それはさながら銀色友情劇
妹がいた。
僕が中学にあがる年、妹が小学校にあがる年。
歳だって離れていたし、会うことだって家族の癖に一週間に一回程度。
だから、自分が兄だという自覚も、
あの子が自分の妹だという自覚も持てないでいた。
だから、あの日、彼女が初めて僕の家にやってきた日が、兄妹としてのスタートだったのかもしれない。
好奇心がない、無気力な瞳。
病人というのは、こういうものかと納得するしかなかった。臓器移植なんて方法もあったそうだが、それは一般的ではない。
助かる命は限りがあって、そこには順番待ちが大量に発生している。お金の力やコネやらなんやら、方法はあるのかもしれないけれど、僕の両親はすでにそれを諦めていたようだった。
ただ自然のままに、娘の運命に任せると……。子供ながらに薄情とは思わなかった。実際お医者さんもよくしてくれたし、両親の介護も精力的だったと思う。
妹は楽しそうにしていた。小さな、小さな病院のベットの上という箱庭の中で。
だから、僕が彼女と出会ったのは蛇足でしかない。
あるいは、彼女の生の中で本当に価値があったのは、僕と出会ったその時以降だけなのかもしれない。
絶対的な価値観なんて存在していないし、彼女が最後、どう思って死んでいったのか、僕にはわからない。
最初に、妹と出会った日。
死の宣告が間近に迫って、小学校への進学もスグそこに待っていたあの春休み。
彼女は無垢な瞳をしていた。
自分の家にやってきたはずなのに、あたりをキョロキョロと見回し、家族のはずの僕にも慣れずに隠れる始末。
新しい環境に戸惑っていた瞳も最初だけ。
やがて、無気力だったはずの瞳に生気が宿るのを、僕は感じた。
日中仕事でいない日の多い両親に変わって、妹の面倒を見るのが僕の役目。両親もたまに仕事を休んだり、早退して、ごちそうや、おもちゃを大盤振る舞いで与えてくれた。
彼女はあらゆる物に興味を持って、病院にはなかったあらゆる物を楽しんだ。知ることに快感を覚えて、僕が教えたトランプゲームやテレビゲーム、砂場での遊び方や、ごっこ遊びを本当に楽しそうに、楽しそうに繰り返していた。
そしてそのまま……。
幸せだったと両親は言ってくれた。
最後に面倒を見てくれてありがとうと、言われた。
一番好きだった、公園での砂場遊び。
そういえば、あの時作ったのも落とし穴だったけ。
誰にハメるでもない、目的の欠如した、ただの好奇心だけの落とし穴作り。
必至に夢中になって、
ひたすら掘って、
日が暮れる頃に、
彼女は死んでいった。
◇
「死んだら……人は生き返らない。一生動くのも考えるのも身体を維持するのも、出来なくなるってことなんだよ……」
朝、目を覚ますと同時に、昨日の夜ギンに語った言葉を繰り返す。嫌な夢を見た感覚がほんの少しだけ和らいだ。
やっぱりと、溜息をつく。
どうやら僕はギンに妹と似た境遇を感じて、自己満足のために連れ出してしまったようだ。
人が本当の生を授かる、その瞬間が見たくて、妹の死の瞬間を忘れたくて……。
「馬鹿らしい」
けれど、そんなのはただの自己満足で、自分はただ悲劇によっているだけの馬鹿だと、高校二年生ほどにもなるとわかってしまう。
謝る、っていうのもなんか違うかな。
お礼を述べる、ってのが正しいかな。
なんてことを考えながら、ギンの姿を探す。たしか昨日はあのニュースの後、死ぬ、という概念をギンに教え込むのに疲れ果て、そのままぐっすり眠ってしまったはずだ。
「ぎーん?」
押入れの中……はともかく、机の引き出しの中も一応確認してみたが、彼女の姿はない。
仕方なく朝のニュースで情報でも仕入れようと、テレビの電源を入れた。
「本日早朝、昨日に続き――――市近郊の路地裏にて――――男性―――名の――――の死体が発見され。――――――その猟奇性から、――動物の犯行という可能性を捨て――――警察は同一犯と断定し――――――」
朝も早くから物騒なニュース。
人は簡単に死ぬ、とてもあっけなく。それを、それすらもギンは知らなかったのだ。
「まだまだ、色々教えてやらないとな」
独りごちて、朝食を食べるためにリビングへと降りることにした。
部屋を出ようとする最後に、
「――――現場付近には、銀色の毛髪と、動物のものとみられる鉤爪の後が見つかっており――――事件の手かがりとして、捜査が急がれます」
そんな物騒なニュースが耳を通り過ぎていった。
朝食を食べ終え、暇な休日の時間を潰すために、散歩へと出かけた。
ギンを探すという目的もあるにはあるが、あいつはほっとけばひょっこり顔を出すだろうと、楽観視していたりもする。なんせ、一般人に気づかれずに学校で自由気ままに過ごすほどに隠密能力に優れた奴だ、僕が本気になったところで、相手が本気で隠れているなら、見つけられるはずもない。
「散歩っつてもなー」
時刻はすでに夕方に差し掛かろうとしていた。
朝食を食べ、だらだらとしていると、すぐに昼飯の準備が出来てしまって、それを食べる。お腹が一杯になったせいかすぐに眠気がやってきて、ぐっすりと昼寝をとったらこの時間。
……時間が経つのはとても早い。
仕方なく、最近も縁のあった公園へと足を向ける。
