第37話:『決着』。
「……あ、あ……あ、……ぁぁああああ!!」
聖剣が砕け、プライドが粉砕され、僕――カイルの世界は音を立てて崩壊していた。 目の前には、退屈そうに拳を握る赤い髪の少女。
背後には、僕を汚物のように見つめる、かつての「所有物」たち。
そして、冷徹に事態を計算している、あの宿屋のモブ女。
(……認めない。認めないぞ!! 僕が負けるはずがない! 僕は勇者だ! 世界に選ばれた、特別な存在なんだ!!)
僕は、震える手で懐から黒く濁った魔力結晶を取り出した。
王都の禁忌庫から、万が一の時のために「借りて」おいた、禁じられた魔道具――【命脈の簒奪者】。
「……ははっ、……あははは!! そうだ、まだこれがある! ……イリス! セリス! フレイア! シルフ! ……君たちの命を、僕に捧げろ!! 君たちの愛は、本物なんだろ!? だったら、僕のために死ぬことくらい、光栄に思えよ!!」
僕は結晶を掲げ、強制的な【経験値・スキル掠奪】を最大出力で発動させた。
ガクン、と。
倒れていたヒロインたちの体が、糸の切れた人形のように跳ねた。
彼女たちの生命力、魔力、魂の欠片までもが、黒い光となって僕の体に吸い込まれていく。
「……あ、……カイル……様……。……熱い……、……痛い……です……」
「……やめ……て……、……カイル……っ……」
聖女イリスの絶望に満ちた呻き。だが、今の僕にはそんなものは届かない。
膨大な魔力が僕の体内を駆け巡り、失われた『事象改変』の権能が、歪んだ形で再構築されていく。
「……見たか! これが僕の、真の力だ!! ……【終焉の宣告】!! 跪け! 全てを無に帰してやる!!」
僕を中心に、黒い衝撃波が広場を飲み込もうとした、その時。
「……ねぇ。……しつこ~い♡ ……あんた、自分がまだ『主役』だとでも思ってるの? ……おめでた~い♡」
少女が、僕の頭を、ゴミを蹴飛ばすような足取りで踏みつけた。
黒い衝撃波も。禁じられた魔導具も。すべて彼女を避けていく。
神が決めた法律も、神から与えられた力も、目の前の『何か』には通用しない。
「……あんたはね、……もう、誰の記憶にも残らないの。……勇者? ……聖剣? ……そんなおままごとは、今日でおしまい。……これからは、自分がただの『役立たずのクズ』だって、毎日思い出して生きていきなさい。……よっわい、ざぁ〜こ♡」
少女の瞳に、真の「絶望」を刻む魔光が宿る。
その直後。
街の自警団と、ギルドの関係者たちが、シエルの通報を受けて広場に雪崩れ込んできた。
「……ギルド長。……こちらが、禁忌魔道具を使用して市民を危険に晒し、かつ、当宿の従業員に不当な暴力を振るった加害者、カイル氏です。……全ての証拠は、こちらの記録魔石に保存済みです。……法に則り、厳正な処罰を要請します」
シエルが、事務的に書類を差し出す。
「……ゆ、勇者カイル……。……なんという見窄らしい姿だ……。……魔道具の不正使用、および仲間への傷害罪。……貴様の勇者称号を剥奪し、王都の地下牢へ連行する!」
ギルド長の声が響く中、僕は自警団によって、犬のように引き摺られていった。
遠ざかる意識の中で、僕が最後に見たのは。
「……シエル〜、こわかったよぉ〜♡」と、泣き真似をしながらモブ女に抱きつく少女。
それを「……どの口が言ってるいるのですか。ですが、期待以上の働きでしたよ」と、事務的に、けれどどこか優しくなでなでする姿。
そして。
アルテミスとルナが、僕のことなど一瞬で忘れ去り、モブ女の両脇を幸せそうに固めて歩き出す後ろ姿だった。
◆
王都の地下深く。
光すら届かない不潔な独房の隅で、カイルはガタガタと震えていた。
かつて彼を包んでいた聖なる輝きは失われ、贅沢な装備は剥ぎ取られ、残されたのはボロ布のような囚人服だけ。
「……ありえない、……こんなの、何かの間違いだ……。僕は勇者なんだぞ。……神に選ばれた、特別な……」
乾いた唇で繰り返される言葉は、もはや誰の耳にも届かない。
隣の独房では、魔力を吸い尽くされた聖女イリスが、虚ろな目で壁を見つめたまま、ぶつぶつと「……カイル様、……殺して……、……愛して……」と壊れた機械のように呟き続けている。
彼らがこの場所から出ることは二度とない。
シエルがギルドに提出した「記録」と「被害報告書」は完璧だった。勇者がいかに仲間を使い潰し、禁忌を犯し、世界を危険に晒したか。その冷徹なロジックの前では、王家ですら彼を庇うことはできなかった。
