた男と同じ会社なんていやだけどなぁ……良い笑いモノだよね』


『そうだよねぇ……正直ウザいよねぇ』


 高田の甘い声と、同僚女性の嘲笑がグサリと突き刺さった。凛にわざと聞こえるように言ったということは、いないところでもこうやって哂っていたのだろう。

 忘れようと努力して、やっと心に区切りが着いてきたところだった。

 別れて一年という月日は凛の心の痛みを大分和らげて、やっと「忘れよう」ともがくことを止めさせていたのに。

 執着から諦めに変わりそして、いずれ忘れるのだろうと、ようやく思えるようになっていたのに。


――あぁ、そっか……彼も、目障りだと思っているんだ


 こんな思いを抱えたままここにしがみ付く意味はあるのだろうか?


――もう良いや。疲れた……少し、休もう


 そう、家に帰って少し休んで。

 そうすれば、またすぐに働けるようになる。


 上司と相談をして、引き継ぎと有給休暇の消化で二か月後に退職することが決まり、凛の仕事は引き継ぎだけになった。

 ほとんど使っていない有休の消化で半月使うので、出社するのは実質一月半。たった一月半。

 そうして指折り数えて、後一週間。それだけ我慢すれば、帰れる。懐かしい自分の部屋でゆっくり寝て、ゆっくり休める――


『凛――!』



*


「それで、突き飛ばされて車に跳ねられて。それで終わり」


「その……その方はやはり陛下なのですか?」


「……さぁ? 同一人物だとしても、髪も目の色も違うし、記憶もないみたいだし」


「どうして陛下は……その方はリン様に声を掛けたのでしょう?」


「高田――妃と打ち合わせでもして、突き飛ばすための隙でも作ったんじゃないの?」

 

 彼らに「仕事辞めるから、邪魔しないから」とでも言っていれば殺されなかったのだろうか。

 それこそ無意味だと思っていた。

 高田はどうか知らないが、今村は職場で見掛けても凛を見ようとすらしていなかった。そんな人間に何を言うことがあるだろうか。


「……皮肉な話ですね」


「何が?」


「邪魔で憎いはずのリン様でなければお世継ぎは産めないのですよね」


「だから余計に憎いんじゃないのかなぁ?」


 困ったように凛は笑うが、ナイマは突然虚ろな目で凛を見つめた。


「リン様」


「……何?」


 ナイマの不気味な様子に凛が身構えていると、ナイマは凛に近づきそっと囁いた。


「陛下の子供を産んではなりません」


――産んではだめ


 突然フラッシュバックしたように凛の頭に声が鳴り響く。


――産んではだめ!


「それ……誰か言ってた……泣きながら」


 夢の中で誰かが言っていた。


「……誰なの?」


 突然、虚ろになったように突然我に帰ったナイマは顔を歪めながら凛に縋るような眼差しを向けた。


「ここに……呼ばれた女性たちです」


「ど、どういうこと?」


「彼女たちの願いです」


「ナイマさん?」


「お願いです。彼女たちの最期の願いなんです。陛下を、彼を妃から放してください……助けてください」


 あまりに必死に縋るナイマに凛はただ頷くしかできなかった。 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