それはさながら世界の落とし穴
それは銀色の友情だった。
鏡のような色。
透き通るような白い輝き。
冷たい金属の無機質感。
触れれば斬り伏せる刃の風格。
何事にも染められない、銀色の意思。
それが、僕と彼女の関係。
それが、僕と彼女の出会いだった。
◇
それはさながら、世界の落とし穴。
世の中には、落とし穴というものがある。
例えば公園の砂場とか、校庭の端っことか、誰だって一度は二度ハマったり、ハメさせようと望んだことがあると思う。
あれの何が怖いって、突然やって来るところだ。こちらの都合なんて構いやしない。
ある日普通に学校に向かって歩き出し、朝礼に遅れてしまいそうだと通った公園の中にたまたま昨日小学生が作った落とし穴があったなんてことがあれば、遅刻は免れないだろう。
ある意味、僕は今そんな感じだった。
今日何度目かになる状況確認。
腕時計で確認するに、時刻は午前10時頃、一時間目には間に合いそうにない。
あたりを見回し、景色を確かめる。断崖絶壁の岩場がずっと、遥か上まで続いている閉鎖的な空間。もはや小学生の放課後の遊びですまされるレベルではない。
僕がこの上から落ちてきた、と仮定する。すると、僕の身体が粉々のぐちょぐちょになっておらず、五体満足なままですんでいるというのは、物理学に反しているように思う。
それでもさすがに救いはあったのか、僕は無傷だったし、脱出手段の手がかりもある。
断崖絶壁の深すぎる落とし穴。
目の前、僕がジト目で見つめる先。
「……なに?」
銀色の少女が座るその後ろに、人一人がなんとか通れる横穴がある。
僕が落とし穴に落ちた……いや、本当に落ちてきたかは定かではないが、断崖絶壁の岩々しい空間に閉じこまれてきてから、ずっと座っていた少女。
彼女は、幾何学模様の眩しいヒラヒラとした服とマントを羽織り、体育座りで虚空を見つめている。
「君は誰?」
「私は私、あなたこそ、誰?」
この通り、会話そのものが成立しない。
この異常事態の中で、唯一ともいえる手がかりがこれとは……、一体全体どうやって脱出しろというのだ。
仕方なく、何度目かになる状況確認。
朝、朝食はトーストとオムレツ、オムレツの中にはチーズにソーセージと、母さんにしては珍しく手がこんでいた。食後のコーヒーまで差し出され、母さん今日は気前がいいね。なんて、言葉を交わす。
美味しい朝食を楽しみすぎて、少し遅れて登校のために家を出る。走れば間にあうだろうと、久々のショートカット。公園の真ん中を突っ切り、上山さん宅の脇道から表通りに出ようと、公園を突っ切っていた最中、
落ちた。
ような気がする。
ズキズキと自己主張する頭痛に起こされ、あたりを見回すと、いつの間にか来たこともないような変な空間に迷い込んでいた。
さらに、謎の少女のおまけ付き。
「よし、わけがわからないぞ」
唯一、わけがわからない状況に自分がいるということだけを確認できた。
仕方なく、少女のようにひんやりとした地面へと腰掛け、断崖絶壁に背をもたれさせる。
「ねぇ、その後ろの穴って地上につながってたりする?」
「……えっと、あの?」
なんとなく話しかけてみると、少女は固まってしまった。しばし、眉間にシワをよせ、銀色の長い髪の少女は怪訝な表情を浮かべていた。
「これは、ダメ」
手を後ろに回し、必至に入り口を塞ぐようなジェスチャーをする少女につい吹き出してしまう。
「ぶっ、君、思ったよりも面白いね」
「面白い?」
突然出会った、珍妙極まりない少女に対して、どうやら僕はなんともいえない親近感を抱いてしまっているようだ。いわゆる……吊り橋効果ってやつかもしれない。
「なら、ここからどうやって出るの?」
「ああ、それなら簡単。えれべーたぁー? というのがあるから」
「そ、それ、最初に言ってよ」
いきなり出てきた、状況を一変させる言葉。
脱出方法はとても簡単に公開されてしまった。
「なんだー、安心したー」
ぐったりと身体を伸ばして、リラックスする。一気に緊張がほぐれ、焦りや恐怖が取り除かれる。と、同時に帰れるならばと安心した僕は、この不思議空間と不思議少女に興味を持ち始めていた。
