77 旅立ちの朝
帝国の脅威が去り、街が日常を取り戻してから一週間が過ぎた。
だが、俺たちの戦いはまだ終わっていない。むしろ、ここからが本当の始まりなのかもしれない。
本庁の会議室。巨大な大陸地図を囲んでいるのは、いつもの顔ぶれに王都とシレジアの代表を加えた、まさに連合国家の首脳陣だった。
「──以上が、今回の『大陸探索計画』の概要だ」
俺は説明を終え、皆の顔を見渡した。
目的は、大地の還し手が残した黒い水晶の欠片が示す座標、『三つ目の塔』の調査。そして、その先に待つであろう、世界の謎への第一歩を踏み出すこと。
「メンバーは、俺、護衛兼副官としてフィオナ、斥候及び森の案内にシェルカ、還し手との因縁を持つ調査役としてラズ、そして移動と戦力の要であるユラン。この五名で行く」
その選定に、誰も異論は唱えなかった。
ザルクが、少しだけ不満そうに口を尖らせる。
「護衛なら、俺が行くのが一番じゃねえのか?」
「お前には、この街の守りを任せたい。ネリアやゴウランと共に、俺たちが安心して帰ってこられる場所を守ってくれ」
俺の言葉に、ザルクは「……仕方ねえな」と、どこか照れくさそうに頭を掻いた。
「して、カイ。貴殿らが不在の間、このルディアの統治は誰が?」
アルディナが、王としての鋭い目で問う。
「内政はミレイとオルド市長を中心に。軍事と防衛はザルク、ネリア、ゴウランの三名による合議制で。そして、外交及び全体の監督役として、アルディナ陛下とアイゼン、リオンに後見をお願いしたい」
俺の言葉に、三人の代表は力強く頷いた。
これ以上ない、盤石の布陣だ。
「よし、なら決まりだ。出発は明後日の早朝。各自、準備にかかれ!」
会議が終わり、俺たちはそれぞれの持ち場へと散った。
街は、俺たちの新たな旅立ちを察してか、どこかそわそわとした、それでいて温かい空気に満ちていた。
工房地区を通りかかると、ラズが妹のリーシャと話しているのが見えた。
「……兄ちゃん、本庁に行っちゃうの?」
「ああ。でも、今度は必ず帰ってくる。お前を一人にさせた、あの頃の俺とは違うからな」
ラズは、リーシャの頭を不器用に撫でた。その手つきは、どこまでも優しかった。
俺は二人の邪魔をしないよう、そっとその場を離れた。
執務室に戻ると、机の上にはすでにいくつかの包みが置かれていた。
「カイ! これ、旅の途中で食べて! 栄養満点のサンドイッチ!」
「これは私が調合した特製の携帯用傷薬よ。万が一の時に……」
ミナとリゼットだった。二人の心遣いが、ずしりと重く、温かい。
「ありがとう。二人とも、街のことを頼むな」
「うん!」
「ええ」
二人が去った後、入れ替わるようにフィオナが入ってきた。その手には、丁寧に磨き上げられ一振りの剣が握られている。
「カイ。これは貴殿の護身用の剣だ。王都の鍛冶師に打たせた、最上級の一振り。……これをお守り代わりに」
「フィオナ……」
「貴殿の力は強大だ。だが、それ故に貴殿自身の身がおろそかにい鳴る。私が傍にいるが、それでも……心配なのだ」
その瞳は、騎士としての忠誠心と、一人の女声としての深い情愛に満ちていた。
俺はその剣を、確かめるように強く握りしめた。
「ありがとう」
夜。出発を前に、俺は一人、自室で空を見上げていた。
ルオは、俺の旅立ちを察しているのか、寂しそうに足元にすり寄ってくる。
「ごめんな、ルオ。お前は、この街のみんなを見守ってやってくれ」
「きゅうん……」
その、健気な鳴き声に胸が締め付けられる。
その時だった。
「あらあら、しんみりするのはまだ早いですよ、カイ様」
俺の背後に、音もなくレイナが姿を現した。
「お前、また勝手に……」
「当然、私もお供します。カイ様の魂に何かあれば、運命そのものが歪んでしまいますから。……それに」
彼女は、悪戯っぽく微笑んだ。
「貴方の傍にいるのが、一番面白いのですから」
その言葉に、俺は思わず苦笑した。
どうやら俺の旅は、一筋縄ではいかないらしい。
◇◇◇
出発日の朝。
夜明け前の薄闇の中、俺たち探索隊は、ルディアの門の前に立っていた。
見送りには、街の仲間たち全員が集まってくれていた。
俺はユランの背にまたがり、仲間たちの顔を見渡す。
「……じゃあ、行ってくる」
短く告げると、ザルクがぐっと親指を立てた。
ネリアが「早く帰って来てください」とぶっきらぼうに言い、ミレイが深々と頭を下げた。
「カイ様、ご武運を!」
誰かの声が、静かな朝の空気に響き渡る。
俺は一度だけ振り返り、この愛おしい街の光景を目に焼き付けた。
そして、前だけを見据え、ユランに合図を送る。
「行くぞ!」
ユランが一声高く嘶き、大地を蹴った。
俺たちを乗せた神獣は、朝日が昇り始めた地平線の彼方、まだ誰も見たことのない、未知の大陸へとその第一歩を踏み出した。
世界の謎を解き明かすための新たな旅が、今、始まった。