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第22話:最近2人が『甘えて』きませんね(訳:寂しい)。


嵐が過ぎ去り、ミアという新しい家族が加わった宿『木漏れ日』には、穏やかな午後の陽光が差し込んでいた。


昼食の片付けを終えた食堂。使い込まれた木のテーブルが朝の湿気を吸い、どこか落ち着いた光沢を放っている。いつもであれば、この時間は夕食の仕込みや庭の整備で慌ただしく過ぎていくはずだ。


私はカウンターの奥から、愛おしい従業員たちの様子を静かに「分析」していた。


アルテミスは、窓際の席で愛剣の目釘を点検している。その動作は相変わらず無駄がなく、流れるように美しい。


だが、私の目は誤魔化せない。


彼女の項に走る筋は、必要以上に硬直している。剣を拭う布の動きも、普段の彼女のリズムより僅かに性急だ。


一方、ルナはカウンターの端で帳簿を広げていた。


ペンを動かす音は規則的だが、時折その手が止まり、視線が宙を泳いでいる。


彼女の目の下には、隠しきれない薄い隈が浮かんでいた。


(……限界ですね。彼女たちは有能ですが、責任感が強すぎるのが玉に瑕です。マネージャーとして、このオーバーワークを放置することは、重大な管理不足と言わざるを得ません)


彼女たちの疲労の原因は明らかだ。


アルテミスは元騎士としての矜持から、新入りのミアに弱みを見せてはいけないと気を張りすぎている。


ルナは、そのプライドのせいか、ミアの加入によって「自分もさらに役に立たなければ」と無意識に強迫観念を抱いている。


このままでは、彼女たちのパフォーマンスは低下し、最悪の場合、精神的な病に蝕まれる可能性もある。


私はまず、近くの椅子で「魔王の座」と称してふんぞり返っていたミアに、静かに歩み寄った。


「ミア。少し、こちらへ来ていただけますか? あなたにしか頼めない、極めて重要な相談があるのです。これは、この宿の存続に関わる重大なミッションですよ」


私が腰を落として囁くと、ミアは驚いたように銀の眉を跳ね上げた。


「なんじゃ、シエル。妾にしか頼めぬことだと? ふふん、ようやくお主も妾の真の価値に気づいたようじゃな。良いぞ、苦しゅうない。申してみよ!」


ミアは銀の眉を誇らしげに吊り上げ、小さな胸をこれでもかと張った。


頼られることが、彼女にとっては何よりの栄養なのだ。私はそのまま、彼女の耳元でさらに声を潜めた。


「実は、アルテミスとルナが深刻な『蓄積疲労』に陥っています。彼女たちは真面目すぎて、自分から休息(オフ)を申請することができません。ですから、本日は私とあなたで、彼女たちを完膚なきまでに『おもてなし』し、強制的にリフレッシュさせたいのです。魔王であるあなたの『カリスマ』を、彼女たちのケアのために貸していただけませんか?」


「おもてなし、か。うむ、配下のコンディションを整えるのも、王としての度量を示す良い機会じゃな。……良かろう! シエル、妾が何をすればよいか、指示を出すのじゃ!」


……チョロい。だがそこが愛おしい。


魔王の快諾を得て、私のケアプラン(お返し計画)は確定した。


私は居住まいを正し、食堂の中央へと歩み出た。


「アルテミス、ルナ。手を止めてこちらを見てください。店主命令(オーダー)です」


私の凛とした、けれど有無を言わせぬトーンに、二人がビクリと肩を震わせた。


アルテミスは反射的に剣を置き、背筋を伸ばして私を直視する。


ルナもペンを落とし、不安げに私を見つめた。


「本日、これより後の全業務を中止とします。お二人には、明日の朝まで完全な休暇を取っていただきます。……これはお願いではなく、経営上の強制措置です」


「……なっ、シエル。何を言っているんだ? まだ夕刻の巡回も終わっていない。魔王の……ミアの件で外が騒がしくなっている可能性もある。騎士として、この場を離れるわけにはいかない」


「そうよ、シエル! 私だって、まだ夕食のスープの出汁も取ってないんだから。そんな急に休めなんて言われても困るわ!」


予想通りの反論だ。


私は表情を一つも変えず、さらに一歩、二人に近づいた。


「アルテミス、あなたの剣を拭う指先が震えています。それでは緊急時に初動が遅れる。ルナ、あなたは先ほどから同じページを三回も読み直していますね。それは効率の著しい低下です。……そして何より」


私は、二人の瞳を逃さないように見据え、言葉の温度を一段上げた。


「……ミアが来てからというもの、あなたたちは一度も私に『なでなで』してほしいと言ってきませんでした。……それは、私に対する信頼の欠如ではありませんか?」


食堂が、静まり返った。


アルテミスの凛々しい顔が、首筋まで一気に真っ赤に染まっていく。


ルナは「なっ……っ、ななな、何を、この……っ!」と言葉にならない悲鳴を上げ、顔を両手で覆ってうずくまった。


「そ、それは……ミアも、病み上がりであったし、彼女を優先すべきだと。私は、騎士として……その、優先順位を判断しただけで……」


「別に、寂しかったわけじゃないわよ! ただ、ちょっと、機会がなかっただけで……っ」


私は、震える二人の頭を、同時に左右の手で包み込んだ。


伝わってくる体温は、私の予想通り、緊張で僅かに高い。


「自分を後回しにするのが美徳だと思っているのなら、それは大きな勘違いです。私の部下ならば、自分のメンテナンスも重要なタスクだと認識しなさい。……ミア、準備はいいですね?」


「うむ! お主ら、今日は魔王である妾とシエルが、直々に『おもてなし』してやるのじゃ! 存分に、平伏して喜ぶが良いぞ!」


ミアが私の隣で、誇らしげに腕を組んだ。


私は微笑みを浮かべたまま、抗う力を失った二人の手を引き、大浴場へと促した。


(……前世の私は、部下に『休め』と命じるだけで、彼らがなぜ休めないのか、その心の奥底にある寂しさまで見ようとはしませんでした。……ですが、今の私は違います。彼女たちが私に預けてくれた忠誠心に、私は最高のお返しをもって応えなければなりません)


私は、熱気を帯び始めた脱衣所の空気を吸い込み、これから始まる「全行程・最優先ケア」に思いを馳せた。


アルテミスの逞しくも美しい肢体。ルナの白く柔らかな肌。彼女たちが抱えるすべての疲れを、今日、この手で完全に洗い流してみせる。


それはマネージャーとしての論理的な判断であり、同時に、私の心の奥底から湧き上がる、抑えきれない慈愛の表れでもあった。



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