79 大きな一歩
カイたちが北の荒野で「賢者の石」を発見し、道なる旅を続けている最中。
彼らが旅立った後の大陸では、カイという巨大な磁場を失ったことで、逆にそれぞれの国が自らの意志で動き出す、新たな地殻変動が始まっていた。
◇◇◇
帝都カレドニア。
かつての暴君の面影はどこへやら、ジェイル=イゼルは父帝が眠る寝室の簡素な椅子に座って膝に手をつき、静かに窓の外を見つめていた。
痩せこけた父の手が、力なくシーツの上で動く。
「……行くのだな」
「はい。私が撒いた種です。私が、刈り取らねばなりません」
ジェイルの声は穏やかだが、揺るぎない覚悟に満ちていた。
カイとの約束。それは、ただの停戦協定ではない。国と国が、そして人と人とが、対等な立場で未来を語り合うための最初の約束。それを、カイという仲介者なしに、自らの手で果たしに行く。それこそが、彼が王として生まれ変わるための、最初の試練だった。
(このタイミングで探索の旅に出るとは……カイも意地悪な男だ)
「……良い目になったな」
父帝は、満足げに微笑んだ。
「お前の好きなようにやれ。帝国の未来は、もはやお前の双肩にある。……ただ、忘れるな。王とは、最も深く頭を下げられる者のことだ」
「……はい」
初めてかけられた、父からの激励の言葉。そして、彼を王として認める言葉。
ずっと、父のその言葉を待っていたのだ。人々を恐怖で支配することも、戦争で力を誇示することも、彼の望みではなかった。
ただ、父に認められたかったのだ。
父の言葉を噛み締め、ジェイルは深々と一礼した。
その足で、彼は帝国の全権大使として、王都グランマリアとルディアに使者を送った。
カイを介さず、ジェイル自身の名で。
「大陸の未来について、三国の代表で語り合いたい」という、ただそれだけの、短い文面だった。
◇◇◇
その報せがルディアにもたらされた時、本庁の会議室は緊張に包まれた。
だが、カイの代理としてルディアの内政を預かるミレイは、少しも臆さなかった。
「……これは、好機です」
彼女は、集まった幹部たちを前にきっぱりと言い切った。
「ジェイル皇子は、カイ様との約束を自らの意志で果たそうとしている。我々がここで彼の誠意を疑えば、それこそカイ様が築いた信頼関係を損なうことになる。……私とアイゼン様で、この会談、受けて立ちましょう」
その凛とした姿に、ザルクもネリアも、ただ力強く頷くことしかできなかった。
カイがいなくても、この国は、もう自分の足で立てるのだと、証明する時が来たのだ。
◇◇◇
数日後。
王都グランマリアの、円卓の間。
そこに、歴史的な三者が顔を揃えた。
玉座を離れ、ただ一人の調停者として場を設けた、国王アルディナ。
過去の詰みをその身に背負いながらも、未来を見据える覚悟を決めた、帝国皇子ジェイル。
そして、カイの意志を継ぎ、新興国家の代理人として堂々と席に着く、ミレイとアイゼン。
誰もが固唾をのんで見守る中、最初に口を開いたのはアルディナだった。
「……よく来たな、若き獅子よ。我々王都グランマリアとバルディア帝国の間に長年存在していた冷たき壁は、カイによって打ち砕かれた。お主の今の表情は、もはやただの暴君のものではないようだ」
「……お言葉、痛み入ります」
ジェイルは深く頭を下げた。
「本日は、カイ殿との約束を果たすため、そして、我が帝国が犯した……いえ、私が犯した過ちへの、最初の贖罪のために参りました」
彼は、懐から数枚の羊皮紙を取り出し、円卓の中央に置いた。
「これは、我が帝国内に潜伏する『大地の還し手』に関する、極秘の調査報告書です。彼らがアジトとしている可能性のある古代遺跡のリスト、そして、彼らが狙っていると思われる、女神アレアの聖遺物の伝承。……我々が知りうる、すべての情報です」
あまりに率直な情報開示に、アイゼンですら驚きに目を見開いた。
「……皇子殿下。これを我々に渡せば、帝国の弱みを晒すことにもなる。それでも、よろしいのですか?」
「構わない」
ジェイルはきっぱりと言った。
「還し手は、もはや帝国一国の問題ではない。大陸全体の癌だ。この癌を根絶するためなら、我が身の多少の傷など厭わん。……カイ殿も、同じ判断をされるはずだ」
その言葉に、ミレイは深く頷いた。
この男は、本気だ。
カイの不在は、逆に彼を、真の王へと覚醒させたのだ。
「……ジェイル殿のその覚悟、しかと受け取りました」
ミレイは、ルディアの代表として、はっきりと告げた。
「我々ルディアも、貴国のその誠意に応えましょう。これより、ルディア、王都、帝国は、『対・還し手共同戦線』を正式に発足。情報を共有し、連携してこの見えざる敵を討つことを、ここに宣言します」
その言葉を合図に、円卓の間の張り詰めていた空気は、確かな信頼関係へと変わっていった。
壮大な内輪揉めを続けてきた国々が今、一つになり、共通の敵を認識した。
大陸にとっての大きな一歩は、台風の目が離席している際に踏み出されたのだ。
◇◇◇
一方、その頃。
北の荒野の岩陰で野営をしていたカイたちの元へ、一羽の伝令鳥が舞い降りた。
その足に結びつけられていた小さな筒には、ミレイからの、簡潔だが熱意のこもった報告書が収められていた。
手紙を読み終えた俺は、焚き火の炎を見つめながら、思わず笑みをこぼした。
「みんな、聞いてくれ!」
「どうした?」
ラズが不思議そうに問いかける。
俺は、仲間たちに手紙の内容を伝えた。三国会談の成功、そしてジェイルがもたらした還し手に関する新たな情報。
「帝国の情報だと!?」
ラズの目が光った。
「ああ。奴らの狙っている聖遺物と、アジトの可能性がある場所のリストだ。この中に、俺たちが目指すべき『聖地』へのヒントがあるかもしれない」
その言葉を聞き、仲間たちの目に新たな決意の光が灯った。
故郷は、自分たちの足でしっかりと立っている。俺という補助輪がなくても、走っていけるのだ。
「……よし」
俺は、ジェイルがもたらした地図を広げ、仲間たちに向き直った。
「感傷に浸ってる暇はねえぞ、お前ら! 故郷の仲間たちが頑張ってるんだ。俺たちも負けてらんねえだろ?」
俺は、地図上の荒野のさらに北に位置する、古代遺跡のマークを指差した。
「次の目的地は、ここだ。行くぞ。世界の謎を、解き明かすんだ」
「「「おう!!!!」」」
大地の還し手……ようやく尻尾掴んだぞ。震えて待っておくんだな!