第24話:『寂しかったのは 。』
リビングの暖炉で爆ぜる薪の音が、心地よいリズムとなって部屋に響いていた。
膝の上でとろけるように身を任せるアルテミスとルナの呼吸は、すでに深く、穏やかなものへと変わっている。
だが、私の「お手入れ」は、これで終わりではない。
私は、傍らで甲斐甲斐しくタオルを畳んでいたミアに、視線で合図を送った。
「ミア。次はあちらの寝椅子に移動します。……耳かきの準備を」
「うむ! 心得ておるのじゃ。シエルの秘蔵の道具箱、持ってまいったぞ!」
ミアは重そうな木箱を抱えて、私の隣に座り込んだ。
私は、意識が朦朧としているアルテミスを先に寝椅子へと横たわらせ、その耳元に、そっと指先を添えた。
「アルテミス……力を抜いてくださいね。……少し、擽ったいですよ」
「……あぁ……。シエル……好きに、してくれ……。私はもう……貴殿の、言いなりだ……」
かつての凛々しさはどこへやら。彼女は蕩けたような笑みを浮かべ、完全に私に身を委ねている。
私は、細い竹の耳かきを手に取った。
前世で、極限の集中力を要するタスクを数々こなしてきたこの指先は、今、愛おしい女性の耳孔を優しく探るために使われている。
カサリ、と微かな音が脳に直接響く。その刺激に、アルテミスの長い睫毛が震え、彼女は「ひぅ……」と喉を鳴らして私の膝を強く握りしめた。
「……痛くはありませんか?」
「……あ、あぁ……。痛いどころか……。……頭の中が、真っ白になって……溶けてしまいそうだ……」
私は彼女の反応を繊細に読み取りながら、丁寧に、慎重に、彼女の奥に潜む「疲れ」を掻き出していった。
続いてルナの番だ。彼女はアルテミスの恍惚とした様子を見て、少し頬を赤くしながらも、自ら私の膝を枕にした。
「……シエル。……あんまり、変な声、出させないでよね……?」
「努力はしましょう。……ですが、あなたの耳は、とても敏感そうですね」
私が耳かきを差し入れた瞬間、ルナの背中がビクンと跳ねた。
彼女は私のパジャマの裾を掴み、顔を真っ赤にして身悶えする。
「……んっ、ぁ……! ちょ、そこ……っ。……だめ、……意識が、飛んじゃう……っ!」
彼女の不器用な強がりが、甘い喘ぎ声に変わっていく。
(……かつての私は、こうしたスキンシップを『非効率な甘え』だと切り捨てていました。……ですが、今なら分かります。言葉では届かない深い場所にある疲れは、こうして直接触れ合うことでしか癒せないのだと)
耳かきを終え、二人を私の寝室へと誘導した時には、すでに深夜の静寂が宿を包み込んでいた。
私が大きなベッドに腰を下ろすと、左右から同時に、驚くほど強い力が加わった。
「シエル……今夜は、離さないぞ……。……貴殿の隣は、私の……騎士としての、定位置だ……」
「……ずるい、アルテミス! 私だって……シエルに、一晩中くっついてたいんだから……っ!」
右からはアルテミスが私の腕を抱き込み、その豊かな胸を押し当ててくる。左からはルナが私の腕を奪い、猫のように頬を擦り寄せてくる。
有能な部下たちによる、熾烈な「シエル争奪戦」。
私は、二人の熱量に圧倒され、たじたじになりながら苦笑いを浮かべた。
「……困りましたね。これでは身動きが取れません。……二人とも、少し落ち着いてください……」
その時。寝室の扉が、勢いよく開かれた。
「お主ら! 妾を差し置いて、何をこそこそと楽しんでおるのじゃ!」
枕を抱えたミアが、憤慨した様子でベッドに飛び込んできた。
彼女は、私の腕を占拠している二人を「ぬぐぐ……」と睨みつけると、迷わず私の胸元へと潜り込んできた。
「シエルの中央は、妾の場所なのじゃ! アルテミスもルナも、端っこで我慢するが良い!」
「なっ、ミア! 貴殿こそ、病み上がりなのだから静かに寝るべきだろう!」
「そうよ! ここは私たちの『ご褒美』の時間なんだから!」
「うるさい、うるさい! 魔王命令じゃ! シエルは妾のものなのじゃ!」
三人の賑やかな喧嘩(甘え合い)を、私は中心で一身に受け止めた。
右にアルテミス、左にルナ、そして胸の上にはミア。
(……重い。……物理的にも、情緒的にも、あまりに重すぎます。……ですが)
私は、三人の頭を順番に、そして何度も優しく撫でた。
アルテミスの勇壮な騎士道。ルナの不器用な献身。ミアの尊大な寂しさ。
そのすべてが、私の腕の中で一つに溶け合っていく。
「……皆さん、もうおやすみなさい。……明日もまた、忙しくなりますよ。……私が、あなたたちを全力で支え続けますから。あなたたちも、私を支えてくださいね」
私の言葉が魔法のように効いたのか、ほどなくして、三人の呼吸は完璧な調和を保ちながら、穏やかな寝息へと変わっていった。
暗闇の中、三人の温もりと、規則的な心音だけが部屋を満たしている。
今の私は、この四人で創り上げる「不合理で愛おしい共同体」こそが、何よりも強固な組織であることを確信している。
私は、三人の寝顔を愛おしく見つめながら、静かに目を閉じた。
「……おやすみなさい、私の大切な……家族たち」
ふと、ルナが言っていた言葉を思い出し、私は気づく。
寂しがっていたのは、アルテミスやルナではない。
私の方だったのだと。




