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85 凍てついた記録

 重い石の扉をくぐった瞬間に俺たちの身体を突き抜けたのは、魂の芯まで凍てつかせるような絶対零度の冷気だった。

 目の前に広がっていたのは、広大な円形の闘技場のような空間。壁も、床も、天井までもが不気味なほど透明な氷で覆われていた。


 そして、その氷の闘技場を埋め尽くしていたのは、無数の氷でできた魔物の軍勢だった。

 狼、熊、巨大なサソリ……そのどれもが青白い光を内側から放ち、カチカチと氷の関節を鳴らしながら、一斉にこちらを向いている。その数は百や二百ではきかない。


「……おいおい、冗談だろ。さっきの影遊びは、ただの前菜だったってのか?」


 ラズが引きつった笑みを浮かべる。俺たちの背後で、再び石の扉が轟音とともに閉ざされた。完全に袋の鼠だ。


「カイ様、あれはただの氷像ではありません!」


 レイナが切迫した声で叫ぶ。

 まあ、そうだろうな……。


「魔物の魂をこの塔の冷気で凍らせ、縛り付けた『氷結の軍団』! 一体一体が、生前の力をそのままに、痛覚と恐怖を失った……最悪の兵士です!」


 その言葉を証明するかのように、氷の軍団が地響きを立てながら一斉にこちらへと突撃を開始した。

 

「全軍、迎撃用意! フィオナは前衛、シェルカは後方支援! ラズは側面に回って撹乱しろ!」


 俺は即座に指示を飛ばす。

 フィオナの白銀の剣が、氷の狼を両断する。だが、砕け散った氷の破片はすぐにまた集結し、元の姿へと再生していく。


「はっ!?」

「くっ……キリがない!」

「こいつら、物理攻撃がほとんど効かねえ!」


 物理攻撃が効かず、何度でも再生する魔物がこの量だと……?

 ラズのナイフもシェルカの矢も、決定打を与えることができない。

 ユランの放つ光線だけが、辛うじて氷の魔物を完全に浄化できているが、圧倒的な数の前にじりじりと追い詰められていく。

 俺も身体強化【極】をフル活用して応戦するが、殴り砕いてもすぐに再生する敵を前に消耗するだけだ。


「カイ様、あそこです!」


 レイナが指差したのは、闘技場の最奥。

 ひときわ大きな氷の玉座に一体の魔物が鎮座していた。

 巨大なグリフォンのような姿。だが、その翼も爪も、全てがダイヤモンドのように硬質な氷でできている。その胸の中心には、禍々しい紫色に脈動する巨大な魔石が埋め込まれていた。

 あいつが、この軍団の支配者か……!


「あいつを叩けば、この軍団も止まるはずだ!」

「だが、どうやってあそこまで!?」


 フィオナが余裕のない声で叫ぶ。

 氷の軍団の壁はあまりに厚く、正面突破でたどり着くのは不可能だ。

 俺が、全魔力を込めた「創世の権能」で道をこじ開けるしかないか……?

 いや、ハイリスクすぎる。それで突破できる保証も、俺が動けなくなった後の戦況を仲間たちだけで切り抜けられる保証もない。

 俺が逡巡した、その一瞬。

 目の前の氷の壁が、内側から爆発するように砕け散った。


「──道は、私が開く」


 その絶望的な状況を打ち破ったのは、フィオナの覚悟だった。

 彼女の全身から白銀の闘気が立ち昇り、自らの生命力を燃やす奥義「銀華の誓い」を発動させる。

 彼女は一人で氷の軍勢の中へと突撃し、その命と引き換えに、玉座へと続く一条の光の道を切り開いていった。


「フィオナ!」

「行け、カイ! 貴殿はここで終わる男ではない!」


 血を吐きながら叫ぶ彼女の想いを、無駄にするわけにはいかない。 

 俺は、彼女が創り出した道を全速力で駆けた。

 背後でラズとシェルカ、ユランが必死で追撃を食い止めてくれている。全員の覚悟によって生まれた、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない!

