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彼の名前  作者: 柿衛門
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よくある話と余談

 よくある話だ。


 

 ただ、今村亨は自分がその「よくある話」の当事者になるとは思っていなかった。

 

 彼は凛が最期を迎えた場所に佇んでいた。



 

 佐々木凛とは高校の頃から付き合っていた。同じクラスで同じ委員会になったのが切欠だ。

 

 名前の通り凛とした女の子で、同学年の子とは違う落ち着きを持っている凛の第一印象は「冷たそう」、「苦手なタイプ」。


 だから、同じ委員と言っても協力しようとも思わず、寧ろ避けるようにしていた。

  

 図書委員の仕事は楽、と言えばそうかもしれなかった。カウンターに座って本の貸し出しの管理をするのだが、それほど多くの生徒が利用しているわけではなかった。


 ただ、今村がいる日は女子生徒は多く来るようになっていた。最初は遠慮していた彼女達だが、次第にカウンターに座っている今村と話し込んだり、図書室としては眉を顰める雰囲気になっていた。

 彼の気さくな雰囲気や、顔、スタイルなど女子にモテる要素は多く、彼自身も女子に囲まれれば悪い気はしない。

 また、凛がそれを咎めるようなことをしなかったことも理由の一つかもしれない。


 水曜だったか木曜だったか、二人の当番の日、今村は少し遅れて図書室へ入った。

 この時点での彼の凛に対する評価は、「無関心」。遅刻しても、喋っていても怒らないし、混ざる訳でもない――混ざられても困るが。

 

 だが、カウンターに目を向けた瞬間全ての印象が払拭された。


「遅れてごめん」 


 本人は気付いていないが、今村は初めて凛に謝った。


「忙しいわけじゃないし構わないよ」


「今の人、知ってる人? 仲良いの?」


「知らないよ? 隣のクラスの人だって」


「え?」


 丁度、図書室に入ったときに凛は知らない生徒と遣り取りをしていた。大きな声で話しているわけではないのだが、楽しそうに笑っていた。てっきり知り合いか何かだと思った。それくらい柔らかい雰囲気で笑っていた。


「「お勧めの本ある?」って聞かれて。話してたら割と話が合うみたい。うるさくしてごめんね」


 それは嫌味でもなんでもなく、凛は眉を下げて本当に申し訳なさそうな顔をしていた。


「あ……いや」


 今村は最初の印象だけで無意識に避けていたことを後悔した。

 今も、少し申し訳なさそうに微笑んでいる。


――いつも笑ってればいいのに……可愛いのに


 


 それからは気付くと凛を見ていた。


 パッと見は今時の華やかさはないが整った顔立ちや、話し掛けると柔らかい物腰で応えてくれるところ。

 気付いた時には凛にすっかり惹かれていた。それと同時に焦りが募ってきた。


 誰に対しても同じ態度で接する凛。誰にでもだ。見た目や噂などで左右されることはなく、その態度は徹底している。

 だから、凛の良さに気付く人はすぐに気付くだろう。


「好きです。俺と、付き合って下さい」


 そしてとうとう、それはベタだが真っ直ぐなな告白に繋がった。


 凛は驚いた顔をしたあと、顔を赤くして俯いてしまった。



 凛にすっかり惚れ込んでいて、同じ大学に進学できるように頑張ったのも今村だった。

 このご時世、同じ職場に勤められるようにも粘った。

 


*


 それが、今では一時の気の迷いだったのか、本気なのかは分からない。

  

 高田紗枝はまさしく可愛らしい女性で、見た目も雰囲気も仕草も凛とは違う。それに惹かれたのは嘘ではなかったと思う。

 話していてもベッドの上でも、何もかもが可愛らしく、凛とは違う女の子の感触を愛しいと思った。


「付き合ってる人がいるのは知ってます。でも、好きなの」

 

 真っ直ぐに自分の気持ちをぶつけてくるところも凛にはない。

 

 その時点で気付くべきだった。


 何かするたびに凛と比較していることを。



 凛とは社内でも職場が違うため、あまり見かけることはなくなった。否、見ることを拒絶していた。

 それでも、全く会わないということもないが、目を合わせることもない。


 凛も今村を避けていることに気付いた。


 不思議なことに凛から避けられる、というのが不愉快で堪らなかった。確かに今村から避けていたのだが、今思えば凛を嫌いになって別れたわけではなかった。


 理性では身勝手だと分かっているのに、感情はそう思えなくなっている。

 特に、別の男に笑いかけているのを見ると苛々してくる。


「……ねぇ、聞いてる? 今村君」 


「ごめん、何?」


 社食で昼食を取っていると、同じ部署の女性社員が思い切り顔を顰めた。


「なんか、情報化の佐々木さん。仕事辞めるんだって」


 今村は何の話か分からずに、首を傾げた。


「佐々木? って?」


「佐々木凛さん」


 得意満面の女性社員の顔に頭を殴られたような衝撃を受けた。


「やだ、怖い顔してどうしたの?」


「……何で辞めるのか知ってる?」


 お前のせいだ、とは言えずに無理に笑うとそう聞いた。


「さぁ、地元に帰るとか聞いたけど……。あ、紗枝だ……紗枝こっち!」


 食事中にも関わらずに、今村の彼女で仲良しの高田を大声を上げて呼ぶ女性を、殴りたい衝動に駆られた。




***


 馬鹿だ。

 途端に凛が恋しくなり、いても立ってもいられずに凛を捜し始めた。仕事中は大っぴらにはできないが、休憩時間に思い出してメールを出してみたが着信が拒否されていた。電話も拒否されている。


