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それはさながら新世界

 無知であることは罪ではない。

 しかし、学習した後も学ぼうとしないとは愚直である。

 その愚直さが愛おしいと思うやからもいるのだろうが。


 朧げな意識の中で思い出すのはあの日の記憶。

 久々に会った、一人の家族。

 忘れそうになる、もう一人の存在。


 無垢な瞳。

 何も知らない瞳。

 何かを知って輝きだした彼女の瞳。


 だから、そうだ、あの日あの時、

 僕らは確かに旅に出たのだ。


 それはさながら新世界への。

 


  ◇



「夢とか……ベタなことしてんな」

 起床と共に悪態をつく。

 ズキズキと後頭部が自己主張することもなければ、目を開くと同時に、驚きのリアクションをとることもない、平穏な目覚め。

 時刻は午後7時半、高校に十分に間に合う時間だった。

「あの日、あの時から、もう一日たったのか……」

 あの日、あの時、エレベーターとやらは、不思議時空を構築し、到着を告げる、万国共通だったらしい古めかしいチャイムの音色と共に、地上での最後の記憶が残る公園の広場への僕たちを投げ出した。

 時間がたつのはとても早い。

 そして、時間の経過を僕が失っていた常識を再構成し、非常識の概念を薄れさせていく。

「今日も今日とて、学校に行くのが学生の仕事だからなぁ」

 かるく欠伸をひとつ。

 膝をクッションに華麗ベットから飛び出した。


「学校に行きます」

 とどこにでもある一軒家から飛び出した僕が開口一番呟いたのは、なにも自分が寂しがり屋なわけでも、物語の語り部だと勘違いしているわけでもない。

 落とし穴へと落下した次の日、心配する親を振り切り、学校に行くことにした。どうも、むこうとあの不思議空間での時間の進みは同じだったらしく、こちらに戻ってきたのはちょうど正午あたり、僕は体調不良で早退してきたということにしている。

 実際、あの穴に落ちて、頭をうっていたりしたら大事なんだけど……。まあ大丈夫だろう、たぶん。

「がっこう?」

 ギン~と僕がつけた彼女の名前を呼ぶと、どこからやってくるのか、正義のヒーロー並の神出鬼没さで、銀色の少女は現れた。

「どこにいたのさ」

「シロに言われたから、隠れてた。ここは珍しいものばかりだから、飽きなかったけど」

「具体的にはどのあたりにいたわけ?」

「あそこ」

 指で示された先にあったのは、我が家の瓦屋根。屋上に体育座りで座って、ぼーっと景色を眺め続けるギンの姿が容易に想像できてしまった。

 人を超えた何かは、人以下の生活も苦にしないというわけか……。

「なにもそんな生活しなくてもさ、今度からは……仕方ないから、仕方ないから、僕の部屋で寝ても」

 うん仕方がない。それ以外に方法がないのだから。

 と、自分を納得させてみたり。

「わかった。あれでしょ? 机の引き出しの中とか……押入れの中とか……」

「なんでそんなこと知ってんだよ!」

「むかし、会った人が私に教えてくれた」

 ああ、ロボットだものな、アレも。

 ギンがロボットと呼べるのかどうかはわからないけど、昔僕と同じように、穴に落ちた人の誰かが、ロボットという概念を教えるために、あれやこれやを話して聞かせたのかもしれない。