 ついに「氷結の王」の目の前へとたどり着いた。王がその巨大な身体を起こし、絶対零度のブレスを吐き出そうと大きく息を吸い込む。

 ──だが、その攻撃は俺に向けられたものではなかった。

 王の狙いは、俺の後方でボロボロになりながら戦い続けるフィオナと、それを支えるラズたちだった。


「しまっ……!」


 回避は間に合わない。俺が振り返ったその瞬間、凍てつく光の光線がラズへと直撃した。

 ──いや、違う。

 ラズは最後の最後で、隣りにいたフィオナを突き飛ばし、その身一つで全ての攻撃を受け止めたのだ。


「ぐ……ああああああああああああああっ!」


 ラズの聞いたこともないほどの絶叫が、闘技場に響き渡る。

 ブレスが止んだ時、そこに立っていたのは、左肩から先が完全に消え去ったラズの姿だった。

 血は流れていない。ただ、抉り取られた傷口が黒い霧のように揺らめいているだけ。


「ラズッ!」


 思考が真っ白になるのを感じながら、彼の元へと駆け寄った。


「くそっ、浄化の光!!」


 俺はありったけの力を込めて、回復スキルを発動する。

 だが、金色の光はラズの傷口に触れた瞬間、ブラックホールに吸い込まれるように消滅していく。


「駄目です、カイ様……!」


 レイナが絶望的な声を上げる。


「私の魔法でも治りません……。おそらく、アレア様の『創世の権能』を反転させた、『消滅』の理そのもの! 存在したという事実ごと、因果律から抹消する禁忌の術……!」


 俺の力でも、女神の力でも治せない。

 失われた腕は、二度と戻らない。

 その残酷な事実が、俺の心を深くえぐった。


「……へっ」


 意識が朦朧としながらも、ラズは力のない笑顔で無理に軽口を叩いた。


「……俺の腕一本で旦那の伴侶を救えるなら、安いもんだぜ……」

「馬鹿野郎……! もう喋るな! 戦いが終わるまで休むんだ!」


 俺のせいで、俺が、出し惜しみをしたせいで。

 仲間を信じることができなかったせいで。自分の力を、信じなかったせいで、仲間が……!

 その間にも、氷結の王は次なる攻撃の準備を始めている。

 フィオナとユランが決死の覚悟でその前に立ちはだかるが、もはや限界寸前だった。


「……これも、運命だって言うのか? 女神さんよ」


 俺はゆっくりと立ち上がった。涙は、もう出なかった。

 迷いも、恐怖も。全てどうでもいい。

 俺は天を仰いだ。


「──もう、出し惜しみは無しだ」


 俺は自らの魂に無意識にかけていた、人間としてのリミッターを外した。

 仲間が傷つくくらいなら。俺の大切なものを奪うというのなら。

 俺は神にでも、悪魔にでもなってやる。


「どうしていつも、失ってから気づくんだろうな、俺は……」


 自嘲気味に笑った後、俺は指を鳴らした。


 パチン。


 それだけだった。

 次の瞬間、氷結の王はその巨体を膨大な光に貫かれ、断末魔すら上げることなく、塵となって消滅した。

 闘技場を埋め尽くしていた氷の軍団もまた、幻だったかのように一瞬で消え去った。

 静寂が戻ったが、そこには勝利の喜びなどどこにもなかった。

 俺は、倒れているラズの元へと歩み寄った。

 

「……何か、大事なものを失くした気が……」


 心にあるモヤモヤは晴れなかったが、とりあえず今は前に進むしかない。

 氷の玉座が崩れ落ちた跡地に、一つの小さな祭壇が姿を現した。

 その上には、一冊の古びた日記のようなものが置かれていた。

 表紙には、こう記されている。


『妹アレアへ贈る、ささやかなる日々の記録』

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