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80 私情の過保護

 ジェイルがもたらした地図は正確だった。

 荒野を越え、風化した岩山をいくつも回り込んだ先、巨大なクレバスの底に、それは静かに眠っていた。

 忘れられた神殿。

 天を突くような尖塔は崩れ落ち、壁を覆うはずだったであろう精微なレリーフは、数千年の風雨の影響で摩耗し、もはやその形を留めていない。だが、その佇まいには、人の営みの跡というにはあまりに荘厳で、神聖な空気が満ちていた。


「……ここが、還し手のアジトかもしれない、と」

 

 フィオナが、馬上で息を呑む。

 俺たちは馬を降り、慎重に神殿の入り口へと足を踏み入れた。

 その瞬間に、全員が強烈な違和感に足を止めた。いや、歩を進めてはいけない気がしたと言うべきか。

 空気が重い。水の中にいるかのように、呼吸のたびに肺が圧迫される。そして、どこからか聞こえてくる、不協和音のような微かな詠唱。


「おい、旦那……」


 ラズが、顔を青くして俺の袖を引いた。


「ここはやべえぞ。前にあのババアと戦った時と、同じ匂いがする。もっと濃くて、もっとタチの悪いやつだ」


 彼の言葉を裏付けるように、ユランが低く唸り声を上げ、その身に聖なるオーラをまとわりつかせ始める。この神殿そのものが、彼のような神聖な存在を拒絶しているかのようだ。


「……罠のようですね」


 俺の隣を歩いていたレイナが、静かに呟いた。彼女もまた、この地に満ちる邪悪な気配に眉をひそめている。


「ああ。でも、ここまで来て引き返すわけにはいかない」


 俺たちは警戒を最大限に高めながら、神殿の最奥部へと続く、薄暗い回廊を進んでいった。

 壁には、大地の女神アレアの功績を称える壁画が描かれていたのだろう。だが、そのほとんどは意図的に削り取られ、女神の顔の部分だけが黒い何かで塗りつぶされていた。

 歪んだ信仰の跡が、そこかしこに見て取れる。

 そして、神殿の中心部と思われる、巨大な円形の広間に出たその時だった。


 ──ガコンッ!

 けたたましい音と共に、広間の床が巨大な口のように開いた。


「なっ!?」

「クソっ、罠だ!」


 俺と、すぐそばにいたレイナの足元だけが寸分違わず崩落する。

 仲間たちが、必死に手を伸ばす。


「カイ!」

「旦那ぁっ!!」


 フィオナとラズの悲痛な叫びが、急速に遠ざかっていく。俺たちが落下した穴の上には、瞬時にして魔法的な障壁が張られ、仲間たちの姿は見えなくなった。

 俺とレイナはなすすべもなく、神殿の地下深くへと吸い込まれていく。



「……ぐっ!」


 長い落下を経て、俺の身体は硬い石の床に叩きつけられた。レイナが咄嗟に張ってくれた障壁のおかげで痛みは殆どないが、衝撃で身体がうまく動かない。


「……大丈夫ですよ、骨は折れてません」


 レイナは俺の手を引っ張り、立たせながら言った。


「こんな状況なのにお前は余裕そうだな……」

「ピンチはチャンスですよ、カイ様」


 なんてポジティブな女神様だろうか。


 辺りを見回すと、そこは禍々しい紫色の光に照らされた巨大な地下祭壇だった。

 そして、その祭壇の中央。

 一人の男が、俺たちを静かに見下ろしている。顔には鳥の骸骨を模した仮面をつけており、その身にまとう豪奢な神官服は血のように黒ずんでいる。


「ようこそ、不純なる器よ。そして、運命を歪めし女神レイナ」


 神官の声はなんの抑揚もなく、冷たかった。


「ここは、貴方たちの墓標となる場所です」


 痛む背中をさすりながら、神官の背後に広がる光景に息を呑んだ。

 祭壇の周囲には、巨大な黒水晶がまるで心臓のように脈動している。 


「まさか、この黒水晶……」


 それの中には、意識を失った人々が、まるで琥珀の中の虫のように閉じ込められていた。

 その顔には見覚えがあった。

 ルディアで神隠しにあった留学生や職人たちだ。


「……お前がやったのか?」

「いかにも」


 神官は、ゆっくりと語り始めた。その言葉は、揺るぎない確信に満ちた「狂信者」のものだった。

 

「我ら『大地の還し手』の真の目的は、貴方から力を奪うことではない。貴方という『器』ごと、アレア様の御力と魂をこの祭壇で『贄』として捧げ、女神を不完全な形で、強制的に再誕させることだ」

「何……?」


 隣で、レイナが戦慄する。


「絶対にさせません。そんなことをすれば、アレアの魂は汚染され、その狂気は世界そのものを崩壊させかねない!」

「……だからといって、たった一人の男に『神に等しい力』を握らせ続けるのか? 貴方の私情で、世界のバランスは崩壊寸前だ」

「はい、私の私情ですよ」


 レイナは、一歩前に出た。その神々しい顔には、もはや慈愛の色はない。ただ、自らの信念を貫く、絶対神としての揺るぎない覚悟だけがあった。


「私の一方的な過保護で世界のバランスが崩れたって、それで構いません。それに……女神が力を持つよりも、彼が力を持ったほうが、世界は明るい方向へ進む。そう、女神であるこの私自身が、信じているのですから!」


 レイナの、魂からの叫び。

 それを聞いた神官は、仮面の下でくつくつと喉を鳴らして笑った。


「面白い。運命を司る女神が、自ら運命に逆らうか。……だが、その愛も、この絶望の前では無力!」

 

 神官が両手を広げた瞬間、祭壇の黒水晶が一斉に禍々しい光を放ち始めた。

 水晶に捕らわれた人々の身体から、生命力そのものが、光の粒子となって吸い上げられていく。


「ぐ……ああ……っ!」


 同時に俺の身体からも、創世の権能の力が強制的に引きずり出されていくような、耐え難い激痛が走った。

 俺はその場に膝をついた。力が、入らない。


「カイ様!」


 レイナが駆け寄ろうとするが、彼女の足元にも紫色の魔法陣が浮かび上がり、動きが封じられる。


「無駄だ、女神レイナ。この神殿は、貴様ら神族の力を減衰させる、古の結界で守られている。今の貴様は、ただのか弱い女に過ぎん」


 神官は、ゆっくりと俺に近づいてくる。

 絶望的な状況。仲間はいない。力は奪われ、なすすべもない。

 仮面の下で、神官の目が冷たく光るのが見えた。


「さあ、儀式を始めましょう。貴方の絶望と、貴方が守ろうとした者たちの命を糧に、我らの女神は再び、この地に君臨するのです」

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