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87 ただいま

 塔を出てから三日。

 死のツンドラ地帯を抜け、俺たちの目の前にようやく人の営みの証である緑が見えてきた時、一行はすでに限界寸前だった。

 特に、意識の戻らないラズの状態は悪化の一途を辿っていた。「消滅」の呪いは、彼の生命力そのものをじわじわと蝕んでいる。


「……カイ、あれを」


 先頭を行くフィオナが、かすれた声で前方を指差した。

 丘の向こうに、小さな国の国境を示す青い旗がはためいている。

 エルディン公国。

 俺たちが目指す、束の間の安息の地だ。

 だが、国境に近づくにつれて、俺たちは異様な光景に気づいた。

 衛兵だけでなく、その背後におびただしい数の民が集まっているのだ。


「……何の騒ぎだ?」


 シェルカが弓に手をかけて警戒するが、彼らは武器を構えてはいなかった。その手に持っていたのは、色とりどりの野花や、歓迎の言葉が書かれた粗末な垂れ幕だった。

 俺たちの姿を認めた瞬間、地鳴りのような歓声が上がった。


「カイ様だ!」

「ルディアの英雄様が、我らが国に来てくださった!」


 子どもたちが、道に花びらを撒きながら駆け寄ってくる。老婆たちが、涙ながらに手を合わせる。

 あまりに熱狂的な、スーパースターのような歓迎に俺たちは呆然とするしかなかった。


「……どうやら、俺たちは思った以上にここで好かれてるらしいな」


 俺の呟きに、フィオナも戸惑いながら頷いた。

 民衆が割れ、道が開かれる。その先に待っていたのは、青いドレスに身を包んだ、一人の可憐な少女だった。

 エルディン公国君主、公女アメリア。

 彼女は、気品がありながらもどこか気弱そうな瞳で俺を見つめ、震える声で言った。


「よ、ようこそおいでくださいました、カイ様。……こ、このエルディンは、貴方様を、心より歓迎いたします……!」


 必死に君主としての威厳を保とうとするその健気な姿に、俺は思わず頬を緩めた。


   ◇◇◇


 その夜、エルディンの王城では俺たちのための歓迎の晩餐会が催された。

 豪華だが、どこか素朴で温かい料理たち。優しい音色を奏でる吟遊詩人の竪琴。

 戦い続きだった俺たちの心は、久しぶりに訪れた平穏の中で少しずつ癒やされていく。

 しかし、どうしても俺たちの間のぎこちない空気は溶けなかった。仲間たちは俺の「変質」を恐れてどこか遠慮がちになり、俺もまた、どう接すればいいかわからず孤独感を深めていた。

