92 帰るべき場所
破天荒な天才魔術師のリラと、生真面目な騎士のグレンという新たな二人の相性に不安を抱きつつも、俺たちの旅は再び始まった。
アカデミアの幻想的な街並みを背に、俺たちは南へと馬を進める。目指すは、全ての答えが眠るという「始まりの図書館」。星詠導師から受け取った水晶が、その方角を淡い光で示し続けていた。
だが、俺たちの間の空気はまだどこかぎこちない。
俺の心にのしかかる重圧は、またしても仲間との間にガラスの壁を築いてしまったのだ。
その日の夜。
野営の焚き火を囲みながら、俺たちは改めて大陸地図を広げていた。
星詠導師の水晶が示す座標は、大陸の遥か南西。現在地から直線距離でも、数ヶ月はかかるであろう長旅だ。
「……こりゃ、骨が折れそうだな」
ラズが簡易義手をさすりながら呟いた。
「ああ。それに、道中で還し手の妨害が一切ないとも思えん」
グレンも、厳しい顔で地図を睨む。
このまま、今の装備と消耗した状態で旅を続けるのはあまりに無謀だ。
仲間たちがそれぞれの懸念を口にする中、地図を眺めていたフィオナが、ふと何かに気づいたように声を上げた。
「……待て。この座標……そして、我々の現在地とルディアの位置関係を見てくれ」
「ん……?」
俺たちは、彼女が指し示す地図の一点に視線を集める。
現在地のアカデミア。
目的地の「始まりの図書館」。
そして、その二つの点を結ぶ、ほぼ直線状のルートの、ちょうど中間地点。
そこに、見慣れた愛おしい名前が記されていた。
「……ルディアが、あるな」
シェルカがぽつりと呟いた。その言葉に、誰もがはっとした。
そうだ。俺たちが目指す未来への道の、そのど真ん中に、俺たちが創り上げた「帰るべき場所」が、確かに存在している。
俺はそれが、ただの偶然とは思えなかった。まるで、世界の運命そのものが、「一度、お前たちの故郷に立ち寄れ」と示しているかのようだった。
「……決まりだな」
俺はゆっくりと顔を上げた。
心にまとわりついていた重い霧が、ほんの少しだけ晴れたような気がした。
「一度、ルディアに帰ろう。最後の旅に出る前に、万全の準備を整える。それに……」
俺は、仲間たちの顔を見渡した。
「……あいつらに、顔を見せておきたい。俺たちが、まだちゃんと前を向いてるってことを」
その言葉に、最初に反応したのはフィオナだった。
彼女の顔に、ここ数日見られなかった、心からの安堵の笑みが浮かんだ。
「……ああ、それがいい。ザルクたちも、ミレイ殿も、きっと皆、心配しているはずだ」
「へっ、間違いねえな!」
ラズも笑いながら膝を叩いた。
「最高の義手を作らせるついでに、あの腕相撲バカに旅の土産話でも聞かせてやるか!」
重苦しかった空気が、嘘のように和らいでいく。
しかし、俺はまだ悩んでいた。
俺がもし力を手放したら、俺の力で創り上げたルディアという街も崩れてしまうのだろうか。グランマリア、トウラなどの国々との関係も振り出しに戻るのだろうか。
俺が力を持ち続けたら、仲間はみんな俺のことなど忘れて、「元々そういう世界だった」と認識しながら、生きていくのだろうか。存在を失った俺はただそれを、概念として見つめることしかできないのだろうか。
「ふうん」
リラが、興味深そうに皆のやりとりを眺めていた。
「あなたたちの故郷、ルディアねぇ。星詠導師様から派遣されたゴーレムたちも、あたしたちと同時期ぐらいに到着するはず。……いいわ、面白そうじゃない。あたしも見てみたいわね。人間が神様と共に創ったっていう、そのおかしな街を」
彼女の言葉に、俺は小さく頷いた。
「……ああ。見せてやるよ。あの街は、俺たちの宝物だ」
目的地は決まった。
最後の旅の、その前に。全ての始まりの場所、ルディア=アークフェルド連邦へと、その舵を切る。
それは、ただの補給のための帰還ではない。
仲間との絆を再確認し、自らの原点を見つめ直し、そして、世界の運命に立ち向かうための、最後の覚悟を決めるための、重要な旅路となる。
「よし、野営は終わりだ。出発するぞ!」
俺は無理やり声を張り上げた。
一行は夜明け前の薄闇の中、愛する故郷を目指して、再び馬蹄を鳴らした。