表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/59

第34話:『寝具』を調達します。

宿『木漏れ日』を後にした私たちは、初夏の爽やかな風に吹かれながら、街へと続く街道を歩いていた。


私の左右には、重厚な鎧を脱ぎ、動きやすい旅装に身を包んだアルテミスと、魔法使いのローブの裾を軽やかに揺らすルナが並んでいる。


「……シエル、見て! あの雲、なんだか昨日焼いたスコーンの形に似てない?」


ルナが、私の袖を無邪気に引きながら空を指差す。


宿にいる時よりも幾分か幼く見える彼女の笑顔は、エルゼの執拗な「煽り」から解放された安堵によるものだろう。


「……ふむ。……積乱雲の形成過程からすれば、単なる偶然ですが。……言われてみれば、焼き色のつき具合まで再現されているようですね。……ルナさん、今日は集中力が高い。……魔力の揺らぎが極めて安定しています」


「そっ、そう? ……シエルに褒められると、なんだか魔法のキレも良くなりそうね!」


ルナが私の顔を覗き込み、花が綻ぶような笑みを浮かべる。


その隣で、アルテミスは腰の剣の感触を確かめながら、どこか感慨深げに周囲の景色を眺めていた。


「……こうして、誰かのために武器を振るうのではなく、ただ『生活』のために街へ向かう。……騎士団にいた頃には、想像もできなかったな。……シエル、君と出会ってから、私の視界は驚くほど色鮮やかになった」


「……光栄です。……マネージャーの役割の一つは、従業員にとっての『最適な環境』を構築することですから。……アルテミス、あなたの剣は今や、宿を守るための『セキュリティ』です。……その価値を、私は高く評価しています」


「……っ。……ああ、……そう言ってもらえると、救われる。……シエル、君は本当に……っ」


アルテミスが、頬を僅かに染めて視線を逸らす。


かつての厳格な女騎士の面影はそこになく、ただ一人の、自分を正当に評価してくれる店主に信頼を寄せる「一人の女性」の顔があった。


――その頃、宿『木漏れ日』では。


留守を任された「自称魔王」と「居候(竜族)」が、火花を散らしながらも、奇妙な共同作業を行っていた。


「……ねぇ、ミア。そこ、埃が残ってるんだけど。……どんくさ♡ ……そんなんじゃ、シエルに『むっのう♡』って判断されちゃうよ? ……かわいそ~♡」


エルゼが、掃除用具を手にしながらミアを煽る。


だが、その手元では、竜族の繊細な魔力を操り、宿の窓ガラスを一分の曇りもなく磨き上げていた。


「おのれ……! 妾を誰だと思っておる! 城の守護とは、隅々の塵一つ許さぬということなのじゃ! 貴様こそ、その赤い髪を振り乱して……っ、む? ……そこ、妾が届かぬ高所の(はり)に、(すす)が溜まっておるぞ!」


「……はぁ!? ……仕方ないわね。……ちんちくりんなあんたじゃ、空も飛べないもんね。……特別に、私が清掃してあげるわよ。……感謝しなさいよね、ざぁこ♡」


エルゼは軽やかに宙へ浮くと、文句を言いながらも梁の煤を綺麗に取り除いていく。


彼女の脳内には、今朝のシエルの「いい子で待っていられたら、果物のデザートを付ける」という言葉が、最強の報酬系として刻まれていた。


「……ふんっ。……まあ、……シエルが戻ってきた時に、……『これで満足?♡』って、……自慢してあげなきゃいけないからね。……『この程度ですか?』って笑われないように、完璧に仕上げてあげるわよ……」


エルゼは、誰も見ていないところで、シエルに褒められる自分を想像して、ふにゃりと頬を緩ませていた。それを見逃さないミアが「お主、今だらしない顔をしたな!」と突っ込み、再び「ば~っか♡」という応酬が始まる。


騒がしい。


けれど、以前のような殺伐とした空気は、そこにはなかった。


一方、街に到着した私たちは、市場の喧騒の中にいた。


目的地は、高品質な寝具を取り扱う老舗商会。


「……いらっしゃいませ。……ほう、これはこれは」


商会の主人が、私たちの佇まいを見て背筋を正す。


私とルナは、並べられたリネンを指先でなぞり、繊維の密度と魔力伝導率を、一瞬で「鑑定」した。


「……この『スノー・シルク』。……織り目が一ミクロン単位で不均一です。……おそらく、雨季の湿気で糸が膨張した際のものですね。……在庫処分品としての価格提示なら検討しますが、一級品としては認められません」


「……な、……っ!? ……お客様、なぜそれを……」


主人が冷や汗を流す。


私は、妥協なき選定を続けた。


「……宿の格は、眠りの質に依存します。……お客様が目覚めた瞬間、『この宿を選んで正解だった』という成功体験を脳に刻む。……そのためには、この『銀月草の綿羽』が最適です。……これを10セット。……端数は切り捨て、代わりに次回の独占契約を提案します」


「……くっ、……負けました。……その条件で呑みましょう。……あんた、……商人の化身か何かなのか?」


買い物を終えた頃には、アルテミスとルナの腕には、魔法の収納袋に収まりきらないほどの最高級の寝具が抱えられていた。


「……シエルの交渉、横で見てるだけで背筋が伸びるわね。……あんなに鮮やかに値を叩きながら、相手に『損をした』と思わせないなんて」


ルナが、感嘆の吐息を漏らす。


「……ああ。……戦場での采配と同じだ。……状況を完璧に把握し、最小の労力で最大の戦果を得る。……シエル、君の隣にいると、自分がどんどん研ぎ澄まされていくのがわかる」


アルテミスが、誇らしげに胸を張る。彼女の目は、かつて自分を追放した過去の呪縛から、完全に解き放たれていた。


「……お二人とも、過大評価です。……私はただ、宿の利益を最大化しているだけですから。……さて、荷物の発送手続きも済みました。……夕食の食材を少し買い込んで、宿へ戻りましょうか」


3人の足取りは軽かった。


夕日に染まる市場を、まるで家族のような親密さで歩く。


だが、その帰り道。


大通りの噴水広場で、一際目立つ集団が、道行く人々の視線を集めていた。


金色の髪をなびかせ、腰には聖剣の意匠を持つ華美な剣を吊るした、中性的な容貌の青年。


その周囲を、聖女の法衣を纏った美女や、王都の精鋭騎士と思われる女性たちが、うっとりとした表情で囲んでいる。


「……あはは、みんな。そんなに僕を見つめないでよ。……困っちゃうな。……僕はただ、みんなが平和に暮らせる世界を作りたいだけなんだから」


その青年の、どこか芝居がかった、そして無自覚な「傲慢」を内包した甘い声が、風に乗って私たちの耳に届いた。


「……おや? ……そこにいるのは、アルテミスとルナじゃないか! ……懐かしいなぁ! ……君たち、僕に捨てられた後、どうしてたんだい? ……また僕のパーティに戻りたくなっちゃったのかな? ……あはは、人気者は辛いね!」


勇者カイル。彼が放つ、無自覚という名の猛毒が、夕暮れの街角を侵食し始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