 そんな俺の様子を見かねたシェルカが、わざと大きな酒瓶を持って隣に座る。


「おいカイ。いつまで孤独な王様ごっこしてるんだい! 今夜くらい、全部忘れちまえよ! こんないい果実酒があるんだぜ! 飲まなきゃ損ってもんよ!!」


 彼女は、強引に俺の杯に酒を注いだ。

 俺はヤケになって、その酒を煽った。

 一杯が二杯になり、やがて俺の足元はおぼつかなくなった。領主としての仮面が剥がれ、前世の「佐久間遼」のダメな部分が、徐々に顔を出し始める。


「フィオナぁ~、なんでそんな怖い顔してんだよぉ~。もっと笑えって~」

「シェルカは飲み過ぎだぞぉ~、レディがそんなんじゃ嫁に行けねえぞぉ~」


 仲間たちが、久しぶりに見る俺の情けない姿に戸惑いながらも、少しだけ安堵の表情を浮かべた。

 そして、宴も終盤。すっかり泥酔した俺は、おぼつかない足取りで立ち上がった。


「……何だよお前ら! なんでそんな、冷たい目で俺を見るんだよぉ……」


 俺はフィオナの肩に手を回し、泣き笑いのような表情で騒ぎ始めた。


「フィオナぁ!! 俺はお前を愛してる! だから……俺がこんなダメダメな領主でも見捨てないでくれよ!!」

「カイ、何を……!」


 フィオナが顔を赤くして俺を突き飛ばす。


「俺がなんか変だってのは、自分でもわかってるんだよ! どんどん心が冷たくなってくみてえで……怖えんだよ、ちくしょう!!」

「お前らがいなかったら! 俺がこんな力を持ってる意味なんて、ねえんだよぉ!!」

「一人で送るスローライフなんて、ただの孤独だ! んで、一人で進む茨の道は……あれ、俺いま、何言おうとしてたんだっけ……」


 呂律が回らなくなり、言葉に詰まる俺の瞳から本物の涙が溢れ出した。

 その、あまりに不器用で、あまりに真っ直ぐな魂の叫び。

 フィオナが、シェルカが、そしてレイナが息を呑む。

 俺たちの間になった見えないガラスの壁に、大きな、決定的なヒビが入った。

 俺は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、そのまま眠ってしまった。

 静まり返った宴会場で、フィオナはそっと俺の傍らに膝をついた。


「……聞いたか。あれが、我らの主の、本当の心だ。我々が彼の心を、人間らしさを守らなくてどうする?」

「……へっ、当然さ」


 シェルカが呆れ気味に笑いながら頷いた。


「よかったな、本心で愛されてて」

「はっ……!?」


 シェルカのからかいに、フィオナはまた頬を赤らめる。

「ダメダメ領主」の泥酔告白は、バラバラになりかけていた仲間たちの心を、以前よりもずっと強く、固く結びつけた。


   ◇◇◇


 翌朝に俺が目を覚ましたのは、燦々と降り注ぐ太陽の光と、頭を鈍器で殴られたかのような強烈な二日酔いのせいだった。


「……てぇ……俺、昨日、何してたんだっけ……?」


 宴の途中からの記憶が、綺麗さっぱり抜け落ちている。

 おぼつかない足取りで部屋を出ると、廊下でばったりフィオナと出くわした。


「おはよう。昨日は、その……ごめん。俺、何か粗相はしてなかった?」

「……いや」


 彼女は一瞬何かを言いかけたが、ふっと柔らかく微笑んだ。


「貴殿はただ、少しだけ疲れて眠ってしまっただけだ。……それより、行こう。皆が待っている」


 その、全てを受け止めてくれるような優しい眼差しに、俺は戸惑いながらも頷いた。

 仲間たちが向ける視線が、昨日までとは比べ物にならないほど温かく、そして優しい。俺が眠っている間に、一体何があったというのか。


 皆は、眠り続けるラズが横たわる、陽光の差し込む一室に集まっていた。

 エルディンの薬師たちが懸命な治療を続けてくれているが、彼の意識は戻らない。「消滅」の呪いは、通常の治癒魔法では干渉すらできない領域まで達しているのだ。

 眠る友の顔を見つめながら、無力感に唇を噛みしめる。

 その時だった。

 部屋の扉がおずおずと開かれた。公女アメリアだった。

 彼女はまっすぐに俺の目を見つめると、深々と頭を下げた。


「カイ様。……私に、彼を癒す手伝いをさせてはいただけないでしょうか」


 彼女の瞳には、もはや昨日までの気弱さはない。自らの国と、君主としての力強い決意の光が宿っていた。

 聞けば、エルディン王家には代々「人の心の傷を癒す」微力ながらも特殊な力が受け継がれているという。


「私の力など、カイ様に比べれば取るに足らないものかもしれません。ですが、貴方様が我が国を救ってくださったように、私も、貴方様の大切な仲間を救いたいのです……!」


 その、純粋な言葉。俺はその、小さな身体に宿る大きな覚悟に、心を打たれた。


「……公女殿下。……お願いします」


 アメリアはこくりと頷くと、眠るラズの額に、そっと小さな手を置いた。

 彼女の身体から、柔らかな光が溢れ出す。

 それは、傷を無理やり塞ぐような力ではない。凍てついた魂を、優しく溶かしていく、慈愛の光。


「どうか、目覚めてください。貴方のような、優しくて強い人が、ここで終わるはずがないのですから……!」


 彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、ラズの顔を濡らす。

 その純粋な祈りが、奇跡を起こした。

 うっすらと、ラズの瞼が震える。

 そしてゆっくりと、その目が開かれた。

 焦点の合わない瞳が、涙に濡れる少女の顔を捉える。


「……ん……? ここは……天国か。やけに、可愛い天使様が、いやがる……」

「……!」


 アメリアが、はっと息を呑む。

 その瞬間、部屋にいた全員の時間が動き出した。


「ラズ!!」


 俺は、思わず彼の身体に飛びついた。

 フィオナは、安堵でその場に膝から崩れ落ちる。シェルカが、そっと顔を背けて涙を拭う。

 友が、長い悪夢から帰ってきたのだ。


「……旦那? なんでそんな泣きそうな顔してんだよ……」


 ラズはまだぼんやりとしながらも、俺を見て不思議そうに言った。

 目覚めた彼は、失われた左腕を静かに見つめた。一瞬、その顔に哀愁の色が浮かんだが、彼はすぐに俺に向かって、いつも通りニヤリと笑った。


「……へっ。ま、腕の一本くらい、くれてやるさ。こりゃ旦那に大きな『貸し』ができちまったな。こいつは高くつくぜ?」


 ラズの、変わらない軽口。

 その言葉に、俺の心にもようやく、温かい光が差し込んだ。


「にしても、可愛い嬢ちゃんだなぁ……俺と一緒にルディアに来るかい?」


 そう言った瞬間、シェルカがラズの頭を引っ叩いた。


「いてっ!!」

「あんた、公女殿下に何言ってんの!!」

「公女殿下……? そんな嘘に騙されるかよ、こんな可愛い女の子が……」

「あんたの目が覚めたことを少し残念に思うよ」


 ラズとシェルカの軽快なやりとりも久々だ。

 にしても、彼の発言はアメリアに対して失礼すぎるが。


「ラズも目覚めたことだし……今後の方針を決めようか」

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