 急に恐ろしくなってきた。凛との繋がりが消えてこのまま会えなくなるのでは、という恐怖。


 やっと見つけたのは、会社を出てすぐだった。残業で遅くなったせいか人通りは疎らだ。今村は急いで凛の後を追った。


 自分でも何をやっているのか、どうしたいのか分からないが話がしたい。話すだけで良い。

 

 だが歩いているうちに頭が冷えてきて、歩調を緩めた。


 話してどうする?


 高田と付き合い始めて一年。彼女の素振りから結婚という物が感じられるようになってきて、どうすべきか迷っている最中だ。


 その時点でも気付けなかった。迷いがあることを疑問にも思わない。


 今村の足はすっかり止まってしまった。


 自分の身勝手で突き放して、拒絶までしておいて今更何をどうしようと言うのだろう?

 このまま別れてお互いに別の人生を歩むのが一番じゃないのだろうか?

 理性が強く訴えたときに、何かがストンと落ちてきた。


――手放したくない


 それはとても簡単な気持ちだった。


 身勝手だが、謝ろう。許して貰えるまで謝ろう。凛はきっとすぐに許してくれる。

 凛はそういう女だ。

 そういう性格につけ込むようだが、そうしないといなくなってしまう。


 今村が立ち止まっている間も凛はどんどん離れていく。


「凛――!」


 振り向いたような気がしたが、あっと言う間の出来事で訳が分からなかった。


 不自然に凛がふら付いた後、今村は彼女と話をする機会を永遠に失った。

 取り戻す機会も何かも一瞬で失った。



 あのとき名前を呼ばなければ、足元がふら付くことはなかったかもしれない。

 元を辿れば、別れなければ今でも一緒にいただろう。


 失ってから後悔する。



 よくある話だ。



*


 自嘲の笑みを浮かべた今村はただ佇んでいた。


 目を閉じれば脳裏に思い浮かぶ凛の顔は、目を開けば消えてなくなる。思い出の中の凛は、話し掛けても応えてはくれないし触れもしない。

 笑っていなくても良いから、そこにいて欲しい。


「亨くん……?」


「……紗枝」


 後ろからか細い声で名前を呼ばれて我に返り振り向くと、寂しそうな顔の高田が今村を見詰めていた。


――俺は、何をやっているんだろう


 どんなに悔やんでもも凛は帰って来ない。

 生きている人間の時は進む。前へ進まなければならない。


 何をどうやっても凛が戻ってくることはない。解決しようがない。

 処理すべき残された物は、自分の感情――抱えきれない想いだけだ。


 なら忘れてしまえば良い――罪悪感も悲しみという自己憐憫も、見たくない物、感じたくないものは全て忘れてしまえば良い。


 全てを見なかったことにして、紗枝の手を取れば良い……。


「どうしたの? 亨くん」


「……凛?」


「え?」


「凛が向こうにいる!」


 突然狂ったように大声を上げる今村の目には、道路の反対側に凛の姿がはっきりと見えた。

 誰かと一緒にいるようだが、凛に違いない。


「凛! そっちに行くから!」


「待って! 危ないよ!」


 制止する高田の手を振り払い道路を横断する今村。急いでその後を追う高田。




*


 つい最近死亡事故が起こった場所で、まさか自分も人を轢くとは思っていなかった。

 しかも、二人も。


 暫くハンドルを握ったまま震えていたドライバーは、急いで車から降りた。このまま逃げてしまおうかとも思った。動揺して混乱して冷静な判断が下せるはずもない。


 普段から用心深いこのドライバーは、事故など起こさないように注意していた。だが、向こうから突っ込んで来られたらどうしようもない。


 いや、とにかく早く救急車を呼ばなければ。自分の出していたスピードを考えれば死んではいないだろう。

 

 慌てて降りると、呆然と立ち尽くす若い女性が目に入った。

 

「け、怪我は、ないですか?」

 

 てっきりその女性を轢いたのだと思ったドライバーは声を掛けた。


「私じゃない、です」


 だが、他に人は見当たらない。


「あの、俺、人を撥ねたはずなんだけど……」


 女性も小刻みに首を縦に振っている。

 だが、二人以外に人は見当たらないのだ。


 とにかく怪我人も死人も出なくて良かった。深夜で疲れていたのだろうということでお互いに納得した。


 いつの間にかその場所に、「午後11時にその場所にいると死ぬ」とか「別世界に連れて行かれる」という地元の都市伝説が出来上がったのは余談だ。




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