プロローグ
凛は部屋で一人泣いていた。
何てことはない、高校、大学を経て付き合っていた男と別れたのだ。
正確に言うと振られたのだが。
*
彼から電話があったのは金曜の夜だった。ほぼ一月ぶりの電話だ。会社では違う部署に配属されているため、お互いの時間がすっかり合わなくなっている。
『大事な話しがあるんだ、会えない?』
「電話では話せないの?」
『直接会って話したい、悪いけど家まで来てくれる?』
いつになく真剣な声の彼に心臓が大きく鳴り始めた。
こんな真剣な声は久し振りに聞いた。職場では話せない、電話でも話せない。
――何だろう?
いつでも会えると思っているせいかお互いに会話することが少なくなっていた。
嫌な予感がしつつも凛は彼の家に向かった。
チャイムを鳴らすと彼はすぐにドアを開けた。
玄関にミュールがあるのが見えて、頭を殴られたような衝撃を受けた。
促されて部屋に入ると、ソファに座っている女性が怯えた顔をして俯いた。
「何で……?」
凛の口から疑問が漏れた。
そこにいたのは、凛と彼の同僚の高田紗枝という女性だ。
「どうしてここにいるの?」
理由は分かってしまったがそれでも、そう聞くしかない。
「私、今村さんと一月前から付き合ってるの……だから……」
高田は泣きそうな震える小さな声で話し始めた。
「はぁ……」
凛は思わず溜息を吐いた。
高田は見た目と良い、随分か弱そうな雰囲気で、凛とは逆のイメージだ。
だが、彼女がいる男と平気で付き合って、その彼女に別れろと言うような女性が繊細な神経を持ち合わせているはずなどない。
そして、彼はそんな高田を黙って見ている。彼の心はもう凛にないのだろうか。
――もう終わり
そんな言葉が脳裏を過った。
「分かった……」
「凛――」
凛の名前を呼ぶと彼は黙り込んだ。何故か、辛そうな顔をしている。
「ごめんなさい……」
高田が泣きながら謝っている。
本当に泣きたいのは凛だ。
それきり誰も何も言うことなく、凛は立ち上がると彼の部屋から出て行った。
「じゃあ、今までありがと。さよなら……」
凛は精一杯笑顔を浮かべた。
*
それからどうやって家に帰ったのか記憶は定かではないが、自分の部屋に入ると今更のように涙がこぼれてきた。
――やっぱり別れないでって言えば良かった
泣き始めると、今度は後悔が押し寄せてくる。
人の心は侭ならない物だが、それでも言うだけ言えば良かった。
高田はあの場で罪悪感を払拭して、堂々と彼と付き合うのだろう。
「何で、どうして……」
凛はとうとう泣き始めた。蹲って、声を殺して。
*
――泣くな
いつの間に寝てしまったのだろう、目が覚めると布団の中だった。
彼の優しい宥めるような声に起こされた。
ホッとして寝返りを打つと、彼が一緒に横になって凛を見つめている。
「夢だったんだ……」
凛は目を閉じて呟いた。
嫌な夢を見た。
嫌な夢はまだしっかり頭に残っている。
引き攣るような胸の痛みも残っているし、高田という子の顔も脳にこびり付いたように覚えている。
彼女の台詞も、彼の辛そうな顔も脳裏に焼き付いている。
今だに涙が止まらない。
「どこか痛むのか?」
再び優しい声が聞こえて、凛は目を閉じたまま頭を横に振った。それから「やな夢見ちゃった」と言いながら目を擦った。
「どのような夢だ?」
「ん……まぁ……ん?」
凛はそこで違和感に気が付いた。喋り方がおかしいし、声も違う。
そこで改めて、彼の顔をもう一度確認した。
「え……誰?」
彼と同じ顔で、でも髪や目の色が違う。
綺麗な青銀色の髪と赤味の強い瞳を呆けた顔で見つめた。
どうやらまだ夢の中のようだ。