何より残酷だったのは。
あの日、街の人々が目撃したのは「魔王を倒す英雄」ではなく、「少女一人に泣かされ、女の足を引っ張り、無様に失禁するクズ」の姿だったことだ。
カイルという物語は、完結したのではない。
誰にも語られる価値のない「汚点」として、歴史から消去されたのだ。
◆
―― 一方、その頃。
夕焼けに染まる街道を、宿『木漏れ日』の一行が歩いていた。
「……ふぅ。……予定外の業務が発生しましたが。……概ね、本日の目的は達成されました。……アルテミス、ルナ。……素晴らしい羽毛の確保、ありがとうございました」
私が、馬車に積み込まれた最高級の羽毛布団を眺めながら、事務的に礼を言う。
「……いや、私たちの方こそ。……あの男……カイルとの過去を、これほど綺麗に清算できるとは思っていなかった」
アルテミスが、夕日に目を細めて微笑む。その横顔には、かつての「騎士」としての義務感ではなく、一人の女性としての穏やかな充足感が漂っていた。
「……うん、私も! ……なんだか、心がすごく軽くなった気がする。……今の私なら、前よりもっとすごい魔法が使える気がする。……もちろん、宿の皆を守るためにね!」
ルナが私の腕に抱きつく。
そして。
その二人の背後を、一際機嫌良さそうに歩いているのが、エルゼだった。
彼女は、先ほどまでの「超越種」としての圧倒的な威圧感を完全に消し去り、今はただの、どこか浮足立った少女の顔をしていた。
「……ねぇ。……忘れてないわよね?♡ ……シエル。あたし、あんな泥人形♡ を片付けてあげたんだから。……約束の『特別コンディショニング』。……最高に、……丁寧に、……やってくれないと、承知しないんだからね!♡」
エルゼが、私の背中をツンツンと突きながら、期待に満ちた目で覗き込む。
「……承知しています、エルゼ様。……宿に戻り次第、個室を用意します。……古龍の鱗の活性化、および魔力経路の物理的マッサージ。……私の全機能を投入して、……『完膚なきまで』癒やして差し上げましょう」
「……っ……、かんぷなきまで……っ。……大口叩いちゃって……。……いいわよ、そこまで言うなら、……あたしの全部、……預けてあげるわ……っ♡」
エルゼが顔を真っ赤にして、悶えながら自身の体を抱きしめる。
その様子を、宿で待っていたミアが、門の前で仁王立ちして迎えた。
「……ぬぅ……っ! シエル! 遅いのじゃ! ……いや、そんなことより! あの赤毛が、何やら不穏な『ご褒美』を要求しておるのが聞こえたのじゃが!?」
「……ミア様。……エルゼさんは本日、多大な貢献をされました。……よって、報酬の支払いは義務です」
「……認めん! 認めんぞ! ……妾だって、……妾だって留守番という重責を全うしたのじゃ! ……シエル、妾にも……その、……『特別なんちゃら』を、……今すぐ施すのじゃ!!」
ミアが私の反対側の袖を掴んで叫ぶ。
「……あ。ミア、ずるい。……私も、今日は盾を酷使した。……肩が少し、……凝っているかもしれない」
「……私も! 魔法の制御で、……頭が、……熱くなっちゃって……。……シエル、冷やして……?」
アルテミスとルナまでが、便乗するようにシエルに詰め寄る。
(……ふむ。……宿のオープン前夜にして、従業員の疲労度が閾値を超えていますね。……これは、経営者として一括での『集中メンテナンス』が必要なようです)
私は、眼鏡をクイと押し上げた。
「……分かりました。……今夜は、プレオープン前夜祭です。……夕食後、皆様全員に、……私の『全力』を以て、……心身ともに解きほぐされる体験を提供いたしましょう。……順番は、……エルゼさんからですが、よろしいですね?」
「「「「……っ!!」」」」
四人の乙女たちが、一斉に顔を赤らめ、静まり返った。
彼女たちは、私の言う「メンテナンス」が、ただのマッサージや魔法的な調整であることは分かっている。
だが、彼女その無機質な、それでいて完璧に「自分たちだけ」を見てくれる指先がもたらす快楽と安らぎは、どんな魔法よりも彼女たちを虜にしていた。
宿『木漏れ日』には、騒がしくも、本物の温かさが満ち溢れていた。
翌朝。
「……おはようございます。……宿『木漏れ日』へ、ようこそ。……本日も、……完璧なサービスを提供させていただきます」
私の事務的な、けれど確かな温もりを含んだ声が。
新しい世界の幕開けを告げる鐘の音のように、清々しく響き渡った。