「休日なのに、子供いねぇ……。まあ寂れてるけど、ああ例の殺人事件の影響か」
あまり詳しくは聞いていないが、結構近くであった事件みたいだし、小さな子供を持つ家庭としては気が気でないというのも理解できる話だ。
思い出の砂場に目を向けた。
滑り台の下、小さな面積に敷き詰められた質の悪そうな砂場の上に、誰かが置いて行ったのか、スコップが刺さっていた。
「誰も、誰もいないよな……」
ついつい子供心が刺激され、落とし穴を掘ってみるのもいいかもしれないと思ってしまう。
まず穴を掘る、近所に転がってるダンボールなんかを使って、蓋をして、その上を適度な量の砂でカモフラージュできれば完成だ。
砂場に近寄りスコップを手に取る。
「なにを、してる?」
「うわ! びっくりした」
背後から声をかけられた。
慌てて振り返ると、探していたギンの姿があった。
いつも通りの銀色の長髪、常時潤んだような色合いを見せる、黄金色の瞳。整った顔立ち、身体のラインを支えるのは僕が適当に着せたシャツやズボンではなく、最初に出会った時に着ていた幾何学模様のひらひらだった。
「ギン?」
本当にびっくりしてしまった。
それは、なんといか、ギンの瞳が最初の頃のそれに戻っていて、まるで別人のようだったから。
「おまえ、それ、その血……どうした……」
詳しく見ると、ギンの服の端には白を塗りつぶすような血のような赤色が所々見える。それだけじゃない、服の袖が破けているところもあった。
「私、勘違いしてた」
ギンは突然、口を開いて、まくし立てるように、語り始めた。
「楽しかったから、忘れようとしてた。私の命令無視してあの穴を開けたのがまずかった」
ちくり、ちくり、と不安に思っていた所が刺激される。
「人間は、『アレ』に襲われたら、死ぬんだね。動かなくなるんだね。私がいなくなったから、このあたりで『アレ』が暴れ出したみたい。もう駆除したから、安心してくれていいけど」
アレというのは、どうやら件の猟奇殺人犯のことのようだ。
「アレっていうのは、『怪物』みたいなもんなのか?」
「かいぶつ? よくわからないけど、あの穴の中にいる、凶暴な奴ら。私なら勝てるけど、人間は殺されてしまうみたい」
それは同時に、ギンが紛れもなく人間ではないという告白でもあった。
「だから、私はマスターに作られたんだってわかった。私がいないと、みんなが死んじゃうから。やっと、わかった」
今までにないほどにスラスラと、長い台詞を喋り続けるギンは本当に、別人のようだった。
彼女は何を守っているかもわからず、死という概念すら知らずに、命令を全うしていたのだ。それは本当に、ただの機械のようで……。
「だから……ごめん、私、行かないと……」
何時の間にか、滑り台の上に、羽みたいに軽い動作で飛びのったギンは振り向き様にこちらを見た。
「じゃあね、シロ」
さよならの挨拶が夕焼け空にのぼっていく。
「まて、まてよギン!」
ギンがすぐに土の中に溶けて消えて行きそうな錯覚を覚える。まだだ、まだここで行かせたくはない。せめて、せめて最後に……、
「落とし穴、落とし穴! つくろう!」
「え?」
自分でも笑ってしまうほどに、馬鹿らしい発言だった。
けれど、それがよかったのか。
「おとし、あな?」
ギンの好奇心は再び動き出してしまった。
それはなんだろう、その言葉の意味は、作ろうって言ってたけど、一体どんなものを、それはきっと、とても、とても楽しんじゃないのかと、回りだした好奇心はもっと、もっとと求め続ける。
「すぐに出来上がるからさ!」
早速作業にとりかかる。
そうすると、なんだかさっきまで金縛りにでもあったかのように雁字搦めにされた身体が軽くなった。
「わ、わかった……」
なし崩し的に、付き合うことにしたらしいギンもこちらに寄ってくる。
「そうだ、おまえ、完成したら落ちろよ、それで帰れよあそこに」
「なにそれ? 落ちるものなの? たしかに、どこからでも帰ろうと思えば、えれべーたーに乗って帰れるけど」
「それじゃあ、うんとでっかい穴を掘らないとな、記念だ記念」
「掘るの? その道具で?」
「そうそう、おっ、あそこの良い感じのダンボールあるじゃん、あれ使おう」
「ダンボール、どうやって使うの?」
「へっへ、見てろって、子供の頃はこれでも結構ならしたもんなんだからな」
夕焼け空が染まるまで、
家に帰る時間まで、
精一杯に、
遊んで、遊んで、
そしたら、さよなら。
出来上がったダンボールにズボッとダサい音をたてて、片足を突っ込んだギンの姿は傑作だった。
「シロ、さようなら……」
なんて感動の雰囲気も台無しなほどに、夕焼けの明かりを一変に浴びて、綺麗に反射する銀色の少女の美しさに胸をドキドキさせる暇もないほどに。
だから、おかげで僕らは笑ってられる。
昔どこかの誰かの手によって、人間を素体に生を受け、世界のどこかの落とし穴で、その底の小さな横穴に潜む何かから、僕ら人間を守るために、体育座りをし続ける。
今日もどこかで彼女は僕らの下にいる。
変わらない友情を、
消えない、錆びない、銀色の友情を、思い出を与えてくれた。
そんな、彼女にありがとう、そう呟くのが僕の日課に、なった日だった。
残すはエピローグのみでございます。