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彼の名前  作者: 柿衛門
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逃走

――どうしてあの女がここにいるのだろう?


 部屋に入ってきた女は高田だった。


 高田の顔を認めた途端に全身に激痛が走った。その痛みを切欠に忘れていたことを次々と思い出し始めた。


 あのとき――撥ねられたとき、凛は誰かに呼ばれて振り返った。一瞬視界に捉えたのは憎悪に顔を歪めた高田。

 その後、突き飛ばされて跳ねられた。 

 

 殺される程、憎まれていた。


 その事実ごと、凛が全て覆い隠して忘れていたかったものが暴かれた。


 誰だって、殺されるほど――殺されたほど憎まれているなんて思いたくない。


 あの女は何かを言っていた。妃がどうとか、戦争がどうとか、子供がどうだとか。だが、あのときの高田と同じ眼をする女に恐怖を覚えた凛の耳を素通りしていった。

 一見穏やかさを装いながら、その奥に宿る憎悪。それを一度向けられたことのある凛には隠せない。


『貴女……生きていたの?』

 

 その言葉で確信を得た。


――このひとは高田だ


 その彼女は突然、凛に向って短剣を振り翳してきた。


――殺される。

 

 咄嗟に身を庇うと、彼女は自分の胸に短剣を突き刺した。


『……え? な、なに?』 


 突然の行動に凛が唖然としていると、痛みで蹲りながらも女は短剣を胸から引き抜いた。意味の分からない行動に驚くより、女の異様な様に恐怖が勝っている。  


 そして、凛が怯えている間にも女は再び短剣を振り翳した。


『やめ……!』


 凛は衝動的に女の手から短剣を取り上げた。血で生暖かく滑っている剣を。

 その瞬間、女は哂いながら悲鳴を上げた。


『シャ、シャリファ様……』


 飛び込んできたナイマに、妃は助けを求めながら手を伸ばした。


『……助けて』


 血塗れで倒れる女と、凶器を手に持つ凛。しかも女は「妃」とか言っていた。

 じゃあ、私は?

 そんな悠長な事を考えるほどのんびりした状況ではない。


『だ、誰か……シャリファ様が!』


 震えつつも叫びながらナイマが部屋の外へ出て行くと同時に、凛の体は勝手に動いていた。

 居室から寝室を抜けて、窓を開ければ向こうに迷路状の『皇帝の庭』が見える。


 自分でも信じられないが、凛は二階ほどの高さがあるそこから飛び降りた。あちこちぶつけながらも柔らかい草地に、なんとか無事と言える状態で着地した。トラックに撥ねられたときよりはマシだと思いながら『皇帝の庭』へ向った。


 焦る凛の頭には啓示を受けたように、庭の中央の石碑の下から延びる下水道の配置図が浮かび上がったきた。



*


「この下に入り口があるはずなのに……」


 何度も見た下水道の地図は、確かに石碑の真下から始まっていた。

 なぜ、「下水道なのにこんなところから始まるんだろう」という、疑問があったから覚えていられた。

 

 あちこち石碑を触っていると、石碑の下の入り口が音も無く開かれて階段が見えた。凛は一も二もなくそこへ踏み出すと、入り口は音もなく閉じた。


 暗くなる恐怖に一瞬身構えたが、想像していたような闇は訪れず仄かに明るくなってきた。

 まるで、人がいるのを察したように――


「ここ……下水道じゃない……」

 

 そこは人口の照明で照らされている、地下鉄を彷彿とさせる場所。


 暫く呆然としていたが、自分の置かれた状況を思い出した凛は頭を大きく横に振った。


 とにかく、ここがどこであろうと出来るだけ帝宮から離れなければならない。

 血塗れの短剣をまだ握っている事に気が付かずに、フラフラと先へと進んだ。 




***


「何事ですか?」


 アティフに呼ばれた男二人は、挨拶もせずに執務室のソファにドカッと座った。二人ともよく似た柔和な顔立ちで、一人は赤毛、一人は栗色の髪をしている。


「シャリファ様が刺された――」


 アティフが何か言い募ろうとして口を閉じると、赤毛の男が興味なさそうに聞いた。


「ふぅん。誰に?」


「陛下が……隠していた娘だ」


 アティフが言い辛そうに言うと、二人は顔を見合わせた。


「陛下が……何?」


 赤毛の男が聞き返すと、アティフは溜息を吐いた。彼自身、信じられないでいる。


「陛下が娘を隠していた」 


 そう。「死んだ」と言って隠していたのだ。

 あの娘に関しておかしな事を言っていたと思ったら、隠していたのだ。

 考えたくは無いが、娘を切欠に陛下の言動がおかしくなっている。

  

「陛下は娘を探すと仰られている。娘に何かあるかもしれないし、ないかもしれないが慎重に扱わなければならない」


 二人は返事の代わりにニヤニヤと笑みを浮かべた。 


「良いか、目を離すな。頭に血が上っておられる、何をされるか分からん」


 アティフはニヤニヤ笑いを浮べたまま退室する二人を見送りながら溜息を吐いた。




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