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82 人間らしさの証

 神官が消滅し、禍々しい紫の光が霧散した地下祭壇は、ただ静寂に包まれていた。

 俺たちは、解放された民たちの手当と保護に追われていた。幸い命を落とした者はいなかったが、生命力を吸い上げられた影響で、誰もが衰弱しきっている。


「シェルカ、頼めるか」

「任せて。アタシの足なら、半日でルディアまで届けられる」


 シェルカは親指を立てると、衰弱した民たちをユランの広い背に次々と乗せていく。彼女の護衛があれば、道中の安全は確保できるだろう。

 別れ際、救出された一番幼い少年がおずおずと俺の服の裾を引いた。


「……ありがとう、お兄ちゃん」

「……ああ。街に戻ったら、美味しいもんいっぱい食べるんだぞ」


 その小さな頭を撫でながら、俺はぎこちなく微笑んだ。

 少年が去った後、俺は自分の掌をじっと見つめた。

 極限状態で覚醒した「身体強化【極】」の力。その熱っぽい余韻はまだ身体の芯に残っている。だが同時に、得体の知れない空虚感が胸のあたりに広がっていた。


   ◇◇◇


 その夜。

 俺、フィオナ、ラズ、そしてレイナの四人は、神殿の一室で小さな焚き火を囲んでいた。

 パチパチと薪がはぜる音だけが部屋に響く。


「にしても旦那、さっきのありゃ何だよ。あんた、あんな戦い方ができたのかよ」


 ラズは、俺の拳を値踏みするように見つめている。

 その問いをきっかけに、フィオナもずっと胸にしまっていたであろう不安を口にした。


「私も驚いた。だが、それ以上に……今の貴殿からは、どこか危うさを感じる。神官を打ち破ったというのに、その顔は少しも晴れていない。一体、何をそんなに焦っているのだ?」


 仲間たちの、心配そうな眼差し。

 俺は、自分でも整理できていない内面のざわつきを、ただ赤裸々に吐き出した。


「……わからないんだ。ただ、怖いんだよ」


 その弱々しい告白に、フィオナもラズも息を呑んだ。


「神官を殴り倒した時、確かな爽快感があったんだ。民も救えた。なのに……胸のどこかが、空っぽになった気がしたんだ。前は仲間を助けられたら、もっとこう……腹の底から、嬉しいって思えたはずなのに」


 そうだ。今の俺の心を占めているのは、勝利の喜びよりも、敵を完全に破壊したという冷たい達成感だけだ。


「うまく言えない。でも、このままじゃ、俺は俺じゃなくなっちまうような気がするんだ。だから、早くケリをつけたい。俺が、まだ俺でいられるうちに」


 それは、俺自身も気づいていなかった、無自覚な魂の叫びだった。

 俺の切実な告白に、仲間たちは言葉を失う。ラズはいつもの軽口を忘れ、ただ真剣な顔で焚き火の炎を見つめていた。

 やがてフィオナがそっと立ち上がり、俺の隣に膝をつくと、震える俺の肩に手を置いた。


「……本当の自分とは何か、それを悩む貴殿こそが……かけがえのない、本物のカイ=アークフェルド……いや」


 彼女は言葉を切り、そして、俺がこの世界で誰にも明かしたことのない、たった一つの名前をそっと紡いだ。


「──佐久間遼だ」


 その名を聞いた瞬間、俺の思考は完全に停止した。

 なぜ、彼女がその名を。

 俺が驚愕に目を見開いていると、フィオナは少しだけはにかむように、どこまでも優しく微笑んだ。


「……レイナ殿に、教えていただいた。貴殿がこの世界に来る前の、本当の名前だと。……貴殿が一人で抱え込んでいる、その根源的な孤独ごと、私も背負わせてはくれないだろうか」


 彼女の、魂からの言葉。それは、俺がこの世界に来てからずっと心の奥底にしまい込んできた、誰にも触れさせなかった傷を、暖かく包みこんでくれた。


「……フィオナ」

「貴殿がカイであろうと、佐久間遼であろうと、ただの人間であろうと、神に等しい力を持っていようと、何も変わらない。我々が信じ、共に歩みたいと願うのは、その魂そのものなのだから」


 その言葉にラズも、悪態をつくように続けた。


「へっ、そういうことだ、旦那。俺たちがいりゃ、旦那が神様になっちまっても、無理やりただの社畜に引きずり戻してやるよ。心配すんな」


 二人の、不器用で温かい言葉。

 それが、俺の心の空虚な部分にじんわりと染み渡っていく。

 そうだ。俺は一人じゃない。


「……ああ。そう、だよな」


 俺は、かろうじてそれだけを口にした。

 そのやり取りを、レイナだけが少し離れた場所から、満足げに、少しだけ嫉妬の色を浮かべた表情で見つめていた。

 彼女がフィオナに俺の過去を明かしたのは、俺を救うための最善手だと判断したからだろう。だが、その結果、二人の絆が想像以上に深まったことに、女神様は少しだけ、複雑な気持ちを抱いているようだった。

 でも、俺は嬉しかった。レイナも、俺と同じくらい、フィオナを信頼してくれているのだとわかったから。


「よし、湿っぽいのは終わりだ!」


 俺は雰囲気を変えるように、わざと明るい声を出して立ち上がった。


「次の目的地は決まってる! 行くぞ!」


 仲間との絆を再確認し、内なる不安と向き合う覚悟を決めた俺の顔には、いつもの不敵な笑みが戻っていた。

 レイナは自らの感情を心の奥にしまい込み、いつもの女神の顔に戻って俺に忠告する。


「北の塔は、この神殿とは比べ物にならないほどの古の守りが施されています。お気をつけて」

「望むところだ」


 俺たちは、再び荒野へと歩き出した。

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