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86 欠けた心

「みんな、これを見てくれ……」


 俺は日記を持って、ラズたちのもとへ歩いた。


『妹アレアへ贈る、ささやかなる日々の記録』


 あまりに場違いで、あまりに個人的なタイトルに、俺たちは息を呑んだ。

 フィオナが、震える手でそっと日記を取る。


「これは、まさか……」

「ああ。おそらく、知識の女神ミリスのものだろう」


 俺は意識のないラズの傷口に浄化の光を当て続けながら答えた。光は彼の命を繋ぎ止めているが、失われた腕が戻る気配はない。

 フィオナが日記のページをゆっくりめくった。

 そこに綴られていたのは、神々しい神託などではなかった。

 ただ、優しい姉が愛しい妹を想う、他愛のない日々の記録。


『今日はレイナがまた悪戯をして、アレアを困らせていた。本当に、あの子たちは見ていて飽きない。この穏やかな時が、永遠に続けばいいのに』

『人間の王が、禁忌に触れたらしい。アレアがひどく心を痛めている。私には、ただ記録することしかできないのがもどかしい』

『もうダメかもしれない。アレアは、何かを決意した顔をしていた。お願い、行かないで。私を一人にしないで』


 ページが進むにつれて、その筆跡は徐々に乱れていき、世界の崩壊が近づいていることを物語っていた。

 そして、最後の日記は、涙で滲んだような文字でこう締めくくられていた。


『もし、いつか、この世界の理を正す者が現れたなら、全ての答えは始まりの場所に。我が知識は、貴方を待っている。――始まりの図書館にて』


 その一文をフィオナが読み上げた瞬間、俺の脳裏でステータス画面がチカリと明滅した。

 【座標不確定】と表示されていた「始まりの図書館」の項目が、確かな光を帯び始めている。


「……ミリス姉様……!」


 レイナがハッとしたように呟く。


「彼女は、この日記そのものを『鍵』として、自らの居場所への座標を、未来へ遺していたのです……!」


 全ての謎を解くための、明確な目的地。

 それが見つかった安堵と、新たな希望が仲間たちの間に広がる。 

 シェルカがボロボロになった弓を背負い直し、少しだけ明るい声で言った。


「やれやれ、これで一安心だな。まずはこのボロボロの身体をどうにかしねえと。一旦ルディアに帰って、体勢を立て直そうじゃないか」


 誰もが、その言葉に頷きかけたその時。


「いや、感傷に浸っている時間はない」


 俺は静かに、有無を言わさぬ口調で切り出した。

 その冷徹な言葉に、仲間たちが訝しげな顔でこちらを見る。


「負傷したラズは足手まといになる。シェルカとユランは、彼をルディアまで護送しろ。俺とフィオナ、レイナは最短ルートで『始まりの図書館』へ向かう。これが最も合理的な判断だ」


 場の空気が凍りついた。

 俺は、何を言っている?

 仲間を「足手まとい」と?

 フィオナが、唇を噛み締めながら一歩前に出た。


「カイ、何を言って……! ラズは、私を庇って……!」

「わかっている」


 俺はフィオナの言葉を遮った。


「彼の自己犠牲の価値を最大化するためにも、我々は一刻も早く目的を達成すべきだ。違うのか? 手負いのラズを連れていくことにどんなメリットがある?」

「っ……!」


 フィオナは俺の肩を掴んだ。


「ラズを仲間だと思っていないのか……!?」


 怒りのこもった声でフィオナが言う。

 そのフィオナの肩を、シェルカが優しく叩く。


「……まあ、待ちなよ。今のこいつに何を言っても無駄だ」

 

 フィオナは涙をこらえた表情で頷く。


「目を覚ましてください、我が主」


 ユランの声を聞き、はっと我に返った。


「……すまん。俺は今、何を……?」

 

 俺は自分の口から出た言葉に、自分自身が愕然としていた。

 ラズを、置いていく?そんなこと、俺が本気で……?


「いや、違う。違うんだ。ラズを一人にできるわけがないだろ。どこかで休息を取る。当たり前だ」


 慌てて言い直す俺を、仲間たちはどこか怯えたような目で見つめていた。

 いつものカイに戻っている。 

 だが、彼らは見てしまった。

 俺の内側に潜む、得体の知れない「カイではない誰か」の姿を。


「カイ様は魔力を消耗しきっています。今は、追求しないでおきましょう」


 何か事情を知っていそうなレイナが、冷静な口調で皆をなだめる。


「補給と休息をするなら、近くにおすすめの場所がありますので」


 レイナが俺から地図を奪い取り、とある場所を指差した。


「エルディン公国です。小さな国ですが、『大陸自由交易憲章』に真っ先に加盟を表明した国の一つであり、ルディアにとっては東方への影響力を広げるための重要な足がかりとなっています」

「よし、そこに向かおう。ラズと俺たち全員が元気になるまで、エルディン公国で休息だ」


 フィオナとシェルカが頷いた。

 俺たちは、意識のないラズをユランの背に乗せ、重い空気の中で塔からの脱出路を歩き始めた。

 俺は仲間たちを気遣い、必死に普段通りに振る舞おうとする。

 だが、心の中には拭いきれない恐怖の種が確かに植え付けられていた。


 俺はさっき、本気で仲間たちの心を無視していたのか……?


 その問いに、答えは出なかった。

 ただ、仲間たちとの間に見えないガラスの壁ができたような気がした。 

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