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第32話:『わからせ(訳:なでなで)』。

特別室の重厚な扉が、カタンと乾いた音を立てて閉ざされた。


宿の喧騒は遮断され、室内にはシエルとエルゼ、二人だけの濃密な沈黙が降り立つ。


エルゼは、部屋の入り口で腕を組み、精一杯の強がりを全身に纏っていた。


だが、その黄金の瞳は落ち着きなく泳ぎ、私の一挙手一投足を、まるで獲物を警戒する小動物のように追いかけている。


「……なによ、わざわざこんなところに連れ込んで。……私を説教でもするつもり? ……あたま、だいじょーぶ?♡ ……人間の言葉なんて、私の高次元な聴覚には、ただの不快な雑音としてしか届かないんだけど。……ざぁこ♡ ざぁこ♡」


彼女は必死に煽りフレーズを紡ぎ出す。


しかし、その声は微かに震えていた。


私の失感情症気味な、どこまでも底の見えない無機質な視線が、彼女の「傲慢」という名の装甲を、じりじりと侵食しているからだ。


「……説教など、時間の無駄です。……エルゼさん、あなたは先ほど、私の指先の技術にのみ価値がある、と仰いましたね。……マネージャーとして、顧客のニーズには全力で応えるのが私のポリシーです」


「……は? ……な、なによ……、……急に……っ。……ちょ、……待って、……なんで近づいてくるのよ……っ。……むりむり♡ ……だっさ♡ ……あんたみたいな、……ゴミ(くず)に触られるなんて……っ……♡」


私は、後ずさりする彼女を壁際へと追い詰め、その細い肩に手を置いた。


エルゼの身体が、ビクンと小さく跳ねる。


「……あなたの魔力回路は、依然として不安定です。……この間のお手入れはあくまで『救急処置』。……今日は、あなたのその肥大化した自尊心を支えきれなくなっている、龍族特有の『神経疲労』を、根本から解消して差し上げます」


「……な、……なに……、……解消って……。……っ、……あ……、……そこ……、……触らな……っ……♡」


私は、彼女の衣服の隙間から、冷たく冷やした指先を、(うなじ)の直下――第一頸椎の魔力節へと滑り込ませた。


そこは、龍族が外界から魔力を取り込み、全身へと分配する「中継地点」だ。同時に、最も無防備で、かつ過敏な「急所」でもある。


「――っ!? あ……、……あぁぁぁぁぁぁっ……♡」


エルゼの喉から、今まで聞いたこともないような、甘く、潰れたような悲鳴が漏れた。


彼女の膝が、物理的な衝撃を受けたかのようにカクンと折れる。私はその身体を支え、ゆっくりとベッドへと(いざな)った。


「……暴れないでください。……精密な調整が必要です。……あなたの脳が、快楽という名の過負荷に耐えられるかどうか……試してみましょう」


私は、彼女の頭を膝に乗せるようにして固定し、本格的な「なでなで」を開始した。


だが、それは慈愛に満ちた愛撫などではない。


龍の鱗の隙間に指先を滑り込ませ、滞った魔力の塊を、物理的な圧力と魔力の干渉によって「破砕」していく、極めて攻撃的なまでのケア。


「……あ、……は……っ、……やだ……、……なによ……これ……っ。……シエルの……ゆび、……あついの……、……とけちゃう……っ。……もう限界?♡ ……なんて、……言おうと思ったのに……、……あ……っ、……あぁぁ……♡」


煽り文句が、次第に支離滅裂な喘ぎへと変わっていく。


「ざぁこ♡」と言っていた唇は、今はただ、シエルの指先がもたらす絶頂に近い安らぎに、情けなく半開きになっている。


「……『よっわ〜♡』……。エルゼ様、口ほどにもありませんね。……この程度の刺激で、もう制御権を失っているのですか? ……『できそこな〜い♡』なのは、どちらでしょうね?」