「まあ楽しそうにしてくれて、よかったけど」

 何時ぞやの無垢な瞳とは違う、輝き出した生気を帯びた瞳。

 半ば無理矢理に連れてきた僕としては、ギンが嫌々付き合ったりなんかしてないかと、やきもきしたりもしたが、どうやらそれはいらぬ心配だったらしい。

 それにしても、我ながらよくあんな大胆なことをしたものだ。

「学校って、どんなところ?」

 あたりをキョロキョロと見回しながら、僕の背後を付いてくる銀色の少女。

 幾何学模様のマントや服を一応着替えさせ、不自然じゃないように精一杯コーディネイトした僕のおさがりのTシャツと短パンを羽織ってる姿はそれなりに一般人っぽい。

 でも、

「きゃー! あの子、可愛い……外人さんかな」

「綺麗な銀色の髪だね……」

 目立つことは変わらない。

 それは僕のお下がりでほんの少しだぼついた服装をしてるからとか、いわゆるノーブラ状態(仕方ないのでさらしをつけさせている)だからだとか、そんな理由ではない。 

 単純に、彼女の容姿が日本人離れしているからだ。

 やはり、隠れろと、命令して忍者のような謎の移動方法で付いて来てもらうのが、いいのかもしれない。

「それにしても、ここはみんな同じ色」

「……ん?」

「シロも、白じゃないし……」

「ああ、髪の色のことな」

 街路を行き交う、通学や通勤中の人々が、ギンにはどういう風に写っているのだろう。

 案外、みんな黒色と認識しているだけだったり、しないよな……。

「みんな似てるけど、私は違う。あと、シロも。シロは白色だから、わかりやすい」

 よくわからない感想を呟きながら、ギンがふっと頬を緩めて……。

 笑った。

「笑った!?」

「急に、な、なに……?」

 思わず、肩をつかみ、ギンの顔をまじまじと眺めてしまう。

「いや、笑ったよな、さっき」

「……そう? 笑う? ああ、そうか。それはだって、楽しければ笑う」

 それが驚きだった。

 楽しいだなんて、少なくともあの狭い穴蔵で体育座りをしていた少女が感じるはずもない気持ちのはずだから。



「……なんだかなぁ」

 非日常な出来事。

 世界のどこかにある不思議空間への転落。あれはなんなのだろうと考える。

「で、あるからしてだ。ちょっと話は脱線するが、物理とか数学というのはな、とてもロマンがあるんだぞ。ほら、お前らの習った複素数だって、よくSFなんかで虚数世界なんて言葉で使われてるだろ?」

 異世界というのが本当にあるのなら、僕が落ちたあれは、それと似たようなものなのかもしれない。僕らの住む世界に隠れる、不思議な不思議な落とし穴。

 考えを一旦止め、物理学の宮里教師のロマン溢れる雑談を右から左へ聞き流し、窓の外を見る。

 学校から見る景色は代わり映えのしないものだった。どこにでもある、地方都市、にょろにょろとねずみのように張り巡らされた交通網。その網の中を、アリのように律儀に行き交う人々の姿。

 僕はこれを楽しむほどの余裕はない。

「だからして、君らの習った理論も、もしかすると異世界論なんかに結びつくかもしれんのだぞ? 虚数を実世界に反映させて考えることによってだな……。と、いかんいかん、授業も進めんとだな」

 教師が歯切れのよい声で、授業を続ける。宮里先生の話は嫌いじゃない、が、話が長過ぎて飽きてくるというのはある。

 それを生気の抜けた表情でだらだらと、眺め続ける僕たち生徒。

「ふんふふん~♪ ふうん~♪」

 窓の外に視線を移せば、大樹の枝に乗り、学校の風景や、街の様子を飽きもせず眺めている奴が一人。適当に隠れていろ、と言えば、某スパイや蛇の人もびっくりなぐらいのステルス能力を発揮するギンにとっては、これぐらい朝飯前なんだろう。

 鼻歌混じりに、目を輝かせ続けるその横顔はとても人間味の溢れる、魅力的なものだった。

 それがなんだか、嬉しくもあり、

 そしてなんだか、悲しくもあった。


「よう、学校、面白いか?」

「面白い! 面白い! せんせい? という人間の話も興味深いし、ここからの景色は見てて飽きない。シロの家の屋根からよりも」

 休み時間、屋上へとあがると給水塔のへりに座って、ギンが足をぶらぶらと揺らしていた。

 バカとなんとかは高い所が好きなんて言葉はあるが、ギンはどうやら高い所が好きなようだ。きっと単純に高い所からの方が街の景色がよく見えるのだろう。

「っていうか、ギンは目も耳もいいんだな。あんな場所から先生の話し聞こえるなんて」

「私はその必要があったから、そういう風にできている」

 ついでに身体能力もバカ高いときている。

 木登り自慢の小学生だって、校舎三階に位置するうちの教室まで届くあの楠の木を登るなんて無理ってもんだろう。

「飯は……いらないんだよな?」

「必要、ない」

 こんな所でも、彼女が人間ではないと認識させられる。適当な常識を、一晩かけて教え込んでみたが、こういった人間との構造的違いだけは埋められない。

 仕方なく一人で、購買で買った惣菜パンの袋を開けて口をつける。

「この世界は、すごいね。人がこんなにたくさん」

「お前の知ってる世界ってのは、人がこんなにいないのか?」

「私は、あの場所しか知らないから」

 それは、何も知らないと主張していることに他ならない。あんな狭い世界に閉じこもっていて、何かを知って、何かを感じて、新鮮な気持ちで心を満たすことができるとは思えない。

