皇帝の私室 2
死んでしまったことも、別の世界に来たことも、生々しい夢と皇帝のおかしな言動のおかげで余り、というか殆ど気にする暇がなかった。
単に、突然の訳の分からない展開に頭が追い付いていないだけかもしれない。
「ほら、ちゃんと口を開けろ」
その代わり、恥ずかしさに皇帝の姿を見ただけで赤くなってしまう。
「あ、あの……もう……」
「だめだ。もっとだ」
凛が羞恥心やらその他大切な何かを無理やり押し込んで口を開くと、小さな柔らかい肉が入ってきた。
味も分からずに噛んで飲み込むのが精一杯の料理は、美味しいのだろうがその恩恵に与れていない。
何とか飲み込むと、皇帝は次を用意して待っている。
「もう少し食せ。お前は細すぎる。顔色もよくない」
最初は何かの冗談かと思ったのだが、皇帝は至って真面目な顔で凛に食事を与えている。そのため、どう反応したら良いのか分からないのだ。
しかも、初めて目の当たりにする権力者だ。迂闊な態度は取れないような気がするのだが、阿る必要があるのかも甚だ疑問だ。
「あの、皇帝の子供産む人っていつもこんな待遇なんですか?」
皇帝の給餌行為に耐えられなくなった凛は素直に聞いた。
「いや」
そして即否定された。
「え、と。じゃあ、どうして……私」
「話せば長くなるが、お前は私の世話をしていれば良い」
全く意味が分からない上に、さっぱり噛み合わない会話に凛は首を傾げた。
「私、あなたの世話をするためにここに呼ばれた訳じゃないですよね?」
と言うか今のところ世話されてばかりいる気がする。
「私の世話が嫌か?」
「嫌、というか……その。子供を産まなければならないんですよね?」
「……お前は産みたいのか?」
「産まなくて良いなら……って、え? じゃあ、何でここにいるんですか?」
「私の世話をするためだ」
「……? え、と。じゃ、お世話って何をすれば良いのですか?」
「何をせずとよも良い」
このような、忍耐力を要する会話を繰り返してから、凛は諦めた。要は皇帝の好きにさせろということなのだろう、と。
「桃だ」
皇帝自ら剥いたと思しき桃が口元に運ばれてきた。果物が大好きな凛は、思わず口を開けて与えられるがままに食べてしまった。
食事をさせられながら、地球と共通する食べ物が結構あることに気が付いた――何か別のことでも考えていなければ居た堪れない。
もっとも、人間が住める環境であれば大概同じような環境だろうから、動植物も同じような物で当たり前かもしれない。
それにしても、皇帝の子供を産める女性がこの世界にいないというのもおかしな話だ。
生物学、遺伝学的に特化して考えれば、皇帝陛下の染色体はこの世界の人間とは違うということなのだろうか。
染色体が違えば受精はしても子宮に着床しないとかなんとか……。
いや、別世界に移動するような不思議なできごとがあるのだから、不思議現象の一つかもしれない。
じゃあ、生殖行動などしなくても子供ができるかも……。
一人でグルグル考えているうちに、昨夜の夢を思い出して一人で勝手に赤くなる凛の口許に桃が運ばれた。桃は瑞々しくて美味しい。
今は謎だらけだが、皇帝のおかげで惨めな気分を味わわなくて済んでいるのだろう、と思うことにした。
*
甚だしく疲れる朝食を終えると、凛は少し眠くなってきた。
「私は議会がある」
うつらうつらしながら「皇帝って仕事するんだ」、と漠然と思った。
「だから、少し眠れ」
話の流れがさっぱり掴めず「え」とか「あ」とか言っていると、皇帝が凛に手を伸ばした。
難なく凛を抱き上げると少し顔を顰めながらベッドへ運んだ。その近い距離に凛の眠気は吹き飛んでしまった。
ベッドへ無理やり押し込まれ、皇帝の赤味掛かった強い眼差しに見つめられる。あまりにも強い眼差しに逸らすことができず、お互い無言で見つめ合う形になった。
「……眠れぬのか?」
首を少し傾げながら訊ねる皇帝は、どうやら凛が眠るのを見届けたいようだ。子守唄を歌い出しそうな雰囲気を察した凛は、慌てて目を閉じた。
凛の寝息が聞こえると唇に触れるだけのキスをして、朝議へと向かった。
***
皇帝専用の通路を通り、場内へと入る。皇帝が直接姿を見せないように御簾で覆われた玉座へ着座すると、各分野の長の皇帝陛下への挨拶が始まる。今日も同じ――
「我が君においてはご機嫌麗しく」
「ああ」
――ではなかった。
いつもは挨拶を受け取るだけの皇帝が、一言でも返事をしたのだ。
場内はえも言われぬ雰囲気に包まれたが、出席者達は顔を見合わせるだけに止めて朝議が始まった。
基本的に皇帝は議題に口を挟むことはしない。ただ黙って長達の遣り取りに耳を傾けているだけだ。
長は人々の代表であるだけで、人々の支配者ではない。人々、ひいては自分達の暮らしがより良くなるように努めるだけである。
彼等の支配者は皇帝だけであり、その絶対的支配者の下において人々は皆平等である。
その絶対的支配者は、彼等の遣り取りを見ながら無意識に唇に手を持って行った。