「……?」
逆に彼女からすると、僕の方が珍しいのか、大きな黄金色の瞳を揺らしながら銀色の少女は首を傾ける。年は高校二年の僕より、少し下ぐらい。
目鼻立ちはとても整っていた、小振りな顔のラインはどことなく保護欲をそそる。
「君はだれ?」
「あなたこそなに?」
意思疎通が可能かと思えば、こんな簡単な質問にも答えてもらえないとはどういうことだろう。
「なんだか、私と違う。マスターとも……」
そっと手が伸ばされ、頬に触れられる。手は頭から身体のラインに沿って、下がっていく。
「な、なにすんのさ……」
「だって、珍しいから」
きょとんと不思議そうに、首を傾けられる。
純粋無垢を絵に書いたような、黄金色の瞳を見ていると、なんだか女の子に触られ照れている自分が、馬鹿馬鹿しくなってきた。彼女はただ純粋に僕のことが不思議なだけなんだろう。
「僕みたいなのって、初めて?」
「初めてではない……。たまに、落ちてくる人はいる」
驚きだ、僕みたいな被害者が他にもいたなんて……。
どうやらこの落とし穴? に落ちるというのは、日常生活の中で誰しもが隣接している危険の一端に過ぎないようだ。
「でも、違う。なんだか私と、身体からして、違う」
「……もしかして、今まで落ちてきた人って……、そのなんていうか、僕より柔らかそうだったり、胸のあたりに膨らみがあったりしたか?」
「そう、私と似ていた」
男を見るのが初めてということか……。
って、そりゃいくらなんでもあんまりだ。現代社会でそんな生活を送ってる奴なんているはずがない。
というか、そもそも、彼女は、
「ずっとここにいたの?」
「? そう、それが私が生まれた理由だから」
人間なのだろうか。
「ご飯は?」
「……?」
「えーっと、普段何してる?」
「……特に何も?」
疑問符ばかりの会話が交わされる。
僕にとっては訊くまでもないような質問も、彼女にとっては意味のわからない言葉の羅列に変わってしまうようだ。
「君は人間?」
「……」
彼女はそっと口を閉ざすと、すこし考えるような素振をしてから、再び言葉を返した。
「違うと、教わった。素体はそうだけど、私の役目を全うするには人間の身体は脆すぎるからと、マスターによって調整されているから」
「えーっとそれは、ロボットだとかそういう」
「ろぼっと?」
「あーいいや、わかんない言葉には答えられないよね」
彼女の言わんとしている意味はわかりはするけれど、それを上手く言葉にできる自信がなかった。なにより僕の常識と、彼女の常識には大きな隔たりがあるようだ。
「って、なんだか驚きもしないけど、えっと君は人間ではないと」
「そう、認識してる」
人ではない。
じゃあ、目の前の小振りな整った顔立ちの少女はなんだというのか。僕は彼女を表現する言葉を持ちあわせてはいそうもない。
「案外、驚かないもんなんだな」
朝からの異常事態の連続に、僕の方が慣れてしまったせいか。銀色の少女の告白には、驚きはしなかった。
「それじゃあ、案内する」
「案内してくれるんだ……。エレベーター?」
「基本的にそうするようにマニュアルされているから」
彼女は立ち上がると、慣れた様子でたんたんと僕を案内するために歩き出した。
「って、どこ行くのさ……」
「どこって、えれべーたーとか言うんでしょ、あれ?」
景色の変わらない断崖絶壁をぐるぐると旋回するように、進んでいくことしばらく、さすがに口を挟まずにはいられない。
「いやいや、そのエレベーターとかいうのに向かってるようにはとても見えないんだけど」
「そう? もうすぐなんだけど」
銀色の長髪が垂れ下がった後ろ姿を見ながら、彼女の後ろを着いて行く。一周も短くはない、穴の全周もそろそろ5週目に差し掛かったところだろうか。
これ以上口を挟んでもややこしくなるだけな気がしたので、大人しく着いて行く。
「……着いた」
「着いたってどこに……」
と文句を言ってやろうとした瞬間。