「お前は、誰かに作られたのか?」

「よくは……覚えていない。ただマスターに相当する人がいて、私に命令が下された。もうずっと前だけど」

「ふーん、そんなに前なら、お前への命令ってのに意味があるかはわからないな」

 そのずっと前が何時の話をさしているのかはわからないが、もしかすると遥か昔……そう例えば超巨大文明が存在していて、それが崩壊する前にギンが作られたとか。

 ……なんとも、眉唾ものの話だった。

 給水塔に登り、ふっとギンの横顔を見る。

「……私はここにいて、いい?」

 その瞳は、戸惑っている。

 ドキドキと高鳴る刺激に喜び、新しいことを知りたいやりたいと思ってはいても、その経験がないから一歩を踏み出せない。

 幼子のような、無垢な感情。

「いいんだよ。楽しんだろ? その権利が、お前にはきっとあるはずだ」

 それは誰に向けての話だったのか、僕の言葉は思っていたよりもとてもとても、宙に浮いていくように実体のない、ふわふわとした虚像だった。



「……つん、つん」

「いや、部屋に入っていいとは言ったが」

 時刻は夜。

 もう深夜の0時を回ろうかという時間帯。僕は自分の部屋に引き篭って、ゲームをしていた。

「つん、つん」

「突っつくなよ。いまいいところなんだから」

 突っつかれているのは、僕の脇腹。

 ここを突付くと人間は、ふにゃん、はにゃん、と変な叫び声をあげてのた打ち回る、というどうでもいい情報学習してしまったギンによって実行されていた。

「まあゲーム機突っつかれるよりマシだけど」

 数時間前、僕の部屋に入ってきたギンは、部屋にあるあらゆるモノを物珍しげに触っていた。

 彼女の好奇心に負けて、それを許可した僕だったが、さすがにこのままでは大事なプラモや何時貰ったかも覚えていないプロ野球選手のサインボールなんかが取り返しがつかなくなると思い、物品へのタッチを制限した。

 結果、

「シロは触っても、セーフ?」

「いや、たしかに触っちゃいかんとは言うとらんが」

 どこで覚えてきたのか、屁理屈で返されてしまった。

 仕方なく物語も架橋に入りだしたRPGをセーブして途中で投げ出す。振り返り、ベットの上から僕の髪の毛で遊んでいたギンを睨みつけた。

「なに? そんなに見て」

「いや、いいよもう」

 そんな僕を見て、ギンはきょとんと疑問を返すだけ。

 怒りを目で訴えかけるなんて高等な手段は通用しないようだった。吊り橋効果……を落とし穴に落ちた時に感じたりもしたが、今この状況もそれと似た感情なのかもしれない。

 無垢な銀色の少女が、無理矢理に連れだされる。

 けれど彼女は、一人では生きていけない、新しい世界は知らないことばかりだから。だから、だから、僕に頼るしかない。

「シロ、あれ……」

「ああ……」

 無意識に、見つめていたのか、ギンが僕の視界の先にある写真に反応を示した。

「隣の部屋にもあった、あれ。もっと大きいのが」

「ああ、あっちの部屋はあいつの部屋だからなぁ」

 疑問を意味する首の角度で、瞳を潤ませのぞきこまれる。適当に着替えさせた僕のワイシャツ(しかもノーブラ)。あまり意識しないようにしていたが、そりゃ反則というものだ。

「妹……だったんだよ。もう死んだけど」

「妹?」

「ええーっと、家族だよ、家族。ずっと一緒にいる人たち。同じ場所で寝起きする人たち」

 つい、ここ最近覚えるデジャブから記憶を思い出してしまう。

「妹だよ。生まれつき、身体が弱くてさ……。長くは生きられないだろうって、両親も俺もあきらめてた。だから、それほど悲しくはなかったんだ。たださ、最後に一度退院して一緒に暮らしてた時期があったんだ」

 訊かれてもいないのに語り出してしまう。

 小学校にあがる前に、僕の前から消えてしまったもう一人の家族の話を。

「その時、一緒に遊んだり、色々教えたり、してさ。そんで、そんで、無理して遊びに出て、そのまま……ばったり死んじゃったんだよ。まあ退院だって、もう長くないからって理由だったし、仕方ないんだろうけどさ」

 それは誰かに似ていた。

 純粋無垢な瞳。

 何も知らない箱庭での生活。

 そこから出た時、彼女は初めて生を受けたのかもしれない。

「……」

 ギンはしばらく黙っていた。

 つい語りすぎてしまったと、照れ隠しにテレビのチャンネルをゲームから民法のものへと変える。そして、流れ始めた物騒なニュース。

「今日未明、――市自然公園にて――男性――――の死体が発見され。――――――警察は、殺人事件と断定し――――――近隣住民への注意を呼びかけています」

 それに反応を示したのは、ギンだった。


「シロ、死ぬってなに?」

 ありえない常識。

 がらがらと、なにか大切な前提が崩れていく感覚。

 無垢な少女は、首を傾け、疑問の揺れを瞳に宿すばかりだった。

ラストスパート。

もう少しでございます。


ラスト一回の更新にて完結です。

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