95 盤上のオールスター
五カ国緊急首脳会談という歴史的な一日が終わってから、一夜が明けた。
最後の旅の出発は、三日後。
ルディアの街はその短い準備期間のために、熱気に満ちた喧騒に包まれていた。おそらく、国民の全員が気づいているのだろう。ここが本当の「正念場」であると。
国の未来、世界の未来が決まるという前代未聞の旅なのだ。
俺が最初にやったことは、留守を預かる仲間たちを、あの規格外な援軍の前に連れて行くことだった。
「……おいおい、旦那。冗談だろ……?」
ルディアの城壁の外に整然と並ぶ、数百体の守護ゴーレム軍団。
その、あまりに壮大で異質な光景を前に、ネリアもザルクもただ呆然と立ち尽くしていた。
「……というわけで、こいつらの指揮は頼んだ。ネリア」
「はぁ!? この岩の塊を、どうやって動かせって言うのさ!」
ネリアの悲鳴のような声に、俺は星詠導師から渡された「制御用の石版」をそっと手渡した。
「詳しい使い方は、リラがマニュアルにまとめてくれた。こいつらは、お前たちの『守りたい』って意志に反応するらしい。試してみてくれ」
ネリアが恐る恐る石版に触れたその瞬間、一体のゴーレムがゆっくりと動き出し、彼女の前で恭しく片膝をついた。まるで、忠誠を誓う騎士のように。
「すげえ……」
「なるほど」
ザルクが感嘆の声を漏らし、アイゼンが冷静に分析する。
「単純な命令系統ではない。指揮官の『防衛意志』をトリガーとする、極めて高度な自律システム……。アカデミアの技術力、恐ろしいですな。これならば、我々だけでもルディアの守りは問題ないでしょう」
こうして、俺たちが不在の間の防衛は、ネリアの建築知識とアイゼンの戦術眼、そしてこの無言の番人たちという、鉄壁の布陣に委ねられることになった。
「あとは、このゴーレム軍団の一部をグランマリアやトウラにも送るだけだな」
◇◇◇
最後の旅への準備は、街を挙げて……いや、同盟国全てを巻き込んで、急ピッチで進められた。
工房地区では、デリンとドワーフたちがラズのための最新鋭の魔導義手を。医療局では、リゼットが旅に必要な全ての薬品を。厨房では、ミナやオルド市長が最高の携帯食料を、それぞれが魂を込めて準備していた。
旅立つ者も、留まる者も、誰もが自分の役割を理解し、その魂を燃やしていた。
だが、その中心にいる俺だけが、分厚い仮面の下で、一人静かに心をすり減らしていた。
鬼神の如き働きで次々と指示を出し、全ての準備を完璧にこなしていく。
その姿はあまりに力強く、そしてあまりに孤独だった。
出発を二日後に控えた夜。
最後の作戦会議のために集った円卓には、旅に参加する全てのメンバーが顔を揃えていた。
俺は、大陸の未来図が描かれた巨大な地図を前に立ち上がった。その瞳には、苦労の色を一切感じさせない、絶対的な指導者の光だけがあった。
「──これが、我々が向かう『始まりの図書館』までの、最短ルートだ。道中、還し手の妨害は熾烈を極めるだろう。これに対抗するため、我々の役割分担を、今ここで明確にする」
集った英雄たちの顔を、確かめるように見渡した。みんな、覚悟の決まった良い目をしている。
「まず、敵陣をこじ開ける、我らが最強の『矛』! 最前線で敵陣を切り裂くのは、バルハ族長、ゴウラン、そしてザルク!」
「フン、当然だ。我が牙の前に、立ちふさがる者なし!」
バルハが獰猛に笑い、ザルクとゴウランは「応!」と力強く拳を突き合わせた。
「そして、この背後と我々全員を守る鉄壁の『盾』! 俺の直属護衛を兼ねる前線指揮官はフィオナ! そして、部隊全体の守護を、グレン団長に!」
フィオナとグレンは無言で頷き合った。出会ってから日が浅く、難しい役割の二人かもしれないが、彼らの実力を信じている。
「次に、戦場の流れを支配する、我らが『魔術の要』! 広範囲の敵を殲滅する攻撃魔法は、ジェイル議長! そして、我々全員を勝利へと導く支援の要は、アルディナ陛下と、女神レイナ!」
「……承知した。我が罪を滅する炎となるのなら」
ジェイルは拳を握りしめ、左胸を叩いた。
「最後に、敵の裏をかき、戦場を支配する『影の仕事人』たち! 索敵、撹乱、狙撃、罠設置は、ラズ、シェルカ、ガラン! 敵の術を解き明かす我らの頭脳はリラ! そしてリオン……あんたには、俺たちの生命線である『物資』と『金』、そして後衛の守りを頼む!」
「お任せください」
リオンが、芝居がかったお辞儀をしてみせた。
「そして……ユランとルオ。言わずもがな、俺の相棒だ。ユランは戦闘・移動の全ての場面で一番の頼りとなる。ルオは嗅覚による探知……だけでなく、心の安定を図る『癒し』の役割も担ってもらう」
俺はルオを抱き上げて言った。
ルオは満足げに鳴き、ユランは凛々しい表情で頭を垂れた。
「見たか。これが、俺たちが創り上げた、大陸最強のドリームチームだ。王も、騎士も、獣人も、商人も、元盗賊も関係ない。ただ、仲間を、そしてこの世界の未来を守りたいという、同じ志を持つ仲間だ」
その言葉によって、出身も立場も全く違う英雄たちの心が、確かに一つになった。
俺は、心の奥底で疼く不安を押し殺し、最高の笑顔を作ってみせた。
「さあ、準備はいいな?」
俺の問いに、全員が地鳴りのような雄叫びで応えた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」
その熱狂の中心で、フィオナだけが暗い表情で俺の方を見ていた。
……俺のことを最もよく見ている彼女は、おそらく気づいているのだろう。
俺の笑顔の痛々しさと、隠しきれない疲労が。