景色が変わる。ただの断崖絶壁だったはずの空間から、僕はいつの間にか狭い箱の中に押し込められていた。金属質な空間。現代的なエレベーターとは少し違うがまさに金属の箱というデザインだが、どことなく、そういう用途として使われている姿は想像できる。
「いつの間に……って、あんな穴に落ちてきたぐらいなんだから、今更驚くでもないか」
夢のような出来事の連続は、驚きのリアクションという、芸人として仕事をやっていくのに必須っぽいスキルを、僕から抜け落とさせてしまったようだ。
「これがエレベーター?」
「そう、これに乗ってれば、あなたのいた場所に戻れると思う」
じっと無垢な瞳が向けられていた。
「じゃあ、私は……」
別れの挨拶を述べようとする彼女の姿が、昔見た誰かとかぶる。
「……名前、名前なんていうの?」
「……名前? 私は私、他称されることはないから、別に困らない」
どうやら、彼女は名前すらないらしい。
どうりで、今まで君は誰? なんてベタな質問すらまともに答えてくれなかったはずだ。いや……そもそも、彼女は答えられやしなかっただけなんだろう。
「俺はさ、シロウっていうの」
「シロ……? それならわかる。この色」
「いや、シロじゃないんだけど……」
無表情で自分の服にある幾何学模様の白色を差しながら、彼女が答えた。呆れつつも、まあいいやと思いながら、ため息をもらす。
「まあいいや、シロで。その方が分かりやすそうだしさ」
「じゃあ、シロ。さようなら」
少女は再び後ろを向く、この箱から出るために……。
それがどうしても気になってしまった。
「この後どうするんだ?」
「何もしない。また座っているだけ」
最初に見た、体育座りで虚空を見つめる無機質な少女の姿を思い出す。
「それじゃあ、ボタン押しておくから、そのまま乗っていればつくはず」
壁に設置された二つのボタンのうち、上の方が押し込まれる。
その姿を確認してから、銀色の髪を揺らして立ち去ろうとする少女の腕をつかみ、引き止めた。
「な、なに……?」
心底不思議そうに、こちらを見つめられる。
最初、話しかけてきた僕を見た時の瞳。何色にも染められていない、純粋無垢な何も知らない瞳。
「そうだな、ギンっていうのはどう。ほら、その髪の色、銀色だし」
「なにが?」
「君の名前」
ガコンと音をたてて、エレベーターが動き出す。
「上、あがっちゃう」
「ついでに、見ていかない、俺の世界ってのも。あんな穴の中にいたら窮屈だろ?」
「な、なんで?」
焦っているのか、無垢だった黄金色の瞳に、疑問の色が浮かび上がる。
そりゃそうだ。突然現れた適当な闖入者が、いきなり自分を拉致しようとしてるんだから。これ、相手が普通の女の子だったら、犯罪ものだな、おい。
「いやー、なんだろ。ひとつだけ言えるのは……」
心の残りがある。
このまま別れて、彼女を一人だけ置いていくことは僕にはできそうもない。あの純粋無垢な瞳が、昔見たあいつの瞳にそっくりだったから、だから、彼女もあいつと一緒なんだろうと思えてしまう。
「楽しいよ、絶対に」
そう断言する。
相変わらずギンは怪訝な視線を向けるばかり、そんな表情もあの空間では見れなかった貴重なもので、もしかするとそんな感情を抱いたことさえ、彼女にとっては初めてなんじゃないかとすら思える。
「だからさ、ギン。名付け親のわがままだと思って、ちょっとだけ付き合えよ。闖入者の送迎だと思ってさ」
地上が近づいてくる感覚。
エレベーターはどんな風に開くんだろう、突然僕のいた公園の広場で開閉したりするんだろうか。けれど、きっと、目の前で困惑し、疑問で首を傾げる彼女も、地上の光景を見れば、目を輝かせてくれるはずだ。
だって、彼女はまだ知らない。
知らない世界があるということを知らない。
だから、きっと、
その日、僕は彼女と、世界を飛び出した。
だいたい小説を書き終えると、心地良い満足感とともに、誤字脱字やら致命的なミスやらやら、構造欠陥が気になったりします。
でも〆切りが
でもクオリティが……
というのは永遠のテーマなのでしょう。
というわけで、本日一日はできるだけ葛藤していきます、微修正もあるかと思いますが、お許しを……