私は、あえて彼女の言葉を借りて、耳元で静かに囁いた。


屈辱。


そして、それを遥かに凌駕する心地よさ。


エルゼの紅色の瞳は、ぐるりと反転しそうになるのを必死に堪え、涙を溜めて私を見上げている。


「……っ……、あ……、……この……、……むっのう♡ ……な、……にんげん……の……くせに……っ……。……なんで、……こんな……っ」


彼女の指先が、私のシャツをぎゅっと掴む。


強がりの言葉を吐くたびに、私の指先はさらに深く、彼女の急所を抉るように愛撫した。


「……ああ……っ! ……だめ、……そこ、……そこは……っ! ……脳みそが、……まっしろに……、……おそ〜い♡ ……もっと……早く……、……もっと……強く……してよぉ……っ……♡」


ついに、要求が漏れた。


煽りの中に、明確な「依存」と「懇願」が混ざり始める。


私は、彼女の背骨に沿って指を滑らせ、魔力の流れを強制的に加速させた。


エルゼの身体が、一際大きく跳ね、そして完全に脱力した。


彼女の脳内を支配していた「煽り」という名の防衛本能が、シエルの指先によって完全にシャットダウンされた瞬間だった。


「…………し、シエル…………。……あ、……あうぅ…………っ♡」


彼女は、私の膝の上で、まるで生まれたての小動物のように身を丸めた。


その頬は火照り、潤んだ瞳は、もはや私を「敵」とも「下等種族」とも見ていない。


ただ、自分を完璧に管理し、快楽の泥濘へと突き落とした「主人」を求める、熱い視線。


「……落ち着きましたか、エルゼさん。……今のあなた、『非常にみじめ~♡』ですよ。……あんなに威勢が良かったのに、指一本でこの有り様だなんて」


「……う、……うぅ……。……うるさい……、……ばか…………。……でも……、……すごかった…………。……あたま……、……まだ……ふわふわ……する…………。……ねぇ……、……もう一回……、……やって……? ……満足……できないよ……、……もっと……ちょうだい…………♡」


彼女の指が、今度は離れまいと私の袖を強く引く。


その仕草には、先ほどまでの「高慢な竜族」の影はなく、本能的に私の管理を求める「依存症患者」の顔があった。


「……今日はここまでです。……これ以上は、あなたの魔力中枢が焼き切れます。……1階に降りて、皆に謝罪しなさい。……できなければ、明日のお手入れは中止です」


「……っ!? ……そ、そんなの……むりむり。……じゃない……わかった。……謝るから……、……だから……、……明日も……、……絶対……してよね……? ……約束……だよ……♡」


それは、私の指先という名の「毒」に侵された少女が、自らの正気を繋ぎ止めるために吐いた、消え入りそうな祈りのようだった。


私は、満足げに微笑むと、彼女を抱き起こした。


――数分後。


食堂に降りてきたエルゼは、ミアやルナの顔をまともに見ることができず、真っ赤な顔をして半泣きで「……ご、ごめん……なさ…………い……」と、蚊の鳴くような声で謝罪した。


その激変ぶりに、ミアは「……な、なんなのじゃ、一体何があったのじゃ!?」と驚愕し、ルナは「シエル……、あなた本当に、何したの……?」と戦慄していた。


宿『木漏れ日』の空気は、こうして「なでなでを用いたわからせ」によって、一時的な平穏を取り戻した。


だが、私の膝元に擦り寄るように座り、隙あらば私の指先に触れようとするエルゼの様子を見るに、平穏なスローライフへの道は、まだまだ険しそうであった。


(……ふむ。依存度の調整を誤りましたか。……まあ、管理不能な反抗期よりは、管理過剰な依存症の方が、運用は容易ですが)


私は、新しい帳簿を開き、エルゼの「忠誠度」と「依存度」を記録しながら、次の営業戦略を練り始めた。



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