狂喜
多少、鬼畜な表現があります。ご注意下さい。
「継承の部屋へ行く」
往復千キロの道程を二日でこなした皇帝は、すぐに『皇帝の庭』へ向った。
記録を見れば凛の居場所などすぐに分かる。
アティフと双子も付き従った。
石碑自体には大した仕掛けはない。人が触れれば開く仕組みになっている。
真白い部屋の扉は、「シャリファ」という言葉が鍵になっている。
そこへ入った途端、四人の間に重い沈黙が流れた。
記録の石を手に持ち、台座に寄りかかる様にして意識を無くしている凛。
皇帝に言い様のない怒りが込み上げてきた。
この石の記録は、皇帝と妃二人の想いの記録とも言える。二人の想いは二人だけのもの。
それを、凛はコソコソと盗み見るような真似をしている。
それは一瞬の出来事だった。
逆上した皇帝が、ランが佩いていた太刀を抜き凛に斬り掛かった。
誰も止めることが出来ずに、気が付くと真白い床に赤い染みが広がっている。
「――陛下?」
逸早く我に返ったアティフが恐る恐る声を掛けるが、皇帝はピクリとも動かない。
「陛下……?」
暫くしてから振り返った皇帝は、薄っすらと気味の悪い笑みを浮かべている。
それから喉の奥でクックと笑った。
「出て行け……」
そう言うと、斬ったばかりの傷を指でなぞった。
あまりにも皇帝らしくない、不気味な様子に三人は黙って頭を下げてそそくさと出て行った。
「リン……リン」
凛を斬った瞬間、恐ろしいほどの快感が皇帝の体を突き抜けた。
妻を手に掛けようとしたことも、戦争を起こしたこともどうでも良いほどの歓喜。
二度と触れることができないと思っていたものを手にしたような喜び。
流れる血に歓喜して笑った。
「り……凛」
生も死も、凛の全てが手の中にある。
「お前は俺のものだ」
記憶の石が凛の手から転がり落ちた。
*
音のない世界に音が響くと、苦痛の中微睡んでいた凛の欠片は震え始めた。
――リン……リン
聞き覚えのある声に、欠片は怯えた。正体を無くしていた欠片は、名前という彼女を表す記号で定義付けられてしまう。
笑い声が聞こえる。
――……凛
その声は凛の名前を正しく呼び、その途端欠片は凛として統一された。
――お前は俺のものだ
そして凛の意識は記憶から引き摺り出された。
***
「これは……?」
部屋から出たレインは、入り口に無造作に転がる短剣を拾い上げた。
ここへ来たときは急いでいたので気付かなかった。
赤黒く乾いた血がこびり付いている。妃を刺した短剣だろう。
「寄越せ」
三人で顔を見合わせたあと、アティフはレインの手から取り上げた。
あの状態の皇帝にこんなもの見せたらどうなるか分からない。
「どうするの?」
「……隠しておく」
「……隠すの流行ってるの?」
ランが言うと、レインは口の端を吊り上げて笑った。
だが、アティフにとっては笑い事ではない。
皇帝が、凛に何らかの感情を向けていることは理解した。
妃には愛と呼べる感情を持っているのだろうが、凛に対する感情は危険な、何か狂気染みているものに感じられる。
なぜ彼女にああも固執するのか分からないが、死なせるわけにはいかない。彼女が死ねば、皇帝が狂ってしまいそうだ。
「医師を呼びに行け」
顔を顰めながら二人に命じると、二人は「俺達も何か隠そう」、と笑いながらその場から去った。
***
「痛みはございませんか?」
意識が戻って最初に聞こえた声は優しく、耳に心地良い。
その優しい声の持ち主は、水や薬を飲ませたり、体を拭いたり甲斐甲斐しく看護してくれている。
ぼやけながらも、この痛みはなんだろう? と身に覚えのない痛みに疑問を感じる。
「どうして、私……」
「今は治すことだけ考えて下さい」
「ん……」
久し振りに感じる優しさに、凛は安心しきって任せた。
「ここはどこ?」
痛みがだいぶ引いてきた凛は、そっと室内を見回した。見覚えのある部屋にゾッとしながら、ナイマに訊ねた。
「陛下の私室です」
それを聞いた途端、怯えて身構える凛。
――私を殺した、二人
「こ、皇帝は?」
「陛下は、シャリファ様の許へお出でです」
シャリファの名前に凛は動揺を露わに体を揺らした。
「……私は、リン様があのようなことをするとは思えません」
思いがけないナイマの言葉に凛は、ナイマを見据えた。
「ナイマさん……」
「なんでしょうか?」
「……私を、ここから出して……ううん、見逃して。それだけで良いから」
ナイマは慌てて首を横に振った。
「できません……まだ、無理です。今は、傷を治すことに専念しましょう」
一瞬落胆したが、小声で続けたその後の言葉に凛は力を得た。凛も頷いた。
*
ナイマの看護と励ましのおかげか凛の傷は順調に回復していった。凛自身も、皇帝の存在に怯えつつも、回復に専念するようにしていた。
「お茶をお持ちしました」
その日の午後、お茶を持ってきたナイマは浮かない顔をしていた。
「なにかあったんですか?」
「え? ……いいえ、何もございません」
「なら良いけど」と呟きながらお茶を一口啜る。甘くて苦い、どこかで飲んだことのある味に首を傾げつつ啜る。
そうしながらボンヤリしていると、男の声がした。
「良くなったようだな」
突然やってきた皇帝に凛は身動きできなくなってしまった。
今日までここへ来なかったから迂闊にも忘れていたが、ここはこの男の部屋。いつ来てもおかしくない。
それなのに、失念していた。
怯えて口も利けなくなっている凛に構わず、皇帝は引き摺ってベッドへ放り投げた。
「痛っ……」
「まだ痛むか……優しくしてやろう」
我に返って顔を上げると、圧し掛かってきた皇帝の顔が間近にある。その顔にはゾッとするような笑みが浮かんでいる。凛が思わず顔を背けると、皇帝は耳元で囁いた。
「や、やめて……たすけて、ナイマさん!」
「もう良い、下がれ。ナイマ」
凛は、目の端で捉えたナイマに助けを求めるが、命じられた彼女は俯きながら出て行ってしまった。
「……許して……邪魔しないから、殺さない、で」
助けを求められる者はなく、目の前の男に許しを請うしかない。
「ああ……ここで大人しくしていれば殺したりなどしない」
凛はただ頷くしかない。
「お前は、俺のものだ」
男は性急に凛の着物を脱がすと、笑いながら傷痕に口付けた。




